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父親はそんなに軽くないぞって話

自分で言うのもあれだが、比較的育児をする父であると自覚している。
(違ったらごめんなさい。)

とはいえ、それは最近のこと。

もともと激務オブ・ザ・イヤーって感じの環境で働いていたので、
気持ちはあるものの、家に帰ってできることなどほとんどなかったし、
しなくていいと思っていた節がある。
何なら疲れ果てて寝てしまっている家族にどこか不満を感じてさえいたかもしれない。

それが間違っていないような気がしていたが、なんかそのからくりがわからなかった。なんかどこか気持ち悪さがある。
どう考えても自分が悪そうなのに。

ある後輩との話をしていた時に、その答えを得た。
後輩の主張はこう、
「いやぁ、クタクタになるまで働いて家に帰り、帰ったらなんか文句言われたり、先に寝てたりして、いやんなっちゃうんですよねー」

自分のことを高い高い棚にあげて、猛烈説教したことは言うまでもない。
でもほとんど当時の自分の主張と同じであったと思う。

自分が持っている顔(キャラクター)

人間には生活の中でいくつもの顔があると思う。
厳密に言えば二十面相くらいはゆうにありそうだ。

今回は、このいくつかの顔について紹介したい。

仕事人としての顔

キャラクターとしてプライベートと仕事のときとで、結構なギャップを作っている。仕事をする上で、最も仕事しやすい自分というのがあって、そのスーツを着ている感じ。昔とはだいぶ違うけど、それは今でもその傾向はある。

まず、この仕事している人としての自分が存在している。
この顔は仕事人としての顔であって、父親ではない。ここ重要。

父親としての顔

次に父親としての顔である。
ここが当時一番のひっかかりになってた。

一家を代表し、父として俺は働いているんだぜぇ(なぜかスギちゃん)

みたいな風に思っていた。
一日中働いて疲れた。
お金は持って帰ってきたぜ。
疲れたー。みたいな状態で、家についたらもうスイッチが切れている感じ。

今ならわかるよ。
お父さん、あなたの出番はここからよって。

なので、当時は父親としての仕事なんて言われても、「仕事」しかないし、
ほかはたまにいるおじさんが面白くて、じゃれてくる子ども相手に楽しく遊んでいて、育児をした気になっていたって感じ。ここが大間違い。

父親はそんなに薄っぺらくも軽くもない。
もっとたくさんできることがあるわけだ。

仕事しているとこの認識を持ちやすいかもしれないが、
よくよく冷静になって考えてみた時、専業主婦だとして、仕事のように給料とかアウトプットが明確でない仕事をあんなに頑張るのだろうか。
その方が辛いでしょうに。僕なら一人じゃ続かない。
自分が置かれた環境がラッキーなだけだということに気がついてなかったってだけ。

俺は稼いでるぜ、みたいな状態になるってことは、
稼いでないお前どうなん?みたいにも聞こえかねない。

聞こえかねないってことは深層心理ではそう思っている気がする。
だから、そこの理解がペラかったということで。
父親は仕事人とは違うものです。

夫としての顔

不機嫌であった理由にはきっとこれも関係ある。
もちろん、子供はいるのだが、夫婦。

ただ、よく考えてみれば、妻を自由にできるようなサポート、
例えば実家に頼んでヘルプしてもらうとか、そんなことでさえ、
大してやってこなかったので、そもそも母親の顔が妻の顔に変わる瞬間を自分が作ってこなかっただけということ。

男としての顔

一人の男として、趣味だ何だもあるわけで。
やりたいこともある。
そういう点もうまく時間を作れていなかったように思う。

この自分が持っている顔を把握できた時、頑張る理由が明確化できた。
最近は歴史の勉強やら、なんやらして、より一層、今の自分が置かれた環境がいろんな偶然やいろんな人の努力によって成立させられた賜物である、ということがわかっているので、だいぶ態度は変わったんじゃないかと思う。
(何度もいうが、違ったらごめんね)

言い方はあれだけど、素の自分みたいなものを表現できる時間なんていうのは、そんなにないんだけど、全然心地よい。なくてもいい。

それぞれの顔をしっかりと働かせて、長丁場の父親人生を満喫したいなと今は思う。

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