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コンポストと生ごみ

コンポストとは?

コンポストをご存じだろうか。
家庭から出るいわゆる「生ごみ」を堆肥化することを一般的にコンポストと呼ぶらしい。

僕がこの言葉を知ったのは、ごみ問題に関心を持ったから。
生活していればごみは無限に出てくる。
そのごみ達はどこに行くか想像したことはあるだろうか。

焼却炉で燃やされる?埋められる?魔法みたいに消え去る?
自分の目に映らないものは、存在していないのと同じで、無くなったと錯覚する。
でも、実際は場所を変えて、形を変えて、ずっと世界に残り続ける。
日本でも、ごみ処理は社会問題となっている。

そんなことを知って、自分が出すごみを少しでも減らそうと思った。
色々調べてみると、家庭ごみの約40%は生ごみらしい。

考えているだけでは始まらないので、コンポストを試してみた。
庭に埋めに行く作業は少しだけ面倒だが、今のところはストレスなく続けられていると思う。

ゴミは人間の基準

はじめてみて、一番の気づきは「ゴミをごみにしているのは人間」ということ。
生ごみは最もわかりやす例かもしれないが、食べれば食材、残せば生ごみ。

そんな生ごみだって、先に紹介した「コンポスト」で堆肥化してしまえば、もう「ごみ」とは呼べない。

結局、人間が社会生活を営むのに便利だから名前を付けているに過ぎず、ゴミかそうじゃないかなんて、その人にとって有益かどうかだけ。

意識が変わればゴミも変わる

つまり、今現在「ゴミ」と定義づけされているものも、見方や考え方を変えれば、ゴミじゃなくなるのかもしれない。

コンポストをはじめて変わったことがもう一つある。
皮をほとんど剥かなくなったこと。
今までは、じゃがいも、にんじん、だいこん、りんご、なし・・・。
だいたいの野菜や果物の皮を剥いていた。

でも、剥かれた皮を「生ごみ」ではなく「食材」としてみた時、捨てなくてもいいのでは?と思うようになった。
「皮に栄養がある」みたいな話はよく聞くし、食べてみようかと思ったのがきっかけで、それ以降はほとんどの皮を剥いていない。

食材や生ごみの話に限らず、誰かにとってのごみが誰かにとっての宝の山になるなんてことはよくあることだと思う。

意識を変えればゴミも変わる―――。
きっと他にも色々変わっていく。


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