どれが本当?

何だってできる

そう思える時がある。

もう何もできない

そう思う時がある。

友が居て、夫が居て、仕事もある。

他愛ないことを話し、好きなお菓子を食べて笑う。

それさえ出来なかった。

未来を想いワクワクする。

どんな自分が居て、どんな顔をしているのか楽しみに思う。

それさえ無くなっていた。

とにかく全てを終わらせたい。

誰にも会いたくない、話したくない、動きたくない。

目を開けていることさえもしんどくて眠れなくても目を瞑る。

お昼間の暖かな陽射しさえも怖くて、カーテンを閉めて布団に潜り込む。

その空間だけが私の安全地帯だった。

そこだけは息が出来た。

安心したのも束の間。

この時間がいつまで続くのだろう、そう思ってまた泣いた。

なんで自分がこうなったのか。

分かってはいるけど、何故今なのか。

愛する夫がいて、その夫は私を愛してくれている。

好きな仕事をして、その仕事は満足にできていた。

なのに、壊れた。

もう、無理だ。

何が無理かも分からないけど、全てがプレッシャーだった。

私は何も出来ない人間だから求めないでくれ。

そう思い、耐える日々だった。

いつの間にか陽だまりは消えていた。

自分の呼吸さえ、体温さえ、分からなくなった。

日々を生きること、やり過ごすことに安堵し、

それが充実感だと、これが生きることだと思い違えていた。

全てができなくなって気付いた。

私は呼吸をしている。

温かい身体を持っている。

眠たいと布団に入って眠ることができる。

お腹が空く。

ご飯が美味しい。

陽射しの温もりが心地良い。

何故か忘れていたそれら全てが一気に溢れ出した。

ーーーあぁ、生きている。

よく言われるけど、立ち止まってようやく気づけた。

いや、思い出したんだ、本当の自分を。

夫が大好きで夫と過ごす時間を最大限確保したくて結婚したんだ、と。

生きる全ての原動力は夫だ、と。

人に依存するのは諸刃の刃だと言われようが、

愛する人が居て、その人のためだったら生きていけるならそれでいい。

その人が居なくなったら?

自分も居なくなればいい。

幼稚だと言われたらそれまでだが、そう言ってくる人は私にとって大切な人ではない。

私は私が愛する人に愛されるように生きる。

愛する人たちに喜んでもらえるように生きる。

自分を犠牲にしているわけでない。

自分を捨てられないから愛する人に尽くす。

愛する人が私を捨てないでくれるから。

私には私にしかない器がある。

どんなに似た仕事をしていても、違う器を持っている。

今まではその器を壊して容量を増やしたつもりになっていた。

今はもう、器に入るだけでいい。

壊れて溢れるのはもう十分。

溢れた分は誰かに貰ってもらう。

私には私にしかない器だから。

溢れた分は私じゃないから。

壊れた器を金継ぎするみたいに美しくなりたい。


愛する人が居て良かった。

まだ世界は怖いけど、あなたが居れば息ができる。


何も出来ない私だけど、あなたを愛することだけはできたみたい。

壊れてもあなたを愛することはできているから、

それが私のできること。

仕事でも何でもないことだけど、唯一私のできること。


愛させてくれてありがとう。

今日も生きようと思えます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?