僕が出会った狂人達❷

東京へ上京してから初めてやったアルバイトは渋谷の円山町にある、とあるラブホテルの深夜の清掃員だった。
居酒屋とかコンビニとかデリバリーとかいわゆるポピュラーなアルバイトをしようと思ったのだが、せっかく東京に来たのだからど真ん中の荒れ狂った日々欲望渦巻く男女の恋恋慕を目の当たりにし
世の中の影の部分を見てみたいという訳の分からない理由だった
履歴書の志望動機にもそのまま書いた記憶がある
今思えば本音が過ぎて気が狂っているとしか思えないが、何故か僕はラブホテルの清掃員として採用になった。
今思えば人員が足りな過ぎて誰でも良かったのだろう。
僕は晴れて深夜のラブホテルの清掃員となった訳だが、業務内容は至ってシンプルで男女の情事が終わりそれが帰ったらその部屋に行き清掃、ベットメイキングしにいく、それを夜10時から朝9時までやる、それだけだ。
日中は休憩客が多いためアルバイトが沢山いるのだが深夜はステイ(泊り)客が増える為、アルバイトは2人だけになる。
深夜のパートナーが野田さんというおばさんで年齢は当時60歳ぐらいだっただろうか
黒髪ベリーショートのマルチーズみたいな愛嬌のあるクリっとした瞳をしていて鼻の穴は小さく息を吸うたびいつも鼾を掻いてるようなコ〜コ〜といった微かな音を響かせ、120キロぐらいはあるであろう巨漢で動くのも大変そうで体力勝負のこの世界には不向きな体型をしていた。
しかし野田さんは10時からの出勤なのに必ず1時間前に出勤して、清掃の準備に余念がなかった。
準備といっても、深夜は回転清掃といって早く清掃をして泊り客を入れたいため一部屋10分ぐらいの清掃で済ませなきゃいけない。
洗剤は使わず、風呂の水滴を取るタオルと髪の毛を取るガムテープ、アメニティセットぐらいの簡易的なものでよかった。
僕が10分前ぐらいに出勤すると

「横ちゃんはせっこぎさね〜(怠け者)」

野田さんは岩手県民で東京に出てきてから30年ぐらい経つというのに岩手弁を取ろうとしなかったみたいで

「オラなんか1時間めー(前)には来てるのにさ〜」

この野田さんの習性のおかげで僕も30分前には出勤しなくてはならなくなった。
いよいよ夜10時、休憩客が一気に帰る時間ここからが僕らの本番だ、
控え室にある客室ランプが赤から黄色になるとお客が退室した信号だ
電光掲示板401号室が黄色になった
野田さんが限りなく重そうな腰をのっそり上げ

「したっけ(そしたら)横ちゃんあべ〜(行きましょう)」

の号令を発する
僕は清掃道具をセットし、いざ客室に向かう
アルバイトはエレベーターは使えず非常階段で主に移動をする
僕が401号室に着き客が散らかしたベットやアメニティを素早く片づけ、床に落ちた髪の毛などをガムテープで取り、風呂の水滴を拭き取り、シャンプーリンスがちゃんとあるか確認し、ベットメイキングだけにする、あと5分で部屋を宿泊部屋にしなくてはいけない
1分1秒を争う勝負の世界
あれ!?野田さんが来ない!!!!
どこだ?野田さんは!!!
そうだ、野田さんは120キロの巨漢
階段を登るのはアリが高尾山を登るのと一緒なぐらいノロかった・・・
僕が野田さんを探しに部屋を飛び出す
野田さんはまだ二階の階段でハァハァと鼻腔からコ〜コ〜コ〜と息を切らしている

「野田さん早くしないとお客が待機してます」
と僕がいうと

「横ちゃん一人でやってきてけろ〜」

「はーーーーーーー!?」

「オラもうだめだ一人でやってきてけろ〜」

早い!!早すぎる!!根をあげるのが!!!

マルチーズのようなつぶらな瞳をうるうるさせ僕に訴えてくる
それをされちゃあ断れない
致し方なく僕は一人で部屋を完成させることはいつもの事だった
野田さんは自力で二階の部屋までが限界だったしかしそれでは仕事にならない
野田さんは策を練り

「オラ足がうごがねがらエレベーダー使わしてけろ〜」

と持ち前の愛嬌フェイスを存分に利用し店長に直談判をした。
どうせ許される訳ないだろうと思っていたのだが
晴れて野田さんだけエレベーターを使うことが特例で許された
それからというもの野田さんの仕事への情熱は変わった
部屋が開くとすぐさまエレベーターに向かい僕より早く着くもんだから

「横ちゃんはせっこぎさね〜」

どっちがだ!!!

いざ2人で作業を始めると野田さんはすぐさま風呂場をぶんどる
なぜかというと風呂場の方が水滴を拭き取るだけなので作業が楽だからだ
ふざけやがって!!自分の体型不利という特性を存分に余すことなく使い果たし自分に有利に持っていく傲慢無礼な人格に不満爆発だったが
仕事がひと段落すると

「横ちゃんなんか飲むべさ」

といってジュースを必ず奢ってくれるので
いつも怒りがプラマイゼロみたいになって丸く収まってしまっていた

深夜のラブホテルは色々あった
渋谷という土地柄もあるのだろう
ホテルに入って来た瞬間キスをしている若者
エレベーター内で既にプレイを始めている男女
部屋から突如飛び出し泣きじゃくりながら帰る女子
それはそれで刺激的な現場だった
野田さんはキスをしている若者を見ると

「横ちゃんあれチューしてるべさチュー」

と興奮の色を隠さない
それを見て触発されるのか野田さんは旦那の話をいつも始めた

「うちの旦那は土方やってんのさ・・・なんたらかんたらetc」

何十回と聞いた口上から始まる恋の馴れ初めを僕に語った
申し訳ないが聞いちゃいなかった。

そんなある日の深夜
部屋が空室になり僕は階段で401号室へ野田さんはエレベーターで401号室に向かった
401号室前で野田さんと居合わせ401号室へ入る
入った瞬間異様な匂いが鼻をついだ
なんだこの異様な匂いは!!!
部屋の前の扉を開けると部屋中煙でいっぱいだった
部屋が火事になっていたのだ
一刻も早く109に連絡しなくては!!!
連絡しようとフロントへ行こうとしたのだが
野田さんがいねーーーーー!!!!!!!
どこいったんだ野田さんは!!!
あんな巨漢な、野田さんがすぐさま消えるわけがない
近くにいる
どこだ野田さんは!!
廊下にもいない!!
部屋にもいない!!
どこだ!!!!!!

いた!!!!

風呂場で水滴拭き取ってた!!!!

そうか野田さんは鼻があんまり良くないから煙の匂いに気づかずいつもの仕事へ没頭していたのか!!!
401号室は特殊な風呂で五右衛門風呂を、モチーフにした風呂だった
野田さんは五右衛門風呂にすっぽり入りタオルで風呂を磨いていた

「野田さん!火事です!すぐ部屋から出ましょう!!」

「そったらこといったってすぐ出られねべさー、横ちゃん一人で逃げてけろー」

このままでは部屋の炎で野田さんがリアル五右衛門風呂焚きされてしまう

そんな事はいくらなんでも出来ない
しかし五右衛門風呂は普通の風呂より堀が深く野田さんの巨漢と短い足では五右衛門風呂から出るのは至難の業だった、仕方なく僕があざらしのような体型の野田さんを抱き抱え五右衛門風呂から外に出すことに成功し、部屋を脱出し、フロントへ駆けつけ、すぐ109を呼び、なんとかボヤ騒ぎで収まる事ができた。
客が残したタバコの火の不始末のベタな原因だった。
なんとか大丈夫だった
安堵していると
野田さんが割腹のいい消防士に向かって

「この火事オラが第一発見者だべさ」

驚愕!!!

自分は言わば助けられた身なのにも関わらず
僕の事は何も言わずさも自分だけが手柄を上げた如く消防士に色目を、使っていた

とんでもないババァだ

この時僕は女子の業の深さというかしたたかさというかを目の当たりにした瞬間だった
どうにもふに落ちない!!

「横ちゃんなんか飲むべさね」

「大丈夫です」

・・・・

この時ばかりは野田さんの奢りも受けつけられなかった
野田さんは少ししょんぼりしていた

あれから十数年野田さんとは一度も会っていない
野田さんは今頃どうしているのだろう?
未だ巨漢を揺らしながらあのラブホテルにいるのだろうか?

あの時のジュース奢られとけばよかったかな・・・
ちょっとだけ悔やまれる

☆校閲☆