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限界を迎えるストレス耐性とイライラ感情との向き合い方

 いつもの年ならば、卒論終了〜新学期を開始するまでに、2-3日ほど休みをとってリフレッシュをしてくるのだが、肩書きが増えた今年はついに、たった一日も休みをとることが出来なかった。どんどん増えていく仕事と会議に対処が出来ていない。年度末はついに日曜まで会議入れるって、もう、なんというか、末期症状。

 こういう時はテントでも担いで、仕事もPCも持って、土日でも1泊でも良いから山に籠もって、ネットを遮断して、ビールでも飲みながら仕事をするというのが、今までの自分のメンタルセルフケアだったのだが、家族の用事が優先のために車を使用させて貰えず、それも封じられている。というわけで、12月から休みが全くとれず、ついにストレス耐性が限界を迎えてしまった。

 うーん、なんとかせなあかんのだが、もう新学期が始まって、今月の手帳はほぼ埋まっている。新年度になればなったで、コレ作ったはいいけど、一体このあと誰が集計して誰が見るの?みたいな書類が降りてくる。官僚の満足かなんだか知らんが、作る意義が全く見えない。なのでやる気も出ない。メンタルぶれぶれになる。

 いや、しかし、なんとかGWまで自分を持たせなあかん。頑張れ自分、と気合いを入れようとトイレで顔を叩いたりして虚勢をはってはみるものの、どうにもこうにも処理が回らない。これはちょっとストレス耐性が限界を迎えた気がする。というのも、イライラが止まらないのだ。

「大変お忙しいところ申し訳ございませんが、○月○日までに、添付の書類を良く確認し、○●●の作成をお願いいたします」

 というのが、次々ときて、その度にイライラしてPCを殴ったり、紙媒体で来たら、その書類の束を本棚に投げつけたくなる衝動にかられるのだ。このイライラの沸騰の仕方が、明らかに今まで違う。ギリギリ堪えられている。堪えられなくなるギリギリまで「逼迫している」感じがするのだ。年のせいもあるだろう。最近話題の男性版の更年期かもしれない。たぶん、こうやって暴走するおっさんが出来上がるんだろうな・・・と実感する。駅とか店とかで理不尽にキレてるおっさん達は、こういうストレスが限界を超えて、行き場のない負の感情が積み重なって、家族にもないがしろにされて、何もかもが行き場を失って、暴走するんだろうな・・・・と。哀れなおっさんの醸造方法みたいなのを実感として感じてしまう。

 ・・・って、いやいや駄目だ,駄目だ。そうなってはいけない。醸造されて出来上がったら、たぶん帰ってこれないぞ、これは、とギリギリで我に帰る。何か手を打たなければと考えたのが以下の作戦。

作戦1)出来ないものは出来上がらないと、いくつかの仕事を適度にほっぽり出して、「あいつは、もう駄目だ、役に立たない」認定を狙う。

作戦2)犯罪にはならないけれど倫理的にアウトな類いで、あいつ、マジでやばいおっさんだわ、という認定をくらう。

 って、ここまで考えて負のオーラが出過ぎていてやばいことに気づく。っていうか、作戦2は家族にも他人にも職場にも迷惑をかけない手段が思いつかない。そして作戦1を実行すると、結局は誰か別の人に地獄のお裾分けが行くだけになる。なので、ここは気合いで仕事をこなしつつ、なおかつ来年度には同じ仕事をしなくていいようにしていかなくてはいけない。そしてなおかつセルフメンタルケアをしなければ・・・・・・ということで、出た結論は

「歩く」

 に決定した。要はオキシトシンだか、セロトニンだか、脳汁を出せばいいんじゃないか? そのためには運動だ。ヘロヘロだろうがなんだろうが、散歩すれば、なんか脳汁の類いが出ると信じて、土日は夕方に1時間以上の散歩を試みている。散歩→風呂→ビールのコンボを、この2週間ほど土日に決めてみたら、ちょっといい。なんか脳汁がでてる気がする。でも、それによって精神の安寧がもつのは木曜日ぐらいまでだ。脳汁効果も4日間ということか。今日は、金曜日だがもうイライラが止まらなかった。あまりにイライラするので、仕事を放り出してコレを書いている。金曜日にはすっかりと駄目なイライラしたおっさんが醸されている。

 なんとか水曜日あたりに散歩にいける工夫をしなければ・・・そう考えているので、ここは筋トレかなと思っている。土日に散歩して、水曜日は夜に筋トレをすると。なのでアマゾンで筋トレ道具を眺めている。物色している。うまくストレスを健康のためのエネルギーとして昇華できればいいなと思う。


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