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「君たちはどう生きるか」を通して自分の関心を語る大人たち

ついに鈴木敏夫さんが、「君たちはどう生きるか」について語った!

「じゃあ、ちょっとおもしろい話をしますね。僕の家、日曜日にはけっこう色々な人たちが集まるんですが、封切り直後の時には若い人たちが来て『もう一回見なくては』『見直して内容をちゃんと正確に理解したい』と話していた。そこにいた11歳になる僕の孫が『え、なんでもう一回みたいの?』と言い出したんです。彼はその前日に映画を見ていたのですが、内容を全部覚えていて、だーっと一気に説明できるんですよ。もう一人、ある女の子も、セリフや絵の構図まで覚えていた。それが子どもですよね。子どもたちは感想の言い方もすばらしいんですよ。『おもしろかった!』と。だけど、今のところ『おもしろかった!』と言ってくれた大人はいなくて、『考えさせられました』という人が多い。正直に言うと、考えさせるためにつくっているわけじゃないんですが……」

とはいえ、私は大人だから。。。解釈したい。

吉野源三郎原作の思い出

原作(?)吉野源三郎著「君たちはどう生きるか」は大学のゼミに入った時に担当教官に読みなさい、と言われて読んだのが初めてでした。これ、日中戦争の最中に描かれた昔の本。
まぁ、お説教っぽい本だなぁと思っただけでしたが(笑)、自分一人で生きてるのではなくて、多くの人や生物や物との関係性の中でその一つなんだよ、というような点が妙に印象に残った記憶がある。確かクラスメイトの苦境を助ける勇気が湧かないシーンの後にそんな話がされたのではなかったっけ?

地域政策論というようなゼミだったが、中間システムというコンセプトで、経済も政治もいろんな中間システムがあって、その関係性がいくつも絡み合い、移り変わって、現在の世界ができている。
マルクス主義の生産関係を中心とする決定論でもなく、新古典派のように市場が全て解決するという万能論でもない。
様々なネットワーク=中間システムに注目しながら、我々の共通の生活基盤である環境や都市や地域をどう組み直していくか、中間システムを観察し組み替えていくことで少しずつ変化を起こすことはできる、というような議論であった。

そういう流れからすると「君たちはどう生きるか」という本をなぜ学生に読ませたかったのかも分かるような気がするし、また、同名のこの映画に対しても、その点を深掘りしてつい観てしまうのが、私の見方なんだろうな。いろんな人の感想を見ても、今までの自分たちのもっていたいろんな関心ごとをこの映画に見出しているようで(褒めていても、貶していても)、なかなかおもしろい。

【ネタばれ解釈】

誰か1人が世界の運命を司っている、という、いわゆる世界系ですが、思考への強い反感を私は感じた。

前半は少年が独りよがりで周りで起きること全て自分のせい、みたいに思っていながら、実際は何もできなくて自分を傷つけたりしてる、疲れてる。

死んだ母が自分に勧めたかったというある本「君たちはどう生きるか」を読んでから、まさにその本にある通り、自分と世界はいろんな細かい要素で繋がっていて、だから、自分なんてほぼない、さまざまなつながりがあるだけって気づいてから、逆にあれやこれやをポジティブにやっていくようになる。

人間だけでなくて動物も石も繋がり。

だから、大叔父の世界系的考えを最後に否定して、鳥のフンまみれになっても世界の繋がりに戻っていく。敵も友だちになる関係性に。

ただ、残念なのが、天気の子、や、君の名は、のように最後は地方を捨てて東京に行くこと。腐っても東京なんだねって。

おもしろかった!?

確かに「おもしろかった!」シーンはいくつかあった。
冒頭の火災シーンとか、弓矢を作るとか、アオサギとか、死にゆくペリカンとか、、でも、以前の宮崎アニメは浮遊感抜群のおもしろいシーンがさらにあった気がするのと、ワラワラというキャラが単純すぎて、おどろおどろしさと可愛さが同居する過去の宮崎キャラグッズ生物のような魅力はまるで感じなかった。

『ナウシカ』漫画版と『天気の子』

宮崎駿監督の作品はもう「ポニョ」あたりから訳がわかんないのですが、、今作は、宮﨑監督自体が訳がわからないらしい。笑

ストーリーでカタルシスを得るようなハリウッド的映画作りはとうの昔に捨てている気がするのですが、だから話が薄いというような評はもう超越しているのでは?

映画とか小説でも演劇でもいいですが、ストーリーが分かりやすいのも良いのですが、その弊害というのも言われていて、その最たるものが現実にもそのようなストーリーがあるのだと見てしまうこと。イデオロギーとかナショナリズムとか新興宗教とか陰謀論とか枚挙にいとまがない。現実は、述べたように、多様な絡み合いが偶然のようにネットワークをいくつも作っていて、それがいつも組み変わっているのに。

今回の映画を見て、思い出したのは、ナウシカの漫画版と、天気の子。

世界を救うために働いている人が1名ほどいて、さて、救えるのか?救うのか?

ナウシカでは、人間世界を救うシステムを壊して、人類自体が破滅に追いやられるような選択をし、人新世を終わらせる。偶然のような世界で偶然生き残ったものたちが形づくる生態系に戻る。大叔父の宮殿はナウシカ終わり近くの楽園に似てるではないか。

天気の子もやはり少女一人で世界を救わせることを拒否した少年の話。

さて、「君たちはどう生きるか」はどうか?

維新の前あたりにできたという不思議の世界、それを支え続けて世界を支えると信じていた大叔父がついに崩れさろうとするのが太平洋戦争の原爆投下の少し手前。そこに意味はあるんだろうか?

その地位を引き継いだのか、引き継いでいないのか。インコ大将軍が邪魔をする。

華麗なる一族の女性たちが吉野源三郎の本を少年に託したのも含めて、その世界構造を組み替えていくようだが、、、いや人と動物の入り混じった関係性が世界を変えていっているのか??世界の根幹は石なのか、植物なのか?

ベックリンの「死の島」やワイエスの「クリスティーナの世界」ダンテ「神曲」、いろんな要素が組み込まれているようで、、やはりよく分からないので、みんなであれこれ話し合うのがまたおもしろい映画かな。

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