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回って、周って、廻る人生と研究指導

 現在、研究指導をしている学生さんで、最近では珍しい程に「気が利く」学生さんがいる。実をいうと他の先生が「手に負えない」「もう指導を続けるのはきつい」ということだったので、大学院進学を機に指導教員を替えて私と一緒に研究をすることになったのだが、どこが、どう「手に負えなかった」のか今のところは実感がない。その先生から詳しく事情は聞いたし、卒論はゾッとするほど酷い有様だったし、その騒動も見聞きしていたので、あれやこれやと段階を踏んで、ちょっと過保護かなと思う程に確認をしながらステップバイステップで研究準備を進めている。しかし、今のところ全く問題がない。確かにちょっと変わった学生ではあるのだが、最近の学生にしたら怖いくらいに気が利く。

 このコロナ騒動でもさくっと色々を諦めて、出来ることと出来ないことを相談してきて、出来ることに手をつけている。悪くない感覚だし、相談にくるタイミングも、尋ね方も、他の学生より上手い。研究テーマも(指導教員が変わったせいで)作戦を大きく変更しことから、私から色々な論文を渡しているが、夜も遅くまで頑張って勉強をしているようだ。某先生から聞いた内容は何かの間違いじゃないのか、と思いたくなる。今日は許可をとって大学に来てもらって、横について予備実験の説明をして、一部の実験を一緒に練習したが悪くない。独り言が多いのがやや気になったが、きちんと練習を積めば、老眼に悩む私よりずっと上手くやるかもしれない。

 名誉のためにいっておくが、この学生さんを「手に負えない」と言った先生は、とても優秀で、今までにも学生さんと一緒の研究をきちんとやってきている先生だ。決して変な先生でもないし、おかしな先生でもないし、変態でもないし、研究もしっかりしている先生で、学生さん思いの立派な先生だ。

 つまるところ、こういうことは教員を長くやっていれば誰にでもあるものなのだ。自分なりに思い出してみても、正直に言って二度とお会いしたくない気持ちにさせられる程に、うんざりさせられた学生というのはいる。子供が赤ん坊だった頃のことだが、どうして赤ん坊(と妻)のための時間を削ってまで、このクソみたいな学生がしでかしたことのケツを拭くために、我が儘で自分勝手なクソを煮詰めたようなウソの塊のために貴重な時間を使わなければいけないんだろう、と思ったことだってある。教員だってヒトなのだ、聖母じゃない。教育に携わるものとして一度は経験するであろうことだし、それが勉強(あるいは業)なのだと自分を納得させるには、まだ若かった。

 そういえば、先日もオンラインで、今年度はまだ大学に来られていない新規配属学生さん達とミーティングをしていたところ、びっくりすることを言われた。学生さんは基本的に自分たちの都合しか考えていないし、現在進行形で生じている不慣れな事象のなかで、ことの大小も含めて広い視野での判断など出来ないし、自分に生じている不都合について比較的に身近な大人である指導教員にぶつかるしか手段を持たないのだろう。コロナのことなんかよりも自分の夏休みの予定の方がよっぽど大事な学生だっているのだ。そもそもGWの予定を既に犠牲にした訳で、このまま夏休みの予定まで飛べば、もう人生最大の不幸なのだろう。ド田舎底辺大学の学生らしい物言いで面白かった。昔の私なら怒っていただろうか。今の私は、そんなものだろうと諦めているし、そういう理不尽に対して冷静に回答するだけの精神的な余力もある。でもストレス耐性の弱い先生ならば、簡単に心をやられてしまうだろう。

 自分の胸に手を当てて考えてみれば、自分だって酷い学生だった。スケジュール管理も、実験時間の管理もメチャクチャだったし、やりたいことがあったら、それに向かって全国どこでもテントを持って勝手に出かけていったし、アホみたいにバイトをしていた。あげくに野宿していて警察に職務質問されて大変だった時も大迷惑をかけた(指導教員が助けてくれた)。最後まで指導してくれたのが本当に不思議なくらいには面倒をかけた。一生、頭があがらない。指導教員には感謝と尊敬しかない。

 そういう意味で、業は廻るのだ。人生というのはそういう、自分がしてきたことや、自分がすべきことや、自分がしてこなかったことや、自分が逃げてきたことが「回って、周って、廻る」ものなんだろう。そう思える歳になってきた。だから当該の学生を受け入れるのに抵抗はなかったし、卒論の騒動を見ていた際に、なんとなくそうなる予感もしていた。しかし、今やっているのは所詮は「実験の準備」や「予備実験」でしかない。これから本当の実験に入っていく段階で、色々と起こるかもしれない。もしかしたら、その院生は卒論の騒動を反省にして、限界まで無理して頑張っているのかもしれない。いつか息切れするかもしれない。ドキドキしている自分もいるが、その時はその時だろう。ゆっくり立ち止まる時間があったっていいし、一悶着おきるぐらいの覚悟は出来ている。でも今日の感じならば良きチームとして組んでいけそうな気がして、ほっとしたのだった。

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