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【しらなみのかげ】「絶対的なるもの」の帰趨とデカルトの神の存在証明 #34


0.近代における「宗教」の諸相


前回の記事では、「宗教」への問いは「近代」への問いである、という私の根本的な学問的関心の核心を書いてみた。その概略を改めて記せば以下のようになる。

 

−自明の範疇であるかのように思われる「宗教」という概念は、それと対置される「世俗」という概念と共に、ルネサンス、宗教改革、そして近代国家と政教分離の成立と共に近代において歴史的に構成された範疇であり、近代の人々はこの「宗教」という概念の本質を問い求めることによって「近代(modernity)」を形成してきた。この「宗教」に属するとされる事柄が時代と共に切り縮められる現象が通常「近代化」或いは「世俗化」と呼ばれる歴史的現象であるが、その過程で「宗教」が<問題>として突き付けられることになった。

 

 

この<問題>に向き合う中で、それまでは「宗教」の範疇内のものとして理解されていた意味や価値が「非宗教」の範疇へと翻訳されることにより、「主権」、「藝術」、「道徳」、「歴史」、そして「ヒューマニズム」などの諸々の近代的な範疇が生成されていった。こうした近代の運動は、歴史的に構成された近代的概念を以て、歴史的な概念によって構成されることで生起した事象を<問題>として問うという性質を持っているが故に、否定を媒介とする反省的=再帰的な自己規定の繰り返しとして考えられるべきものであった。

 

 

近代という時代が、こうした「宗教」への問いに迫られた理由は、キリスト教における神と啓示が最早自明性を喪っていったことによる。神中心主義から人間中心主義へと不可逆的に移行し、全てが人間にとっての<問題>と化し、人間による人間自身についての絶えざる自問自答の中に巻き込まれていったのである。それは同時に、「近代」という自らの時代を歴史的に問うものでもあった。この反省的=再帰的な自己規定の繰り返しの中で「宗教」という範疇に括られていた意味や価値は次々と「非宗教」へと「翻訳」されていったが、やがては「宗教」も、その「翻訳」も、それらの歴史的系譜が追考される中で、一切はそのようにして構成された「言説」の束に過ぎないことが暴露されることになる。それがニヒリズムという根本的動向であり、ポストモダンという歴史的現象であった。そして私が今このようにして行っている考察それ自体、この歴史的現象の上にある。

 

 

そうして近代の延長線上に降り注いだポストモダンから雨のように長く延びた時代、これこそ私達が生きている21世紀の現代なのである−

 

 

およそこうした論旨となっている。この「しらなみのかげ」では、この記事の中では出せなかった事項や人名も含めて、多くの事象をこれから個別に取り扱っていきたいと考えているのだが、人名の方から言えば、私が今何より重要であると考えている人物がいる。

 

 

1.近世における「絶対的なるもの」とその終焉としてのカント

 

 

それは、18世紀のケーニヒスベルクの哲学者カントである。哲学の歴史においては彼こそが、「神からの語り」から「人間からの語り」への転換を成し遂げた人物に他ならないからである。しばしば言われるカントにおける「コペルニクス的転回」は「認識が対象に従うのではなく、対象が認識に従う」というものだが、「超越論的」(我々が一般に経験において対象を認識する、その可能性の条件についての)アプリオリな認識形式に着目した彼の哲学は、理性による「超越的」なものの認識の学である形而上学(自由、魂の不死、神)が置かれるべき適切な場所を、まさに経験成立の根拠の次元から探究するものに他ならなかった。その学的な営為は、人間の経験の形式の側から、超越的なるものについて、即ち「宗教」的なるものについて、改めて語り直す努力に他ならなかったと言えるのである。

 

 

このカントの超越論哲学は、ライプニッツ、ヴォルフ、バウムガルテンというドイツ啓蒙の哲学の系譜を引きつつ、それらを批判的に超克したものであるが、ラテン語由来の言葉を多用して綴られているその著作には、語彙の次元においてもスアレス以降の近世スコラ哲学の名残があると言われることもある。そして彼以降のドイツ観念論の哲学者達、即ちラインホルト、マイモン、シュルツェ、そしてフィヒテ、シェリング、ヘーゲルらにまで至ると、そのような名残は消えていくと言われる。こうした意味においても、カントはまさに時代の曲がり角であったのである。

 

 

この様にして、近代が生み出した「宗教」概念への問いは、神中心主義から人間中心主義へという近代の歴史的動向を産み出した。カント哲学の成立から考えるのであれば、ここで言う所の神中心主義は、「啓示」即ち聖書の言葉を基礎にして全てを理解するという伝統神学的な見方は勿論のこと、それのみならず、知的直観において見られる神や理性によって存在を論証される神を中心として全てを理性的に理解する近世哲学的な見方も又、ここに含むと考えなければならない。

 

 

このことは、スコラ以後(とは言え近世もスコラ哲学自体は続いているのだが)、カントとドイツ観念論以前の近世哲学とは何だったのか、という問題に対して一つの光を投げ掛ける。

さて、近世という時代は何と言っても、人類共通の理性による認識によって世界の根本法則が理解可能であるとする啓蒙主義が急速に発達する時代である。啓蒙主義を彩るのは、この世界に「遍在する理性」である。啓蒙主義時代の理性とは、自然全体に遍在する普遍的で一般的な法則を知解するという点において、或る種絶対的なものである。あらゆる事象がこの理性のフィルターを介されて理解されることとなる。このような理性主義の下、コペルニクス、ガリレオ=ガリレイ、ケプラー、デカルト、そしてニュートンによる「科学革命」によって、天動説の転覆を端緒として、アリストテレス的な目的論的自然観は失効し、数学的法則によって成る機械論的自然観が打ち立てられる。

 

 

そうした理性が、啓示、奇跡、そして教会といったキリスト教の伝統と権威と衝突することは言うまでもない。

この近世という時代は「宗教」という一般的な概念が形成される時代でもあり、そうした遍在する理性の伸張によって「宗教」の位相が著しい変容を遂げる時代である。

宇宙の創造主としての神は認める代わりに奇跡、啓示、預言の価値を否定する理神論(deism)、自然理性の光の下で神についての体系的な知を構築する自然神学(ニュートンは自らの物理学を自然神学だと考えていた)、或いは人間の自由意志の尊重と神の普遍的な救済を説くアルミニウス主義から派生して、三位一体を否定し神の唯一性を強調するユニテリアン、そして宗教的寛容と政治的自由、そして人道的友愛を主張する秘密結社フリーメイソンが登場する。これらに共通するのは、遍在する理性的世界秩序と調和する普遍的で一般的な神、そして「宗教」であると言える。

カトリックの内部においては、人間の信仰を純粋化する動向も台頭する。ジャン・カルヴァンの予定説の影響を受けて、人間の原罪と非力さを強調し恩寵の絶対性を強く重視するが故に秘跡を敬遠するジャンセニスムが貴族の間に流行し、その信奉者達がイエズス会と激しく対立したことによって物議を醸し続けることになる。

 

 

それに並行して、人間社会の秩序にも遍在する理性の光が当てられる。フーゴー・グロティウス、ジャン・ボーダン、ブーフェンドルフ、クリスティアン・トマジウスらによって自然法の観念が発達する。当時自然科学によって解明されつつあった自然法則の如く、法もまた自然に内在するのであり、理性によって理解可能であるという思想である。ホッブズ、ロック、ルソーらによる社会契約論も又、こうした論脈の下で現れる。政教分離も又、大きな闘争を経つつこの時代から発達する。

 

 

そしてこの時代には、こうした遍在する理性の力によって、啓示信仰からすれば異端となりかねないものも含めて、神についての哲学的思索が大いに発展する。

神即自然(deus sive natura)という一元論的な汎神論的な原理の下で神を徹底的に非人格的に捉え、厳密な決定論を唱えたスピノザ。「存在することは知覚されることである(Esse perpici est)」という原則の下に物質の存在を否定し、知覚する精神と感覚的な観念の原因としての神だけを実体と認めたバークリ。「すべての事物を神において見る」(voir toutes en Dieu)というフレーズで知られ、現象としての物体ないし身体の運動を認めるが、物体に原因を認めず、物体の衝突や精神の意欲を「機会」として、運動の「原因」を神に見出す機会原因論を唱えたマルブランシュ。無数に考えられる可能世界の中から神が最善世界を最も実在性のあるものとして現実化させるという最善世界説を唱えたライプニッツ。こうした人々が次々と現れたのである。

 

 

このような近世の啓蒙主義を総体としてどのように考えるべきかという問題は極めて難しい問いであるが、一つ確実に言えると思われるのは、この時代においては教会の権威と啓示や奇跡の超自然性が相対化されたにせよ、「絶対的なもの」が退潮した訳ではない、ということである。「絶対的なもの」は寧ろ、理性と直に結び付けられたことにより、啓示信仰とは別の形で絶対化したと言って良い。それは、「理性宗教」とでも言うべきものであった。

 

 

その成立には、「宗教」という普遍的で一般的な概念が誕生していたことが深く関わっている。そこで「宗教」は、理性と直に結び付くことによって、理性によって捉え返され、理性的な秩序の下で知解可能な形に組み替えられているのである。理性と「宗教」の一致こそ、大方の啓蒙主義者の願いであった。その為にこそ彼等は、宗教のうちに忍び込む迷信、偏見、倣慢、狂信を理性の立場から激しく批判し、「真の宗教」と「偽の宗教」を区別しようとしたのであった。

 

 

「絶対的なもの」は、別様の形態をも取る。何となればそれが、理性によって理解される世界の統一的な秩序である以上、神抜きでも成立し得るからである。百科全書派の中から現れる如き、キリスト教を批判して無神論や唯物論へと至り着く者達も又、遍在する自然理性によって理解可能な、自然の絶対的な秩序を疑うことはなかったのである。すなわち、後代に現れる如きニヒリズムはこの時代には現れる余地を持たないのである。

 

 

それ故、近世の人間中心主義には、理性によって理解可能な「絶対的なもの」が、「永遠の真理」として、人間にとって理解可能なものとして臨在し、全自然に厳然と遍在していたのだ。自然についての、そして法についての理性による「人間からの語り」は、「永遠の真理」として、そのままに「神からの語り」へと通じていたのである。このように人間の理性によって「絶対的なもの」をそのままに語ること、後世において「独断的」とレッテルを貼られることになるその種の語りは、極めて矛盾的であるが、時には人間が理性を通じて神の如く宇宙全体の神的なダイナミズムを語る、ということにもなり、将又、時には最早神的なるものを全く否定して全てを科学的決定論という運命論において語る、ということにもなる。前者の方向の極を歩んだのが『モナドロジー』を書いたライプニッツであり、後者の方向の極を歩んだのが『自然の体系』を書いたドルバックであったろう。

 

 

そして、このような形で近世という時代を主導した理性の絶対性を、人間の経験の有限性へと縮減した人物こそ、最初に挙げたイマヌエル・カントであった。カントを以て、「人間からの語り」は「神からの語り」と真の意味で切り離されるのであり、「神からの語り」が「人間からの語り」に、もっと正確に言えば「人間による語り直し」に置き換えられることになるのである。

 

 

カントにその役割を演じさせたのは恐らく、そうした「絶対的なもの」に基づいた知の成立そのものに徹底的な懐疑を向けた哲学者デイヴィッド・ヒュームであったろう。彼は、人間の認識を原初的な「印象」とその印象の再現である「観念」の単なる連合と集合にまで解体し、因果関係の必然性を人間の心理的習慣による蓋然性の形成にまで引き下げた。彼はこのような経験論の立場から「遍在する理性」といかなる意味においても手を切ったのみならず、啓示宗教のみならず理神論をも含めた「宗教」の徹底的な批判者でもあった。カントは、ヒュームの経験論に応答することによって、理性の絶対性を縮減せざるを得なくなったのである。

 

 

2.デカルトの神、その存在証明

 

 

しかしそこに至るまで、複雑極まりない転変を辿りつつも「人間からの語り」が決して「絶対的なもの」を離れることがなかった近世−そうした動向を象徴する人物としてここで取り上げたいのは、近世哲学の嚆矢となり、上記の啓蒙主義運動の全てに影響を与えた17世紀の哲学者ルネ・デカルトである。

彼はよく知られるように、絶対確実なるものを探究するために少しでも疑えるものは全て偽りと見做すという方法的懐疑の末に、「私は考える、故に私は在る(Je pense, donc je suis)」を絶対確実な第一原理として発見した。このように「私」の意識の事実から世界の全てを考える彼の哲学は、近代合理主義の嚆矢であり、そして、人間中心主義の始まりであると通俗的には言われる。

 

 

しかしながら、敢えて強く言うのであれば、少なくとも「人間中心主義」に関しては誤りである。このことは彼の『省察』を読めばすぐに気付かれることであるが、彼はそのとば口に立った所から、すぐに神中心主義へと舞い戻っていると言えるのである。彼は、方法的懐疑によって「思惟する事物(res cogitans)」即ち精神(mens)である「私」の存在を証明するが(第一省察および第二省察)、その後にすぐ神の存在証明を行い(第三省察)、その神の認識によって私の知性という認識能力の確実性と真理性を担保しているのである(第四省察)。そして、物体の存在証明と心身の区別は、再び行われる神の存在証明と同時に行われるのである(第五省察および第六省察)。

 

 

この議論の道行からも、デカルトの哲学が根源的に神中心主義の哲学であることが読み取れるであろう。では、デカルトは神をどのように論じたのか。彼によってなされた神の存在証明は三つある。

 

 

第一に、彼は『省察』第三省察において、私の精神における神の完全で無限な観念の、観念としての実在性(これを「表現的(或いは表象的)実在性((realitas objectiva))と言う)が、その原因として、完全で無限な神そのものが持っている実在性(これを「形相的実在性(realitas formalis)」と言う)を導くと考える(第一証明)。有限な私の意識の中にある完全性の観念は、そのような私が自分で作り上げたものはあり得ず、完全性そのものである神を原因としており、神が私の存在に刻み付けていると考える他ない、即ち、私の精神において神の完全で無限な観念があるということはそうした神の存在を原因であると考える他ないというのである。「表現的実在性」「形相的実在性」といった言葉遣いから分かる如く、デカルトは確かにスコラ哲学を厳しく批判しはしたが、デカルトよりも少し前の時代にフランシスコ・スアレスが大成していたスコラ哲学の枠組みを継承しているのである。

 

 

デカルトの「観念」(idea, idée)とは、精神によって直接に認識される全てのものを指すのであり、精神ないし知性の作用であると同時に思惟された事象をも含意する。そして、もののものとしての実在性である「形相的実在性(realitas formalis)」は、私の思惟が明晰判明に捉える観念としての実在性である「表現的実在性(realitas objectiva)」と、その実在性の度合において対応している。即ち、偶有性の観念が含んでいる実在性よりも実体の観念の含んでいる実在性の方が大きく、有限な被造実体の観念が含んでいる実在性よりも無限で完全な神の観念が含んでいる実在性の方が遥かに大きくなる。ここから考えれば、無限で完全な神の観念は必然的に神そのものの存在を示さざるを得ず、しかも、そのような無限で完全な神の観念が有限である私自身に由来することはあり得ないので、神そのものの存在を必然的にその観念の原因とせざるを得ない、ということになる。

 

 

更に第二に、彼は同じ第三省察においては、そうした神の観念を持つ私の存在の原因を考え、所謂「連続創造説」という説から神の存在を証明する。彼は私の内に私を産出し維持する力能があるかを問い、有限な私にはそれが無いことを時間の観点から証明する。彼によれば、事物の持続としての時間は無数の部分である瞬間に分割可能であり、その瞬間瞬間は相互に独立で分離しているので、過去から現在への因果的連鎖、即ち私の時間的な継起を私の存在の根拠とすることは出来ない。何となれば、そのように相互に独立して分離した瞬間を超えて私自身の存在を保存する力は、その瞬間瞬間の一つ一つに存在を与えて(無から!)創造する力に等しく、当然ながらそんな力は私には無いからである。そうして彼は、持続する瞬間毎に私を含めたあらゆる事物を創造している力能と活動として神の存在を考える他ない、というのである。

 

 

又彼は、第四省察において、その神は完全であるが故に、虚偽や誤謬といった不完全性は持ち得ないのであるから「欺く神」は矛盾である、それ故に神は私を欺くことのない誠実な神である、と述べている。そして、私が虚偽や誤謬を抱いてしまうのは、神が私に与えた知性の本性によるのではなく、私という有限な被造物においては有限な知性よりも遥かに広い射程を持つ(無限である)意志が、知性によって知解出来る範囲を超えて、言い換えれば真と偽から逸脱して作用してしまうことによる、というのである。逆に言えば、知性という私の認識能力は、知性を与えた神によってその正しさが担保されていることになる。序でに言えば、この第四省察は、我々が誤り、過つのは、神から与えられた能力に問題があるのではなく、我々人間によるその能力の行使に問題があるからである、という形の論証を行っており、世界における悪の存在が世界の創造者である全能な神の善性と矛盾するものではないということを弁明する弁神論ないし神義論的な性格を濃厚に持っていると言える。

 

 

そして第三に、彼は第五省察および、完全な神の観念はその完全性故にその本性に不可分離的に完全な存在という属性を含む、というアンセルムス以来の所謂「神の存在論的証明」を行う(第三証明)。但し、彼の論証は、「最も完全な存在者」の「それ以上実在性の大きなものはない」という神の存在の定義から神の存在を論証するアンセルムスとは、その道行において異なっている。デカルトは、完全性という神の本性からして「必然的に」神を存在するものとしてしか思考出来ない、というのである。そしてこのように神において本質と存在は不可分離であるという認識は、三角形の内角の和が二直角に等しい、ということや、山の観念が谷の観念から分離され得ないことと同様に「明晰判明」な認識である、即ち必然性を持つというのである。神の存在の必然性は、馬を翼と共に想像するか、それとも翼なしに想像するかというような自由が与えられない性質のものだ、というのである。

 

 

これらの証明をどう考えるのかについては汗牛充棟の研究がなされてきたが、第一の証明と第二の証明が第三の神の存在論的証明にその概念的な根拠を置いており、そこに収斂するものであることは明らかであるだろう。何となれば、完全な神の観念がその完全性故にその本性に不可分離的に完全な存在という属性を含んでいなければ、私の思惟の中の神の無限な観念はあり得ないし、時間を通じて持続する私の存在も亦、あり得ないからである。真偽を認識する知性も又神から与えられたものであるとデカルトが述べていたことを鑑みれば、もしも完全な神が不在である場合、知性による私の認識の確実性と真理性もあり得ないことになる。

 

 

それ故に、方法的懐疑によって絶対確実なものとして導き出された「思惟する事物」としての「私」というものは、このようにその後になされた神の存在証明の方から考えるならば、自分自身の存在に関しても、真偽の判断に関しても、実の所は極めて不安定な存在であると言うことが出来る。このことをより一般化して言うのであれば、神という無限なもの、すなわち「絶対的なもの」に支えられて初めてこの有限な「私」と世界は在るというのだ。

 

 

実際デカルトの前提に従えば、「私」とは、有限な知性と無限な意志とを神から与えられた存在者であり、知性によって真なる認識を得ることも出来るが、その知性の有限性故に誤りも犯すし、過ちもする存在者である。この意味において、神と無との間の、完全な存在と非存在との中間者である。

こうした不安定な存在である私が確実性と真理性を得ることが出来る経路となるものこそ、事物、真理、思惟、或いは精神や身体や三角形などの諸々の生得観念と共に、その生得観念の第一のものとして神が私の精神に据え付けた「神の観念」すなわち「絶対的なもの」の観念に他ならないのである。

 

 

この意味において、「私」とは完全で無限な神に直に繋がる場所であり、詰まるところデカルト哲学とは、この「私」という場所において直に語られる神中心主義の哲学とも言えるのである。

 

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