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ホストマザーのチリコンカン

 日本では考えられないくらい広い庭を斜めに横切って歩いて、私の家のドアの二倍くらい横に大きいドアを開けると、ダイニングにはホストマザーのジーナがいた。

「ミノリ、あなた来週帰るんですって?」

 ソファに座って、『ファミリー・ゲーム/双子の天使』を見ていたジーナは、帰ってきた私を見つけると少し寂しそうに笑った。

「そうなの、ジーナ。私がこの家に来てから、もう一年近くも経ってしまったみたい。」

 ジーナの顔を見ていると、私もなんだか寂しくなって、荷物を持ったまま彼女の隣に座って、柔らかで温かい彼女の体に寄りかかる。
そんな私に、ジーナはちょっとため息をつくと、私の肩に手を回して、ゆっくりと抱きしめてくれた。

「あなたがこの家に来たばっかりの頃は、こんなに英語が上達するなんて思ってなかったわ。」

「ふふ、私も不安だった。でもジーナのおかげよ。ジーナが作ってくれるごはんがとってもおいしかったから、私は頑張れたの。」

「最初の週末、あなたは泣きながら夜ご飯食べてたわね。」

 ジーナと私は、ポップコーンを食べながら、私がこの家に来たばかりの頃の話をした。

「えぇ、よく覚えてる。一週間全部英語で頑張ってた緊張もあったと思うんだけど、ジーナが作ってくれたナチョスがびっくりするぐらいおいしかったからどうやって作るのか教えてほしかったのに英語でなんて聞けばいいのかわからなくて、1週間頑張ったのにこんな簡単なことも英語で聞けないなんて!ってショックで涙が出てきちゃったのよ。」

「私の料理をそんなに気に入ってくれてたなんて、すごくうれしいわ。」

 ジーナのごはんはいつも本当においしくて、ジーナがご飯を作ってくれる日はちょっと気になってたフランス人のルイからのデートのお誘いだって断って、学校が終わると一目散に家に帰ってたくらいだった。

「私もジーナみたいに料理上手になりたいなぁ。あ、そうだった!ジーナ、あのナチョスの作り方教えてくれない?あんなにおいしいナチョス、今まで食べたことなかったの。」

「もちろんよ、これを見たら一緒に作りましょうか。」

「本当?ありがとう!!!バッグ部屋において着替えてくるね!」

………………

 日本に戻ってきて3か月、ちょっと落ち込むことのあった私は、ジーナとゆっくり過ごせた最後の時間のことを思い出していた。
帰国して1か月後に受けたTOEICの結果が思わしくなかったのだ。オーストラリアにいたころはもっと英語の読み書きもリスニングもどっちもできてた気がするんだけどな、と思いながらスコアシートを封筒に戻した。
 一年間みっちりオーストラリアで英語漬けの生活を送ったし、ジーナとはお互いに得意料理のレシピを英語で教えあうくらい話せるようになったのに!なんで675点なんだろう。700点は超えると思ったのに……
考えれば考えるほど悲しくなってくる。

こういう時は、そう。おいしいものを、食べるしかない。

私は、自分の中のルールに沿って、おいしいものを食べることに決めた。ちょうどジーナのことを考えてたし、ナチョスにしようかなと思って、レシピノートを開く。

材料は、トマト缶に牛ひき肉、玉ねぎと赤インゲン豆と、Maggiのチリコンカンシーズニング、そしてサワークリームにチーズ、サルサソース。もちろんトルティーヤチップスだって忘れちゃいけない。
買い物リストを手に近くで一番大きいスーパーに向かった私は、そこでさらに落ち込むことになった。
Maggiのチリコンカンのシーズニングは、日本では売られていなかったのだ……

「そんな……今の私を慰めてくれるのはジーナのナチョス以外にないのに……」

私のお腹はナチョスを求めていた。他のものは受け付けてくれないだろう。仕方ない。これはもう、イチから自分で作るしかないかも。
私はスマホでオーストラリアのMaggiのサイトに飛ぶと、原材料の欄からスパイスを調べて、スーパーのスパイス売り場に向かったのだった。

クミンにパプリカパウダー、チリペッパーにコリアンダー、日本食にはあまりなじみのないスパイスを買い集め、私は記憶を頼りにキッチンに立った。

「で、できた!ジーナのナチョスっぽい味!!」

作り始めてから4時間後、さすがにMaggiの企業努力の結果は個人には完全には真似できなかったけど、なんとかそれっぽい味のナチョスを作ることができた。でもどうだろう、一番の隠し味は作った人の愛情って言うから、もしちゃんとMaggiのシーズニング使っててもちょっと違う味だなって思ったかもな、きっと。ジーナのナチョスは私にとって世界一だから。

私はナチョスをもりもり食べた。おいしくって寂しくって、前みたいに泣きながら食べた。
ナチョスばっか食べてると口がこってりするから、スーパーで買ってきたサルサソースも食べた。

……あれ? このサルサソースも味が違う。

それからというもの、私は毎週サルサソースを作り続けている。ジーナの作ってくれたサルサソースは、まだ再現できていない。もういっそのこと、ジーナに会いに行こうかな。
私は今までに試したサルサソースのレシピを書いたノートを閉じて、飛行機の予約サイトを開いた。



ホストマザーのチリコンカン

レシピ(直径30㎝・深さ15㎝の鍋いっぱい分)

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