日向坂46四期生「新参者」感想 ~自信・役割・一体感~
はじめに
こんにちは。おふとんと申します。
リピート配信含め、新参者全10公演がリピート配信を含め完結しました。
私は5公演目を現地で、千穐楽を配信で観ました。
現地で観た時の感想は下記ツイートのALT機能で述べていますので、
良かったら読んでいただけると嬉しいです。
ここでは主に千穐楽のことと、新参者を通じての感想を書きたいと思います。
披露のたび深みが増す『ブルーベリー&ラズベリー』
Overture明け1曲目の『ブルーベリー&ラズベリー』。
彼女たちの始まりの曲のイントロでこちらを振り向く表情が、何か憑き物が落ちたようにきれいな表情をしているなと思ったのが一番最初の印象だった。
これまでも笑顔だったとは思うが、千秋楽のその表情からは明らかに自信の芽生えを感じた。
ライブ後のブログからも、その一片がうかがえる。
表情という面では宮地すみれの眼が、画面越しに僕の心をつかんで離さなかったのも印象深い。
最初に大きくカメラに抜かれた2番Bメロからライブの最後の最後まで、彼女の眼にはずっと覚悟の火が灯っていて、現地で参戦したときよりも魅力的に思えた。
「おもてなし会」から披露され続けているこの曲は、何も飾るものがない真っ白できれいな曲で、
彼女たちの成長をありのまま伝え続けている楽曲のように思える。
始まりの曲たち・ひらがなの曲たち
『ブルラズ』に続くのは、日向坂46始まりの曲である『キュン』と、けやき坂46始まりの曲である『ひらがなけやき』だった。
2月の「おもてなし会」以来、久しぶりに披露された『キュン』は明らかにそのクオリティを上げていたし、
最年少の渡辺莉奈をセンターに据えた『ひらがなけやき』は彼女たちにぴったりのように思えた。
長い、長い助走期間だったと思うが、ライブの最初でこの3曲を披露したとき、
四期生が「日向坂46」としてスタートを切った瞬間のように感じた。
それは1年苦しみながらその背を伸ばしてきた、
2024年の若葉たちに暖かな陽が当たるという確信でもあった。
そして「新参者」では「けやき坂46」の曲が多く歌われた。
ひらがなけやき、それでも歩いてる、イマニミテイロ、僕たちは付き合っている、ハッピーオーラ、ひらがなで恋したい、車輪が軋むように君が泣く…
千穐楽後のブログで平尾帆夏は、以下のように述べていた。
僕は正直、
「彼女たちは"日向坂46"に入ったのだから、ここまで"けやき坂46"にとらわれなくてよいのではないか」
と思うところもあった。
他のグループの披露した楽曲は今でも披露される人気のある曲が多く、欠員が出たときのカバー的な要素もあるだろう。
ただ、こと"けやき坂46"の楽曲については、今後も滅多に披露されることがないことが分かりきっているし、
披露されるとしても、四期生がそこに入ることは無いように思う。
つまり、彼女たちはたった10公演のためにこれらの楽曲を振り入れし、歌ったのだ。
日向坂チャンネルの舞台裏密着動画の中で、加藤史帆が4期生へ
「私たちの曲をやってくれてありがとう」
と涙ながらに伝えた場面は印象深い。
それは「先輩と同じものを背負う」経験が、けやき坂46を経験した世代と経験していない世代を繋いだ瞬間のように思えた。
そしてこれは同時に、日向坂46が"けやき坂46"をどこまでも連れて行くのだという覚悟だ。
今はまだ「あの頃の楽曲」であり、文脈の力を借りた存在だと思う。
でも、これから先"けやき坂46"を知る世代がいなくなってしまったとき、
彼女たちがこの力を引き継ぎ、さらに大きなものにしていくのだと思った。
一人一人が楽曲・ライブを通じて「役割」を得た
この10公演、自信と共に彼女が得たのは
「役割」
だと思う。
それはエースであり、リーダーであり、統率役であり、推進力であり、バランサーであり、包容力であり、陰日向のなさでもあった。
「日向坂46」としてのライブでは、それらの役割は先輩が担っていたと思う。
これは仕方ないことではあるのだが、
四期生のライブにおける役割は「四期生」であり、個々人に役割が割り当てられたことはほとんどなかった。
誤解を恐れず言えば、これまでの四期生は欅坂46のライブの隙間を縫って登場していた頃のけやき坂46と被って見えていた。
数曲の披露とMC、最後のほうにちょこっと出て合同披露。
その少ない出番に込められたパワーは先輩たちのようにいつも僕たちを圧倒していたが、自分にスポットライトが当たったと思えた時間はどれほどあっただろうか。
千穐楽の後、各メンバーに向けたメッセージがブログに表れているのは、まさに「役割」の芽生えなのだと思う。
4期生がキラーチューンに育て上げた『見たことない魔物』
『見たことない魔物』に圧倒されたという感想は、
SNSやいつも拝見している皆さんのnoteでよく目にした。
というか、言及していない人は一人もいなかったと思う。
正直なところ、新参者が始まるまで『見たことない魔物』がここまでパワーを持った曲になると思っていなかった。
HTT2023ツアーでも確かに盛り上がったが、今後も四期曲が作成されることを考えると、
このツアーが終わったら時々披露されるだけかな、、といった具合だと思っていた。
でも新参者が終わってみればどうだ。
僕は今、『魔物』がないライブが想像できない。
直近リリースされた曲の中でライブの定番になったのは『HEY! OHISAMA!』くらいなもので、それ以前に遡ると『アザトカワイイ』くらいまで戻ってしまう。
そんな中で『魔物』が新参者を通じて定番の座を勝ち取ったのは、日向坂46のライブにいいインパクトを与えるはずだ。
体が無意識にリズムを刻んでしまう、思わず声を出したくなってしまう日向坂ど真ん中みたいな楽曲。
20曲近く踊っているはずなのに、アドレナリンが止まらないかのように笑顔で踊る四期生。
藤嶌果歩が間奏で叫んだ
「日向四期に、ついてこい!」
という言葉は、会場も、画面の向こうの僕も巻き込んでくれたし、
「信じたい」と思わせてくれた。
『車輪が軋むように君が泣く』を観客と歌う意義
千穐楽でダブルアンコールが始まったとき、考える余裕がなかったというのもあるが、僕には何を歌うのか想像がつかなかった。
『車輪が軋むように君が泣く』のイントロが流れたときも、正直なところ「おお、この曲なんだ」くらいの感想だった。
もちろん良い曲だとは思っていたものの、僕にとってはずっとイメージがぼやけている曲だったのだ。
でも、このダブルアンコールで最後まで聴いたとき、
四期生がこの曲に対する視界を晴らしてくれた。
短くはあるが、明瞭にしてくれたそのイメージと僕が考える「この曲が持つ意義」を述べていきたいと思う。
「普通」のレールから逸れるのは、相当な覚悟と勇気が必要だ。
分岐点に立たされた「君」は「普通じゃない」レールに進みたいのに、
勇気が出ない。
一方「僕」は既に覚悟を決めている様子で、「君」にどう声をかければよいのかが分からない。
「君」は「僕」と一緒のレールに進みたかったのだが、どうしても踏み出せず、
「僕」は「君」を置いて教室を飛び出した。
「僕」は「君」の思いを背負っている。
あの時ブレーキを踏んで、瞼が軋んで流れていた涙を「僕」は見ていたのだろう。
年を重ねて、あの分岐点で「君」が感じていた苦悩、後悔を「僕」は理解した。
だから「僕」はその気持ちを背負って、自身を鼓舞するように
「回せ車輪」
と自らに鞭を打つのだ。
彼女たちは既に「新しいレール」の上にいる。
この曲を僕たち観客が歌う理由は、
彼女たちがそのレールの途中で句読点を打ちそうになってしまったとき、
推進力のひとかけらになるからなのだと思う。
おわりに:彼女たちが目指した「一体感」とはなんだったのか
日向坂四期生が新参者で掲げたテーマは
「一体感」
だった。
メンバーは「一体感」についてこんな風に述べていた。
この1年はファン目線でも、四期生にとっては苦しい一年だったように思う。
選抜制度でフロントやセンターに続々抜擢される他グループの「新参者」と比較して落ち込む、という類の話はブログや雑誌のインタビューで何度も目にした。
2023年の日向坂はある意味で既存ファンに優しい政策(タイミングの問題もあったと思うが)を推進しており、
そもそも機会が与えられない、表舞台に立つ機会が与えられない状況の中で、彼女たちは僕らが思うよりずっと孤独で、真っ暗な道の中を進んでいたのだろう。
というのも、「一体感」というテーマが掲げられたとき、
僕は「既に一体感はあるのではないか」と少し思ってしまったのだ。
でも、新参者を通じて変化した彼女たちの心境を目にすると、
「一体感」を彼女たちが感じた経験の積み重ねと、
それを新参者を通じて高めることができたという彼女たちの「自信」が、
さらに僕たちを巻き込んで渦のように大きな力になっていったのだと思う。
千穐楽の『ロッククライミング』のアウトロで、平尾帆夏が
「もっと歌って!」
と観客を煽ったとき。
自分が会場にいたらな、と心の底から思わせてくれた。
あの場は現地も、ライブビューイングも、配信も巻き込んだ、
「一体感」の頂点に達していた。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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