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037「ムチャ」な無茶

パリオリンピックが終わったところです。見たのは陸上競技のみでほぼダイジェストだけですが堪能できた大会でした。
中でも常人を逸した人たちが居てすごいなと感じたものでした。特に結果がどうというよりも常識を変えちゃう姿勢がすごい。よく「壁」ってコトバを用いたりしますが、いきなり破ったり超えたりはできなくとも、挑むことでコツコツと少しずつでも破ったり超えたりできる、そんなきっかけがあるもんだなと感じました。

その原動力って何なんだろう?と思うと、それは「ムチャ」なんじゃないかと。

自分の中でさえ手前味噌ですが昔、よくそんなことやったなと感じることがいくつかありました。若気の至り?そんな感じの一つなんでしょうか。その時を思えば特に答えやゴールが見えるというよりも、今現在それをやらなければ済まないメンタリティだったように思います。今思うとそりゃ「ムチャ」だわと思うのは歳とった証拠か。

ではそういった「ムチャ」ってどこから来るのだろうか?特に「ムチャ」になれるトレーニングなんて聞いたこともないし、ハウツー本を読んだりしても「ムチャ」が育まれるものではない気もする。
たまに「動物になれ!」なんてアドバイス?もありますが「ムチャ」になれる本能を引き出せってことじゃないかと思う。けど言われてできてりゃ世話ないわけで「動物」になれるような環境を整えてあげたり、自分が動物にな(れ)ることで、世の中にそのハードルを下げてやったりすることくらいしかできないように思う。

もちろん逆に計算高く行動できる人をみるとうらやましくも思うが、たぶんそれはそれで、あるトレーニングの仕方があるような気がする。と言ってできる自信もありませんが。

大人になっても「ムチャ」できるかなって重要かな。
歳をとればそれだけ経験が増える分、余計な先読みしすぎてムチャできない頭の構造になっちゃう。

なので外側から「ムチャ」してみろ、と言って今すぐできるもんじゃない。たぶん自分の中にそのスイッチがあって何かタガのようなものが外れて、やけに視界が開けてて、そのスイッチが入るとカラダ中にものすごい電気が流れ、その動機が起きるんじゃなかろうか。例えば比較的おとなし目の人が突然突拍子もないようなことを始めたり。
歳をとった今、昔を思い出した原風景?みたいなものでした。

ただぼくは若い人に向けて「ムチャ」してみろとは言いたくない。むしろ歳をとった自分たちから率先して「ムチャ」になれることの方が重要じゃないかと思う。
ぼくはフルやハーフのマラソンを走りますが、つい前半飛ばしすぎちゃうんですよね。まだ電気残ってるかな?前半抑えて走るようになったらぼくも終わりかな、と感じちゃいます。

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