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管理職は必要かの議論の前に、日本の管理職ってやたらと仕事が多すぎたりしませんか?


日経COMEMO、今回のテーマ企画のお題。
直球ですね。
個人的に好きです。この直球感。

このお題に対する今時点の私の考えは、

「管理職の必要性は、まず業種業態により、更にはその企業の方向性による。
管理職が必要となる場合、求める役責に対する成果を十分得るためには、業務の明確な分化専任化が必要。
現在の日本のビジネスにおいての課題は、存在の必要性ではなく、顕著なプレイングマネジャー化による管理職の業務遂行力の低下。」

だと思っています。
身近なところこらの視点になりますが、以下にその理由を。


1.管理職の必要性はまず業種業態により、更にはその企業の方向性による

先日、LOVOTを開発しているGROOVE X社CEO 林要氏のお話を伺う機会がありました。

この中で林氏は、GLOOVE X社では、管理職を含めたヒエラルキー(組織階層)を導入していない、とお話しされていました。

LOVOTは「人の心の成長にコミットする」という新しいコンセプトのペット型ロボット。
個々のアイデアや技術提案に制限を設けさせず、相互意見・技術の交換を極限まで活性化させることで、今までにない斬新な技術アイデアを生み出しコンセプトを具現化させる。
この新型ロボットを生み出すという ’企業方針’ のためには、管理職のポジション自体が不要、という一例です。

一方。私が現在勤務している企業では、自動車用の電動パワーステアリング(EPS)パワーパックや電気自動車用トラクションインバータといった、車の ”まがる・止まる” を制御するシステム製品を開発しています。

車のまがる・止まるというシステムはまさしく人の命に直結するものですので、一切の不具合は許されません。
例えば携帯電話のように、製品リリース後にソフトウエアの不具合を都度アップデートすればいい、という物ではないのです。

近年自動車業界は100年に一度の変革期と言われ、またシステムは電動化の一途。特に搭載するソフトウエアは年々大規模化・複雑化し、必要性も増大しています。
そしてそれらは、現場責任者の言葉を借りて表すなら、「石橋を叩いて叩いて叩きまくって、それでもまだ渡らない」ような、膨大な開発と検証の繰り返しの土台の上に成り立つシステムでもあります。

ですので製品開発にあたっては、適正な品質を担保する為、「Automotive spice(略称:Aーspice)」という、自動車用ソフトウエア開発プロセスのフレームワークを定めた業界標準のプロセスモデルを順守したうえでの開発が必要になります。

このAutomotive spiceは非常に厳格な基準で、開発ステップも幾重に階層化されています。
また、前述のとおり、人の命に直結する製品開発ですので簡易なミスも許されるものではなく、企業責任も重いものとなりますので、組織階層や管理者=管理職は絶対的に必要な存在となります。

これはあくまでも一例ですがつまり、業種業態、しいてはその企業が何を成す方向性にあるかにより、管理職の要不要は分かれてくると思います。


2.管理職が必要となる場合、その役責に対し求める成果を十分得るためには、業務の明確な分化専任化が必要

あくまで自動車業界(自社)においてですが、管理職が必要な場合、その役責は、
①組織の方向性を決定し、組織全体の人とマネーコントロールを含めて管理統括する「マネジメント」と、
②技術開発・技術革新を進める上で必要となる高度な技術と経験値を持ち合わせ、現場においての管理統括を行う「スペシャリストプレイヤー」
とに分かれます。

スペシャリストプレイヤーとしての管理職はいるのか?という議論もあるかと思いますが、あくまで自社で考えると、車載製品の開発には非常に高度な技術が求められるうえ、厳格に定められた開発プロセス遂行のためにチームも細分化されており、現場の位置で高度な技術と幾多の経験値、的確な判断能力を持ち合わせた統率者=管理者が必要となります。

更に、自動車業界は先行開発というものも重要となります。
先行開発とは、将来の自動車に必要となる技術を読み解き、現状を分析・課題認識した上でプロジェクトを形作り、新たな製品技術開発を行うことを指します。
これにもやはり、技術力と経験値以外にも、未来を読み解く広い知見と課題解決力、チーム統率力を持つ管理者が必要となります。


どの企業においても、管理職が必要な場合、しかるべき理由としかるべき役責がある。
この役責は勿論組織において、しいては企業運営においても重要なものですので、プレイングマネージャーとして一人が広くすべてを担うのではなく、明確に分化専任化されてこそ、企業が求める成果を得られるものと思います。


3.現在の日本のビジネスにおいて課題となっているのは、存在の必要性ではなく、顕著なプレイングマネジャー化による管理職の業務遂行力低下

じゃあなぜ今、管理職がいるか否かの議論がなされるのか。

前述のとおり、管理職が必要な場合はその企業において、目的と求める成果があるから。
でも現実として、数多くの日本企業においては、管理職の仕事があまりにも多角化=顕著なプレイングマネージャー化しており、管理職自身が日々の業務に忙殺されパンク状態に陥り、求められる成果を上げれていない結果、だと思います。(勿論、そうでない企業もありますが。)

このコロナ禍において活発となったテレワーク。
テレワークでどのように部下を管理し評価するかが一つの課題となっていますが、テレワーク導入よりもはるかに前から、評価者たる位置にいる管理職が、全ての部下の業務を把握し適正な評価ができる体制に組織としてあるのか否かという一つの問題があると思います。
緊急事態でのテレワーク導入は、その問題を表面化させただけに過ぎない。個人的にはそう感じています。

プレイングマネージャーたる管理職が担う業務は、
人の管理と評価をし、自組織のマネーコントロールをし、自組織の方向性を形作り統率し、幾多の会議資料を作り、ルーチンの承認作業を行い、時に社内の委員会活動も行い、自組織の業務進捗管理をし、場合によっては自らが作業者となる、など。

こうして書いただけでもオーバーワークは明らかで、すべての業務をパーフェクトに(もしくはそれに近いレベルに)遂行することが容易でないことは想像できます。
日々目の前にある業務遂行に忙殺され、結果業務が停留することも多く、これが起因となる問題が散在しているのではないでしょうか。

ですので、管理職が必要かという議論の前に、企業が管理職に対して求める真の成果を創出させるため、その役責を的確に遂行させるために、管理職の役責の細分化(ジョブ型化)と、その上での組織体系の再構築が先行急務なのではないかと思っています。
勿論大前提として、年功序列型のエスカレーター方式で管理職になったような、マネジメント能力やスペシャリスト能力など企業が求める成果にコミットしない、スキルの乏しい管理職は不要ですが。

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