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SDGsという第二の大転換(5)人類の成長は化石燃料がもたらした

…より続く

産業資本は人間の労働価値によって生まれたのか?

前回の章では、商業資本と産業資本の誕生まで書きました。産業資本、すなわち、固定資本(工場や機械など)への投資によって剰余価値/利潤を得ようという資本の動きの開始です。しかし、気になる統計があります。産業資本は次の形で表せます。

  • 投資→固定資本(工場や機械・インフラ)と変動資本(原料・労働力・エネルギー)→商品→販売(投資回収と利潤

ここで投資回収と利潤が増えるということは、左にある投資や固定資本・変動資本も増えたからということになります。その中で「エネルギー」に注目すると、驚くべきことに、か、当然のように、か、化石燃料の投入量と経済成長のカーブがほぼ同じような増加傾向を示すのです。

人口の増加は経済成長より早く始まっている。人口と共に拡大する需要のため、売れない危機を重視しなかった古典派経済学の誕生につながる(前章を参照)
化石燃料の消費量は1850年ごろからの急激な経済成長と同時に拡大する

現在においても景気が少し良くなれば、すぐに化石燃料の投入量が増えます。価値が生まれてくるのは労働によるという労働価値説の主張だけで良いのか、新たに疑問が生まれます。

人間の成長は化石燃料の投入によってもたらされたので、化石燃料価値説というのも、十分適切ではないか?ということです。

産業資本において固定資本の重要性が増した

このように産業資本において、人類の原料やエネルギー使用量が莫大に増えていきます。化石燃料、すなわち、エネルギーを上の式では「変動資本」としましたが、実は、機械や工場、あるいは、公共のインフラ(鉄道、道路、水道、ガス、電線、学校、、など)を作るのも、元は原料とエネルギーと労働力なので、その増大ぶりはものすごいものになったわけです。

  • 投資→固定資本(変動資本の投入で作られた)と変動資本(原料・労働力)→商品→販売(投資回収と利潤)

という流れが拡大します。

政治経済学の用語にすると、投資=金銭=Money=Geld(ドイツ語)、商品=Commodity=Ware(ドイツ語)となり、G-W-G' です。英語では、M-C-M' です。

前章で記した通り、固定資本に集中する産業資本は商業資本と隔絶しているように見えますが、実際は、原料や労働力を安く手に入れられれば、より安価に商品を作ることができ、それが売上と利潤の拡大につながるので、産業資本は商業資本を取り込んでいます。例えば、安価に原料を採掘できたり、奴隷も含めた安い労働力が得られれば、産業資本家も得をするのです。

とはいえ、アダム・スミスらが保護貿易や独占貿易、つまりは特権階級が推し進めた商業資本中心の重商主義を批判し、逆に自由貿易を推奨したのは、まさに産業資本を担ったのが、特権階級つまり貴族という地主層から外れたところから生まれてきたと考えたからです。この産業資本が多くの分業をもたらすことで、多くの人の雇用につながり、機会の平等への道を開くだろう。そのような機会の平等があるところにこそ、自由があり、それがすなわち共感に基づいた人間道徳の拡大につながると考えたのです。

実は商業資本においても産業資本においても、根幹にあるのは金融資本。つまり、貨幣から貨幣を生み出す資本です。

  • G-G'

貨幣から貨幣を生み出す投資家や銀行家がいるからこそ、その手段として冒険家・遠隔貿易家や起業家、さらには盗賊たちが取り込まれるのです。投資家や銀行家は国王や貴族にも出資・融資をし、旧態階級をも取り込むのです。

その意味で、アダム・スミスらが批判した商業資本主義、そして逆に推奨した産業資本主義ですが、その根本にある金融資本主義をきちんと批判できるかどうかが、本当の自由と豊かさへの道を近代が切り広げられるかどうかの重要点だったのです。(ここでいう「批判」とは「非難」とは違います。どのような原理で動いているのかをきっちりと見極め、より良い原理がないのかを突き詰める「批判」です。)その仕事はマルクスやケインズに引き継がれていきます。ケインズによれば、イギリスの近代の金融資本は海賊ドレイクの略奪品にイギリス王室が投資をしたところから始まります。金融資本の始まりは海賊と王室だったのです。また、後の章で触れたいと思います。

地下資源に手を出した人類を憂うルソー

産業資本はその扱う商品によって、次のように推移してきましたが、その各過程の変化のたびに、格段に多くのエネルギー、つまり、化石燃料である地下資源を消費し始めるのです。


この地下資源に手を出し始めた人類を憂う近代最初のエコロジスト、ジャン=ジャック・ルソーは「孤独な散歩者の夢想」で次のように記しています。素朴なエッセイですが、現在の人類には痛く心に迫る文ではないでしょうか。

地中に埋蔵されているその富は、人間の貪欲をそそらないために、彼らの目から遠ざけられたかに思われる。すなわち、それらの富が地中に隠されているのは、もっと人間の手近にある真の富の補いとして、他日、使われるための予備にとってあるのである。そして、人間は堕落するにしたがって、真の富に対する趣味を失うものである。そこで人間は、おのれの困窮を救うために、工業や苦役や労働に助けを求めなければならない。彼は地の底を発掘する。彼は、おのれの生命を冒し、おのれの健康を害してまで、地中深く想像の財宝を求めようとするくせに、享受することさえ知っていれば、大地がおのずから提供してくれる現実の財宝を求めようとしない。彼は太陽と明るみを避け、もうそれを見る価値のないものになりさげる。

ジャン=ジャック・ルソー『孤独な散歩者の夢想』(1776-78)

(続く)

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