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五感に触れるリアルな旅をまたするために、私は今を怠らない(#COMEMO)


11月3日。今年一番楽しみにしていたものが届いた。
大好き、いや、猛烈に好きなアーティストのツアーDVD。
開催されたのはちょうど1年前。2019年秋。
チケットの申し込みをするかしないか相当に迷った挙句、泣く泣くあきらめたあのツアー。

リビングの50インチTVは頑として息子くんが譲ってくれない。まあ、予想通り。
ならばと翌朝。早々に出社準備を整え、エンジンスタートボタンを押す。10インチのカーナビ画面をめいいっぱい綺麗に拭き上げ、宝物のDVDを丁寧に滑り込ませる。私だけのライブハウスの幕開け。

広大な宇宙の空気感を纏った、かすかな切なさと明日への希望を感じるような美しいメロディーラインにのせて、ツアータイトルそのままに、オーロラを模した幻想的な映像が巨大LEDビジョンに映し出され、これから始まる異空間へと誘う。

淡いスモーク。
ステージを多彩に、眩く彩る数多の照明、レーザービーム。
4人が奏でるメロディに合わせて揺れる、5万個ものLEDリストバンドの光の海。地鳴りのような歓声。
時に激しく、時に切ない、生きたギターの、ベースの、ドラムの音色。
今ここに、全てを込めて歌うボーカルの彼。
じゃれ合いながら、瞬間全てを楽しむような4人の笑顔。

心臓が高鳴り、身震いする。全身の肌がきゅっとなる。
熱い何かが込み上げてくる、ライブ独特のあの高揚感。

ああ、これだ。
見たかった風景。
感じたかった空気。
聞きたかった音、声。

広大な東京ドームの異空間を、わずか10インチの画面越しに感じる。


束の間の朝のライブタイムは過ぎ去り、夕方。
隣車線の車がこっちを見るくらいに音量を上げて、1曲分、わざと遠回りをして帰る。
アコギを鳴らしながら、声の限りに歌う彼の姿に、胸がぎゅうっとなる。

やっぱりライブ、好きだなぁ。

🎸

音楽、特にライブの臨場感は私の人生のマストアイテムといってもいい。あらゆる五感を刺激するあの異空間と体験を求め、友人と安宿を取り、泊りがけでツアー参戦したり、鈍行列車で深夜2時帰宅になる東京ドームライブも喜んではせ参じたり、地元の小さなライブハウスのイベントに足しげく通ったりした。
子供ができてからは、まあそう身軽にというわけにはいかず、ここ数年は参戦が遠のいている。でもやっぱり、ライブでしか味わえないあの空気、感覚、感情を、やっぱりまた生で味わいたいと、小さな画面を見ながら思う


同じように、旅も私の生活には欠かせない。
かつては、まとまった休みの度に海外へ足を運んだり、事前に宿も取らず、成り行き任せな自由気ままな国内旅行をしたりした。
子供ができてからは国内に完全シフトチェンジして、初めは抱っこ紐を相棒にあちらこちらへと旅をした。だいたいは車の旅だけど、電車好きな息子くんに合わせて遠く近くに電車の旅をしたり、新幹線の連結切り離し作業を見ることをメインディッシュにした旅をしたり。

どんな旅でも、ガイドブックにはない景色に感動し、人との出会いに温かさや優しさを感じる。東北の地では、絶望から再び立ち上がる人間の強さと、奥底にある悲しみを肌で感じた。
そして、新しい世界、新しい体験に目を輝かせる息子くんの姿を唯一無二のお土産に持ち帰る。

去年の年末、息子くん人生初のパスポートを作り、旧姓のままだった私のパスポートを更新した。息子くん6歳。怖がって断固拒否だった飛行機にも興味を示し始めたこのタイミングを活かすべく、息子くん海外の旅デビューを2月にしようと準備を進めた。

その矢先。年明けから始まったこのコロナ禍。
仕事始めの朝目にした中国での原因不明のウイルス発生の一報に、言いようのない嫌な予感がした。私は、自社の海外駐在員の労務整備を仕事の一つとしている事もあり、その日朝イチで中国武漢の駐在員にコンタクトを取った。以降一週間、リアルタイムで現地駐在員が伝えてくる情報を目にし、その予感は確信に変わった。2月末に予約していた旅は即座にキャンセルし、春までの計算で家族分のマスクを準備した。結果的には、春までという見立てなんか全く外れて、今回の騒動は未だ収まらず、間もなく一年が経とうとしている。

地方の、大企業とは言えない規模の製造業では完全リモートワークとはいかないが、ニューノーマルと謳われる生活様式は随分身についた。
毎朝息子くんの体温を測り、所定の用紙に書いてランドセルに持たせる。
自分の体温を測り、出社してまずは申告。
会議の際の座席間隔、開催時間に気を配る。
社への来訪者にも検温を施し、健康状態のチェックシートに記入を依頼する。
社員食堂は対面構図にならないよう、座席制限。
バックにはマスクの予備と消毒液、アルコールウエットティッシュが欠かせない。自宅にはハンドソープのストックも。
日常の買い物、外食。常に周囲の人との距離を気に掛ける。

五感を刺激する素肌感ある物事はかつてのものとなり、距離を保った、フィルター越しの体験がすっかり生活の一部になっている。
大好きなライブも、気ままな旅も、未だ随分遠いものになったまま。そしてこの状況の出口は依然として見えない。

✈️

日々報道されるように、人との接触を制限せざるを得ない現状では観光業・飲食業への影響は計り知れない。利用者である私たちがメディアの情報で知るより、そこから想像するよりもはるかに影響は甚大だろう。
多くの観光業では「資金調達による経営の維持・雇用調整助成金の活用等による雇用の維持・需要喚起の施策の検討と実行」に今も奔走し続けている。
政府主導の需要喚起施策であるGo Toキャンペーン。その経済効果は表れているとは言うが、


その効果が観光業全体に及んでいるかというと、やはり疑問符が付く。


そして、Go Toキャンペーンを発端とした感染拡大も一部で起きているという事実が、目の前にある。

出口が見えない今、感染の抑え込みと経済拡大の両立は、磁石のS極とN極のようなものに感じる。
ここで「あなたはどんな国内旅行がしたいですか」と今問われれば間違いなく、「感染リスクの少ない安全な旅」という声は大きいだろう。私もその思いはある。
だからと言って利用者側の希望だけを述べて、その施策や対策を自治体や観光業界に丸投げするのも違和感を感じる。

例えば、自治体の設備投資補助金制度も整っていない地方の個人経営の宿泊施設が、都心の有名ホテルのようにチェックインから滞在中の一切、最後のチェックアウトまでを網羅する完全な非接触システムを導入できるか。導入できたとして、システム導入費用の回収までどれくらいの年月が必要なのか。費用の回収が完了する前に世の中が再び変化する可能性もある。

システムだけではなく、目先のニーズに応えるべくハード面の改修工事を施す施設もあるだろう。
全てがそうとは言えないが、今無理を承知の投資が、結果近い将来に命取りとなり得ることだってある。禍が更に長期化すれば資金繰りもさらに厳しくなるだろう。ニュースにはならない苦しい現実があちらこちらにあるはずだ。

未曾有ともいえる禍においては、提供側の努力だけでは成り立たない。利用者側の意識向上と協力が間違いなく必要不可欠だろう。だから、
もし私が今旅をするのなら、常に見えない誰かを思いやり、将来につながる旅がしたい。
それは、自分が感染しないという事だけではない。自分が旅先の土地やそこに暮らす人々に対して感染拡大の元とならないように。あらゆる努力を日々続けている沢山の観光業界の人々の努力を無駄にしないように、日々の生活からできることをしっかりやり続ける。

そして旅に出て日常から少し離れた時。ニューノーマルと言われる日々の生活で行っていることがおざなりになってはいないか。つい、とか、せっかくだから、という気の緩みが生じてはいないか。自分の家族を思って日々の暮らしでしていることを、旅先で束の間交わる人々に、その人々に繋がる見えない家族に対しても、同様に思いやりを持ってできているか。むやみやたらと周囲に自分中心のモラルとかいう何かを強要してはいないか。常に心に留めながら、振り返りながら、思いやりと共存共栄の心を持って、未来へと繋がる小さな旅から始めたいと思う。


そして私はまた、五感を刺激する自由気ままな旅がしたい。画面越しやバーチャルでは決して見ることのできない余白の景色を、その時その場所でしか感じえない風景をこの目に焼き付ける旅を、人とのふれあいに心和む旅を、無性に涙がこみあげてくる旅を、またしたい。そういう経験を息子くんにも沢山させてあげたい。
大好きなバンドのライブに行って、大声で歌いたい。10インチ越しに見たあの風景を、5万分の1の観客となり、この目で、耳で、肌で、心で。五感の全てで絶対に味わいたい。これだって息子くんに体験させたい世界だ。
わたしのサビつき始めた五感ではもう感じれないあらゆるものを、これから青春を迎えていく息子くんには沢山、素肌で、その多感な感性を持って感じてほしい。

人によって求めるものは違えど、リアルを求めてしまうこれは多分、人間の本能の部分なのだろうと思う。
だからこのニューノーマルと言われる生活様式が、少し先の未来で「あ~あんなことあったね~」と懐かしく語れるものにしたいし、必ずそうなると信じている。

リアルを取り戻すためには、まずは今。
誰かにしてもらうのではなく、一人ひとりができることをしっかりと続けていく。
そうして自分にできる小さな積み重ねの継続が、共存共栄の思いやりが、ポスト・インバウンドにもなりうるような国内旅行の土壌となっていくのではないかとも思う。


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