或る罪深き「機械」の最期

雁琳の『晦暝手帖』

〈以下の文章は、2013年3月に山武正弘(やま、)氏によって刊行された同人誌『あじーる!第2号〜異端〜』に収録されたものである。同誌は現在入手困難であるため、必要最小限の校正を加え、ここに収めることとした。なお本稿は、短編小説である。今読み返すと稚拙な文章ではあるが、こうしたものも書いていたことの、アクセス可能な一つの記録として掲載した次第である。〉


「奴等が来ているんだよ、もう直ぐ其処に」
 屋根裏部屋で僕等は一層身を堅くする。隙間風のか細い音が哀しく泣き荒ぶ。雪の二月の風は、古びた建物の隙間を狙って這入り込み、コンクリートも鉄筋も凍る如く、骨身の底から温度を奪う。この死の温度の中で十数人の誰もが黙りこくって遠くに耳を澄ませる。深々と降り積もる雪があらゆる音を飲み込む中に、徐々に大きくなるタイヤチェーンの音と低いエンジンの排気音を聞く。
「僕等は、とうとう殺されるんだ、灰色の死神が、僕等の魂を強奪しに来るんだ、女も子供も容赦なく」「隣の街のめぼしい所は既に『一掃』されたらしいですね、今度は私達の番だと言うんですか……」「死ぬのは嫌だ、死ぬのは嫌だ、痛いのは嫌だ、痛いのは嫌なんだ」
 軈て近付いて来たジープのブレーキ音が鳴っては雪に吸込まれる。音から言ってジープは五、六台、ドアを素早く開け閉めする。少なくとも二、三十人は居るらしい。長靴が氷雪を踏む音と、一斉に撃鉄を起こす音。既に朽ちた壁の隙間から下を覗くと、真っ白な雪の中、灰色のトレンチコートを着た保安警察が自動小銃を肩に抱えて並び、二人が建物の入口に近寄る。インターホンを鳴らす。何度も鳴らす。これは儀礼だ。何か話しているようだが分からない。五階建ての屋根裏部屋からでは彼等は随分小さくて、ミニチュアのように現実感が無かった。あのおもちゃのゼンマイ仕掛けの兵隊達が、この建物に居る大勢の「反革命分子」を血祭りに挙げに来ただけじゃないとは、重々解っているのだ。彼等は僕を捕まえに、殺しに来たのだ。
 白い薄光が差し込む隙間から視線を外し、背筋を丸めて又コンクリ張りの薄暗い部屋の隅に戻って、そっと眼を閉じる。次から次へと、様々な記憶が心の奥底から浮かび上がって、像を結んでは意識の外へ消えていく。その度に、殆ど言い難いような深い感情が去来して、どんどん分厚くなっていき——外には益々雪が降り積もる。


 『もう10年も前になる、あの革命の日々。僕は首都に居た。僕は暴れ狂う巨大な渦の中心に居た。街路は大衆の熱く切なる希望と不安、そして圧制と貧困に対する怒りで燃えていた。ルサンチマンは高級店の窓を割り、剝き出しの欲望は店内の宝石や毛皮をかっさらっていた。全てが美しく、それを遥かに上回って全てが醜かった……
「……君も、一緒にやってみないか。俺が主催してるんだ。今なら入党費は無しにしとくよ」熱っぽく語る「彼」は頰を酒で火照らせては莞爾と微笑んで一枚のチラシを僕に渡した。「彼」は、仕事帰りに偶々寄った駅前の飲み屋で再会した中高時代の友人だった。それなりに成績も良く、何でもそれなりにこなしていたものの特に秀でた取り柄も無い僕と始終仲良くしてくれた友人だった。旧闊を叙することが出来るのは獲難い幸福であった。それに僕には、気の置けない友人が尠なかった。
「正気、なのか、君は」その頃、僕は大学を卒業して警官をやっていた。親が警官だったから。「彼」のような革命家と直に会合を持つなど無論言語道断だった。それに加えて固より政治には余り関心のある方ではなかった。しかし、他でも「彼」の誘いであることと、平坦で矮小な日常に対する言い知れぬ倦怠に飽きていたことから、話だけは聞いてみようという気になっていたのだ。
「何、君だから誘うんだよ。デモの鎮圧にもウンザリしてるんだろ」
 彼は確かに情熱に充ち溢れていたが、「革命家」の焦燥に駆られた悲哀感や息の詰まる過度な真剣さを全然持ち合わせていなかった。軽い、けれども、熱い。僕は心奥をすっと摑まれた。我知らず何かに飢えていたのかも知れない。その日から、平凡で懦弱な警察官は、忽然として革命家に早変わりした。その熱と独特の緊張感に浮かされながら、少し巫山戯た調子でこう言った。
「解った。手を貸すよ、我が同志よ」
 勿論、「彼」の手は、差し出した僕の手をがっちりと摑んだ。そして、自信と英気に満ち溢れた表情を綻ばせてこう言ったのだ。
「今日から君も仲間だ」

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