【エッセイ】まるで玉手箱のなかです【PTSD患者の竜宮城】
PTSDになる、という実感
体験した人にしか分からないもの、各々、ひとりずつ、異なる感覚、ショック症状、フラッシュバック。
PTSD患者を100人あつめても
そこは、
平和な村にはならない。
と、感じます。
でも、
痛みには優しい、
痛がるひとはいたわる、
「忘れろ」
「早く忘れろ」
「忘れらないならもう病気だ」
そんな、言葉を正義をにぎりながら叫ぶ、叱る、怒鳴る、そんな他人はいないはず。
よく言われます。
どうして忘れないのか。
忘れられないのか。
それは……
人によります。
大事な一人娘を目の前で亡くしたお方なんて、忘れられないのは当たり前です。
レイプされたお方なんて、忘れたいのに、忘れてしまえれば、と、祈るのに、体と脳と魂に刻まれてしまいます。
トラウマもよくにたものです。
私たちは、異常者ではないと思います。
ただ、玉手箱を持っていて、竜宮城にどこか心が一部分、囚われているんです。
竜宮城から出られるか、
出てくる気もないのか。
出られたとしても、
玉手箱をあけてしまうのか。
開けず、床の下に閉まって、あるいは心の飾り棚に置いておけるのか。
どれもPTSDを克服するうえで
異なる段階であるはず。
そして
どれでも
正解は、無い、はずです。
正解は、そのひと、患者になってしまったひとが、胸を撫で下ろすことができて……
PTSD一連の症状が出なくなったとき。
そのひとにとっての正解は、
『これ』
だった、と、ひとつの事例ができるだけです。
私は、玉手箱は見つかっていると思います。目の前に、ずっと両手に抱えています。でも竜宮城から出ることができません。
呼吸が止まる症状が出たり、
排泄をコントロールできなくなったり、
肉体が
竜宮城から出られません。
私は
だから、せめて
竜宮城のなかにいても、好きなこと、楽しいこと、したいな、と。玉手箱を常に抱えながら、竜宮城のなかから、外の世界にいつかまた、出たい、と。
たぶん、ささやかな願いを持っています。
玉手箱のなかには、それも、入っているはずです。中身を知っている、パンドラの箱です。
希望は、玉手箱を持っているひと、わたし、あなた、自身であろうと。
思います。
でも、
竜宮城のなかから出られなくても
元気に楽しく、笑うことだってあります。
にんげん、だもの。
そうなれるよう、憧れます。
あなたもきっとそうですよね。
明日も生きましょう、ね(ᐡᴗ ̫ ᴗᐡ)♡
END.
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