シャニマス浅薄所感 『セヴン♯ス』を終えて

2023年2月28日。隣家の庭先に桃の花が咲き始め、人々が早暁の息の白さを忘れ始めた頃、アイドルマスターシャイニーカラーズ(以下シャニマス)新イベントコミュ、『セヴン♯ス』が実装された。


シャニマスにおけるイベントコミュ(コミュはストーリーと同)は主に、ユニット単位でのコミュ(ユニット物)と、ユニットの垣根を越えたアイドル達の交流を描くコミュ(越境物)に大別されるが、中でも本イベント『セヴン♯ス』も含まれる283プロダクション所属のユニットSHHisのコミュは、ユニット物でありながら過去の越境物の内容を踏まえ、ひいてはシャニマスの舞台である283プロダクションの過去に深く切り込んでいくなど、シャニマスという物語全体の深みを増すために欠かせないコミュとしてファンからの評価も高い。

以下は、本イベントを終えた筆者の、シャニマス全体に対する簡単な所感である。『セヴン♯ス』の内容を深く論じることは無いが、本イベントに関するネタバレも含まれるため、ご承知のうえでお読みいただきたい。

シャニマスの本質とはなにか?


この物語の本質、アイドルマスターシャイニーカラーズという作品の根底にあるものとはなにか。結論から先に言えば、筆者はこれを''祈り''なのではないかと感じた。それにはシャニマスの節々に見て取ることが出来、読み手の我々も影響を受けているであろうある種の''繊細さ''が深く関わっている。
シャニマスのあるコミュの中で、アイドルが買い物をするシーンがある。「一点で、1432円です」
という言葉に彼女がお金を支払うと、店員は「570円のお返しです」と続ける。それだけのシーンだ。それだけのシーンなのだが、ここからは、そのアイドルがわざわざ釣り銭の端数を気にして2000円で足りる所を2円多く出したということが読み取れる。また別のコミュでは、アイドルが「急行はよくわからないので、各駅停車に乗ります」と田舎の家族に手紙を書く。例を挙げればキリがないが、これらに共通するのは読み手に共感の出来る生活感、あるいはフィクションの中にある現実の息づかいである。ファンの多くはこういったリアリティのことを''実在性''と呼び、そうして─これはアイドルマスターというコンテンツ全体の風潮かもしれないが─アイドルのことをキャラクターとは呼ばない。アイドルはアイドルとして、自分とは違うどこかで生きている人間として接する。これらはシャニマスというコンテンツがアイドルを形作るうえで記号化を忌避し、リアリティラインを高くあろうとし続けることへの、創作というものに対しての繊細さへのファンのリスペクトが元になっている。

杜野凛世のコミュ『凛世夕町物語』より

シャニマスのシナリオライターである橋元氏はインタビューで、本作品に関して「描くのではなく映し出す。既に存在している彼女達の日々を撮影している感覚を持っている」ということを語った。たしかに、犬の鳴き声や車が走り去る音等、SEの場面作りの中での効果的な使用や、コミュ内で多用されるカットバック(異なる場所で起こっている2つ以上の出来事を交互に映す手法)等は極めて映像的な表現と言える。これらの表現はシャニマスの世界観を立体的にし、リアリティの更なる追求を可能にしている。
また、同インタビューで橋元氏が語った、「アイドルが生きていくうえで立ち現れる現実というものを、目をそらさずに描いていきたい」という言葉も忘れてはならない。『セヴン♯ス』においても、SHHis所属の七草にちかが心因性と思われる難聴により歌えなくなり、この出来事は彼女を大きく苦しめることとなった。『セヴン♯ス』以外においてもこれは同様だ。挫折、人間関係の軋轢、憧れに手が届かない、人生を商品として扱うことの矛盾、非才。アイドル達は、彼女達が生きていくうえで避けられないあらゆる現実に向き合うことになる。しかし、彼女達はその中でユニットの仲間との絆を深め、支えとなってくれる人達の存在に気づき、そうして一歩ずつ成長していく。
彼女達は、いつか訪れるであろうアイドルの後の人生も生きていかなければならない。夢中の時間を終えて、全てが過去になったとして。それでもあの時間で得たものが彼女達にとっての欠けることのない宝石で在り続け、世界がいつまでも優しく彼女達を包んでくれたら。これが、シャニマスに通底する思想のうちの一つであると考える。

シャニマスは繊細である。その繊細さは、世界に対しての深い信頼と愛をもった、希望を信じる繊細である。
シャニマスとは祈りである。その祈りは、かつて我々が折り合いをつけた現実という何がしかをそれでも抱きしめることが出来ればという、アイドルという存在を通して我々に降り注ぐ、木漏れ日のような祈りである。
これが、『セヴン♯ス』までのシャニマスを通しての私のシャニマスに対しての所感だ。

「たとえばここに羽を描くとして
おまえは飛んでいけるだろうか、線
たとえば果樹を描くとして
おまえは実をなせるだろうか、円
もちろんできるとも
できないなら、人はペンを持つかい?」

『線たちの12月』というコミュのキャッチコピー
であるこの文章には、シャニマスを作っている人々のそういった祈りや覚悟。そして、''我々が描くのではない。彼女達自身が、新たなキャンバスに夢を描くのだ。''という強い信念が込められているように感じる。

最後に


この文章を書いている2週間後、3月18日(土)3月19日(日)に、アイドルマスターシャイニーカラーズ5周年ライブ『THE IDOLM@STER SHINY COLORS 5thLIVE If I_wings.』が開催される。新たな節目を迎えるこのコンテンツが一体どのように羽ばたいていくのか。そうして、今までシャニマスを好きでいた人だけでなく、これからシャニマスを知る人がどのような色をした彼女達と出会うことになるのか。
お祈りを続けながら、見届けることが出来たらと思う。


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