多様性の肝は公平性かもよって話
最近、多様性の文脈の中で、「公平性(Equity)」という言葉が出てきています。
男尊女卑の歴史が長かった日本において、女性が台頭してくることを、
自分にとってのリスクと感じる男性も多いと思います。
僕自身は、自然とこの先入観が消えてきた感覚が強くあります。
たまたま、女性ばかりの職場で働いているからだと思いますが。
女性の台頭がリスクだと感じるのは
女性の台頭がリスクだと感じるのは、おそらく結果が変わらないと思っていて、自分の活躍の場が奪われれると思うことが原因だと思います。
誰だってそうですよね。自分の領土、自分の見せ場、自分の評価を奪うものがでてきたら、それは恐怖を感じるのは普通だと思います。
ただ、発想自体が間違えているかもしれません。
女性を台頭に扱えていないということは、機能を50%しか使っていない状況に近いと思います。
片手でタイピングしているようなもの。
片目だけでものごとを見ようとしているようなものです。
片手のタイピングでは、当然速度は半分になります。
もし利き手が右手だとして、万が一、右手を怪我したら、万事休すですね。
なんのリスクヘッジもできない。
片目でものごとを見ようとしていたら、奥行きがわからなくなる、ピントもまともにあってない状態です。
つまり、それが当たり前のように感じてしまっているかもしれないけれど
常時損をしているようなものなんです。
僕自身、女性スタッフに助けられることがたくさんあるし、女性スタッフを助けることがたくさんあります。
チームのほとんどが女性の中で、僕一人で行うよりも成果はとてつもなく大きい。
あとは、平等と公平は違うことも念頭に置いておいた方が良いと思います。
例えば、長い産休と育休から女性が帰ってきたとして、その人を他の男性スタッフと同じ用に扱うのでは、無理が生じるに決まっています。
これが平等の考え方ですね。
家では、慣れない育児があるし、しばらくの仕事のブランクがあります。
いろいろな不安定な状況の中で、適応していかないといけません。
なので、普通の人よりも手厚くして初めて「公平」になると思います。
これをしたら「不平等だ!」という人がいると思いますが、
そのとおりです。平等と公平は違うから、ときに公平さを貫くと、不平等になるんです。
でも、不平等さと優しさって結構近いと思うんですけどね。
家に小さな子がいたら、その子に優しくなったり、甘くなったりするでしょう。
赤ちゃんに、大人と同じ厳しさを求めないのと一緒です。
女性が輝く社会になるためには、こうした優しさというか、不平等さを許容する流れが必要だと思っています。
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