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Episode:15 IMAXシアターでスクリーンを見上げる意味

素晴らしい!

これぞ映画をIMAXで体験するという醍醐味!至福!

IMAXポスターも素敵なデザイン


NOPEをIMAXレーザーGTで体験してきました。これぞIMAXレーザーGTを味わう醍醐味!約50分もの1.43:1の映像をこれでもかと堪能できました。本作を逃すと次はノーランの新作「オッペンハイマー」まで1.43:1を楽しめるIMAX映画はないはずなので、ぜひ見逃さずに堪能してほしいです…

フィルムカメラで撮影されているその意味を考えると感極まります…



通常のスクリーンですと額縁上映になったりするらしいです。なかなかIMAXシアターは少ないので大変ですが、出来る限り可能であればIMAXで観てほしい…

これはもはや別物…


IMAXカメラで撮影してる人を、IMAXスクリーンで観る、というメタ的贅沢…この作中の撮影監督ホルストが完全にホイテマなんよ…あの手巻きIMAXフィルムカメラは実際に改造して作ったらしいです。

このホルストは作中でずっと4:3か1.43:1の映像の編集作業をしていて、あれが全部捕食動画なのも怖いし、普段はフィルムにこだわってる人なんだなぁキャラクターの背景が伝わってくるのが良い。恐らく冒頭のCM撮影の仕事は飯のタネと割り切っている。だからこそ命を賭してまで、映像に関わる職人の矜持として「不可能な映像」を撮りたかったのでしょう。撮影前になにか薬を飲んでいたのでもう余命が少なかったのかも。

IMAXカメラをコキコキやるところ最高に可愛い


↓ホイテマご本人(ノーランとタッグをよく組むホイテ・ヴァン・ホイテマが本作を撮影、世界一IMAXフィルムカメラを理解している御大)

黒いヒラヒラの服装とか完全に一致


深読み委員会的に最高に興味深い作品でしたので、以下勝手に深読みしていきたいと思います。



①イエローモンキーの皮肉と悲劇、子役の搾取

冒頭の黄色い服を着せられたチンパンジー→イエローモンキー→見せ物にされ、搾取、消費されてきたものとしての被写体のメタファーと解釈しました。

あのシットコムもすごく皮肉が効いていて、白人の両親の間の子供として、白人の長女とアジア系であるジュープが設定されている。あの家族の中でジュープは異質な存在になっていて、用意していたプレゼントを茶化される。ジュープ=コメディリリーフとしての役割。そして長女が用意した風船のプレゼントは両親からは絶賛される。しかし、それがトリガーとなり風船の破裂音でチンパンジーが暴れ出してしまう、というなんとも言えない構図。あれはつまり支配階層からの軽蔑や見下し、不要で一方的な偽善的施しということでしょう。

ミナリのお父さんが本作ではあんな目に…涙


唯一難を逃れたジュープでしたがイエローモンキー=アジア系人種だからこそ助かったのでしょうし、テーブルの下で最後に拳を合わそうとしたところも「E.T.」への皮肉でしょう(あちらは未知の生命体との意志疎通ができ友好的関係を結べたが、こちらは寸前のところで射殺されてしまう、黒人だけでなくアジア系への差別もたくさんあるという悲劇の表現か)

この直前のチンパンジーのドアップと、射殺後の飛び散る血糊まじで怖すぎでした…


あの惨劇の中で、あらゆる物が散らかった中で奇跡的に唯一垂直に立っていた靴=「最悪の奇跡」であり、あれに目を取られチンパンジーと目が合っていなかったからジュープは殺されなかった。しかしそれをジュープは自身を幸運で奇跡的な人間であると勘違いしてしまったのかもしれません。あの飛行物体GジャンをOJの馬で制御できる、見せ物としてまたひと稼ぎできる、と傲慢になってしまったが故のあの結末(逆にもしかすると、自身のセラピーとしてトラウマを乗り越えようとしていたのかも?)

この絵をサントラのジャケットに選ぶ狂ったセンス最高…


ジュープは子役として消費される存在、アジア系として搾取される存在と二重構造を持ったキャラクターだと思います。だからこそOJ、エメラルドの2人とGジャンとを繋ぐ橋渡し的なポジションになる作中の立ち位置も面白い。この作品は最小限の登場人物で脚本、展開、演出、主題を見事にまとめているのが本当に凄まじいと思います。

彼は自分のテーマパークで過去の栄光にすがりながら財を築くものの、しかしそのトラウマは払拭できず、あのチンパンジーとシットコムを自分の飯のタネにするしかできない人生を歩んでいる。子役はさんざん若いうちに消費され、そのイメージが払拭できずに病んでしまう方々が多い。アメリカでアジア系が商売を成功させるのは本当に困難だったでしょうし(まさに「ミナリ」のテーマがそれ)その繊細な役所を見事に演じきっていると思いました。

また顔面の皮膚を剥ぎ取られた長女役の方もパークの観客席にいましたが、特に女性はルッキズムに脅かされ続けている(子役のうちは可愛かった、歳をとって醜く老けた、などの中傷)ということでしょうか。シットコムの中ではたしか金髪だったと思いますが、パークの観客席に来ていた時は黒髪(ウィッグかも、意図的に黒髪のウィッグを選んでいるのか)だったので、あのシットコムの中で髪を染めさせられていた(白人で金髪の女の子という造形を押し付けられていた)と考えると彼女もまた、かなり深いキャラクターだと思います。

このキャラクター(とモチーフになった実在の方)の人生を想うと辛い…



②タイトルの意味

「NOPE」とは嫌悪感を示す言葉とのことで、NOのスラングのようです。OJがまじむり…って表情で絶妙の間を取って「Nope…」って車中で言ってるあのシーン最高でした。変に改変せずに、ちゃんとそのまま邦題にしてくれたのもありがたい。

「OPEN」のアナグラムにもなってるのかもしれませんね。向こう側の扉を開く的な。撮る側と撮られる側、そこにひとつの隔たりがあるが撮る、見る、ということはそれを開くということ。その覚悟を持ったもののみ撮る、見る権利がある。その覚悟もないものはその扉の向こうにあるものに喰われてしまう。映画館の扉を開いてぜひこの物語を見てほしいという想い。

「ONE P(erson)」これは考えすぎかも。ワンパーソン。1人目、第一人者。忘れ去られた馬の騎手。はじめて映画に登場した人物。

どうやら「Not On Planet Earh」の意味もあるとか。これはドキっとしました。すごい!監視カメラのカマキリや、馬小屋での子供たちのドッキリなどよく我々が想像する目が大きい宇宙人像(グレイ)を示唆しながらも、最終的にはGジャンはそのデザインとかけ離れた異形の生命体というのがよかったです。

IMAXフルサイズでこの映像を体験できて本当に感無量


そもそもあの飛行物体にGジャンと名付けるセンスがたまりません。Gジャンとはアメリカの開拓史におけるゴールドラッシュの象徴である。アメリカンドリームを夢見た人々がGジャン、Gパンを着て金鉱堀りに集まった。金持ちになるためのもの、という意味合いがここでも強調されている。ジーンズがのちに反逆や反抗の意味合いを持ってきたり、ドレスコードにおけるカジュアルなため排除されるファッションであることという点も踏まえると非常に面白いです。

あのGジャンをジュープの風船が倒す、というのも最初はなんでやねん!って笑ったんですが、よくよく考えると風船でゴーディの悲劇が生まれて、風船でGジャンにを倒すというジュープの復讐とも取れるのも面白い。

ガンマンが止めを刺すというこのカタルシス


また登場人物の名前もOJはいわずもがなO.J.シンプソンからの引用でしょうし、ジュープ=テーマパークの名称「ジュピターズ・クレイム」=ジュピターとすると、組曲「惑星」の作曲者であるからホルストでしょうか。ジュピター=太陽系で最も巨大な惑星=大きな存在=Gジャンってことかな?エンジェルは使徒。エメラルドは?と思い、宝石の意味を調べてみるとエメラルドには愛や幸福、希望という意味が込められているとのこと。おぉ…まさにエメラルドを象徴する言葉ですやん…


③撮る側と撮られる側の構造

「深淵を除く時、深淵もまたこちらを覗いているのだ」

交通事故にあった人を助けもせず、群衆がスマホ片手にその凄惨な姿をパシャパシャと撮影している。なんとも恐ろしく悍ましい、しかし現実に存在しているあの風景。被写体側の気持ちは?見せ物にされる気分は?見せ物としてどんどん撮る側が撮られる側を問答無用に捕食していくあの異様で不気味な姿、被写体側の想いが強烈に込められていると解釈しました。

Gジャンは撮影者と被写体としての両面のメタファーだと解釈しました。相手を見る、ということは見られているということ。大きい瞳のようなデザイン。まるでエヴァのサハクイェルのような造形も最高ですし、第二形態の本気出したゼルエルみたいに進化したのもたまりませんでした。

あらためて見るこのデザインの秀逸さよ
AKIRAオマージュといい、ジャパニメーションへの敬意を存分に感じました
あの白いユラユラしている造形は、畏怖。もはや神の存在のようで使徒感満載でしたね


じっと我々を見つめている。そして目が合うと捕食されてしまう。このあたりは黒人がよく白人から「こっちを見るな」と映画作品などの中で侮辱されるシーンを思い出しました。OJが撮影現場で伏せ目がちだったのも性格というだけでなく、普段白人から見るな、と言われていたということを表していたのでしょうか。普段から慎重にまわりを観察しているからこそ、いち早くGジャンの特性に気づくことができたのでしょう。見ること、見てはいけないこと、の所作について丁寧な描写の流れがあったからこそ、ラストのエメラルドへ向けた「お前をちゃんと見ているよ」のハンドサインは涙が出ました。

曽いっこ足らんって即ツッコむの好き


またあのGジャンは映画の歴史のメタファーでもあるのかもしれません。冒頭のCM撮影現場でもVFXをもちいているが、馬は本物の馬を使っているということでデジタルとアナログの共存を示しているのかもしれません(実際に本作ではチンパンジーもモーションキャプチャーで作られていたり、空のデザインもほぼVFXとのことでこの作品自体がアナログとデジタルの融合になっている)

Gジャンのデザインは瞳のようでしたし、カメラのレンズのようにも見えます。内部が開いて口のような部分が出てくると黒く正方形のようになっていました。あれはテレビなど4:3のアスペクト比→映像の始祖であり、ありとあらゆる電磁気を停止させる→デジタルなカメラでは認識できない→アナログで動いているものであり、それを手巻きのIMAXフィルムカメラ(1.43:1のアスペクト比)のみ姿を撮ることができるという構造と受け取りました。

あのカメラ監督がIMAXフィルムカメラを持ったまま取り込まれてしまう、という最後は、戦場カメラマンが命を掛けてそれでも撮りたいものがある、撮らなければならないものがあるというような想いと同じだったのでしょうか。

RAGE AGAINST THE MACHINEの Tシャツを着ていたOJ

OJが後半から着ていたレイジのTシャツですがその名の通り「機械への反乱」を意味していたのでしょうし、気になったので調べてみるとそのデザイン自体にも深い意味が込められていそうです。90年代にリリースされたらしいこのTシャツはメキシコの革命家エミリアーノ・サパタという方が描かれているようです。背面にはIt is better to die on your feet than to live on your knees(ひざまずいて生きるより、立って死ぬほうがいい)という彼の格言もプリントされているとのことで、ここに不可能な映像を死んでも撮るというホルストの信条も込められていると思いました。

正真正銘の命懸けの覚悟の下、最後の最後で井戸のアナログカメラで見事にその姿を収めることができた。つまり馬の騎手は忘れられた存在となってしまったが、OJとエメラルドの2人は歴史に残る存在になれた、という黒人としての歴史的復讐とも言えます。またあの井戸のカメラで4回写真が撮影されていた→写真を4枚並べると動画となる→映画とは写真の連続からなるもの、でありつまりこの作品は終始、映画の歴史について語ってきたものとも捉えられると思います。

ラストの馬に乗ったOJの立ち姿がパークの看板に収まって、ほぼこの構図になるという美しさよ…
panavisionのロゴが入ったスタッフパーカーを、最後の勝負服に着たのも最高


この本作のプロットに鳥肌が立ちました。主題や問題提起、風刺、皮肉やメタファーを散りばめながらちゃんとエンタメとしてパッケージしているという逆算的な、証明問題のような数学的な脳でジョーダン・ピール監督は作品と向き合っていると思いました。文章やセリフで説明するのではなく、絵の力、映像の力で伝える。この構造だからこそIMAXフィルムカメラをもちいて撮影されて、IMAXスクリーンで上映される意味がある。IMAX上映の説得力が増す。

リュミエール兄弟の「工場の出口」が世界初の映画だとばかり思っていました

家でサブスクを楽しむのもいいけれども、IMAXスクリーンでぜひこの構図を味わってほしい、映画の歴史に想いを馳せてほしい、映画というカルチャーが少しでも大切にされてほしい。作品の中にそんな想いが込められていたのでは、と勝手に受け取りました。作中の人々のようにぜひこれは大きなスクリーンで見上げながら鑑賞をしてほしい。

なんとかこの大傑作をIMAXレーザーGTかIMAXレーザーで観てほしいです…しかしエキスポはなぜか一日1回しかIMAXレーザーGT枠がないとか…ワンピースやトップガンと比べて商業的勝算が少ないのはわかりますが、もっとNOPEを宣伝して、IMAXフルサイズ映像の楽しさ、奥深さ、意義をどんどん広めてほしいとお節介ながら思ってしまいます。

NOPEは絶対にIMAX必須案件です!!!


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