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大人気ない

どっちもどっち。
だからあとはメンツの問題である・・・ 。
まるで外交問題の新聞見出しのような言葉が、
日常にあふれている人間同士のやりとりを
揶揄している。

第三者から見れば、
なんともたわいのない意地の張り合いが
あって、それを双方がわかっていながら
譲れなくなってしまった状況を多く見かける。

当事者に聞けば、
自分がいかに正当であるかを主張するに
決まっている。

いくつもの事例を挙げるのだが、
なぜか同じことを繰り返すことが多い。
その話はこの前聞きましてけど、
などと口を挟む間もなく、
一方的にまくし立てる。

かくいう私も、
以前は同じだったのかもしれない。
言うべきことと、言うべきではないことの
区別がつけられていなかった気がする。

人間は正しいと思い込むと、
相手がどうであれ自分の考え方を
納得させるまで同じことを繰り返す。

坊主憎けりゃ袈裟までも、というように、
相手の一挙手一投足が気に入らなくなる。
その結果、周囲の人間が迷惑を被ること
になり、利益になるどころか
その大人気なさだけが強調されてしまう。

たぶん、それは孤独に嘖まれた人間の、
どうしても隠しきれないエゴのような
気がする。

わかって欲しい、支持して欲しい、
という自己顕示欲は、第三者が存在して
はじめて成立するものであって、
自分の思いやお金ではどうにもならない。

そういう人は、きっと自分のことを
100%信じていない人に違いない。
さみしい限りではあるが、
もしかすると誰しもが陥りやすい
罠であるだけに、気がついたときは遅い。

雑誌の特集には、
いまだに朝から晩まで働きづめの
“ヤンエグ”(死語に近い)が、
仕事とはいかになすべきかを
“ご披露”している内容が後を絶たない。

死に物狂いでビジネスに没頭し、
自分の時間はどこにあるのかも説明しない
その話には、世の中の“こうあるべきだ”
思想に同調する恐ろしささえ感じる。

人間が人間の感情や行動を同じ方向に
向けはじめたら、それは大人げなさを
通りこしたファシズムになる。

それは決して極端な論点の飛躍ではない。
ビジネスに託つけているが、
こうあるべきだ思想をビジネスの方法論に
すり替えているだけで、
そこに民主主義社会の理想である
個人の幸福につながる視点はない。
あくまでも組織としての視点が優先する
のみである。

どうしてもっと無理のない、
自分らしく生きている人たちを
紹介しないのだろう。

そういう人たちはきっと
けしからん輩であるから、
社会全体の“こうあるべきだ”に逆行していて、
たぶん、多くの方が魅力を感じない内容に
なって、メディアそのものが売れなくなって
しまうのだろう。

さみしいけれど、馬車馬のように働かされて
いる人たちが、もっともっとと応援歌を
歌われて、よしもう一踏ん張り、と
またムチを打つことになる。

ビタミン剤もそうだ。無理してでもやれる
人間が成功者であるかのようなコマーシャルが
流され、そして今日もまたその犠牲者が
続出することになる。

ではどう対処するか。
まずは現実から逃げ出すことから
はじめなければならないと思う。


考えないままに過ごす時間は、
自分の理性を奪い去ってしまうから。
お金のこと、社会的地位のことが、
本当にやりたいことに比べたら、
なんともたわいのないことだと
早く気がつくことだ。

そのために必要なこと。
誤解を恐れずにいえば、プライドを捨てる
ことだ。きれいなオフィスに高い給料に
惑わされず、方法論は問わないことが必要だ。
職業どころか、人間の生活に貴賎はないことを
実感しよう。そして自分のペースにあった
生活のリズムを実践することだ。

生きていく方法論を問わなくなった人ならば、
その条件を優先させるように努力しよう。
まずは使われていることから自由になる道を
探すことになる。答えはひとつでないから
精神的にタフでないとつらいが、
たぶん、大人げない論争から抜け出すことは
十分に可能だ。

どちらを選ぶかはその人自身にかかっている。

かつて名司会で名を馳せた小川宏さんが、
鬱病から自殺願望があったことを告白した
新聞記事を読んだ。彼にとって当時、
一番つらかった言葉、
それは「がんばってください」だったそうだ。

* * *

今では、メディアはこぞって
ジブンらしく生きている人たちを
紹介している。

時代は変わった。
そう思う・・・。

そうは言いながら
頑張ることが大切だと
親として、会社の上司として
これまで言い続けてきた自分がいた。

それが、思いがけずに与えられた
役職者としての役割であり、
報酬の反映であり、
人間としての見本だと思い続けてきた。

こう書くと、なんか言い訳のように
聞こえるかもしれないが、
多くの人たちが同じように演じて、
評価を受けてきたのではないだろうか。

頑張らない人間をどう評価すればいいのか
分からなかったというのが事実かもしれない。

でも、それなりに歳を重ねてきたことで
体力的に、気力的に、そこまでできないと
感じた時、何故か、逃げのように、
それ以外の評価を探し始めたのである。

都合の良い考え方だな、と思う。
でも、それしか当時のジブンにはなかった。

その裏返しのように、
これからの人生をどう生きていこうか
悩まなければいけない
ジブンがいることも事実なのだ。

2002/05/22Wed
#あの頃のジブン |11

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