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悪は存在しない 感想考察

今日はまじでなんもやってないのでこの前みた「悪は存在しない」の感想を語ります
※若干ネタバレ含みます


Filmarksとかやってる程度の映画好きなら最近話題のこの映画知ってる人多いと思います。それもそのはず映画「ドライブ・マイ・カー」でおなじみ濱口監督の作品なのですよね。賞とかいっぱいとってたすごい映画です。そんな監督の新作のわりにはあまり話題になっていないと思うのは、やってる映画館が少ないからなんですよね。自分もちょっと遠いミニシアターまで観に行きました。わざわざ観に行った価値はすごくあったなぁと感じたので感想書きます。


長野県の山の方の町である水挽町で過ごしている自称何でも屋?の巧とその娘の花の話。あらすじだけだとそう思っていましたが、大部分は水挽町で暮らしている住民全体と、水挽町にグランピング施設を作ろうとしてるコンサル企業側とのバチバチ対立を写している映画でした。

まず思ったのが、会話とか、情景とかの演出がすごくリアルだということです。
大部分の住民とコンサルの対立。これは本当にありそうな話というか絶対どこかであったんだろうなーという感じです。次に薪割りとか山の中花をおんぶして歩くシーンとか、長いワンカットであるからなのかすごく「本物」味を感じました(語彙力)。そして田舎で暮らしたことある人なら既視感ビンビンな景色の数々。自分も水挽町のような田舎出身なのですごく入り込みやすかったです。こういった要素全部込みであのキャッチコピー(これは、君の話になる)なのかな。とにかくこんなにリアルを感じた映画は初めてでした。
巧を演じていた俳優はもともとスタッフ側の人であり、監督した作品もあるほどの人であることを知ったときは驚きました。たしかフルメタルジャケットの教官もスタッフから演者になってましたよね。こういうことよくあるのかな。スタッフであんな演技されたら俳優涙目なんじゃないか。

コンサルと住民の対立だけの映画であれば、「美しい自然を守っていこう!」みたいな感じで終わるのですが、それで終わらないのがこの映画。見た人なら分かると思いますがこの映画はラストシーンで全てひっくり返されます。そんなラストについて自分なりに(拙いかもしれませんが)考察したいと思います。

考察にあたって自分が重要だと思ったのが
1.花の感情
2.巧の妻
3.バランスのこと
の3つです。

1,まず花の感情について。この映画のオープニングは下から見上げた山の木々をひたすら映し出されます。これはおそらく、学童から1人で帰る花視点だと思います。この映画はけっこう花視点の描写が多いように感じました。そのわりには、花の感情が分かりづらいんですよね。母親(巧の妻)が亡くなっていることを示唆する場面は多々ありましたが、その影響の1つだと思います。その中で、鳥の羽をじいさんに持っていこうとする行動が鍵だったんじゃないかなと思います。やはりまだ子供である花は、褒められることをしたい、という所はあるはずです。しかし、父の巧は無愛想なので十分な愛を受けていなかったんじゃないかな。もっと褒められたいという感情から、羽探しに没頭した結果ラストの失踪へと繋がっていると思いました。

2,巧の妻について。巧と花との写真があったりしたので、亡くなったのはそこまで前ではないと思います。写真の中の巧はとても穏やかに笑ってる表情でしたが、映画内の巧は基本無表情でしたよね。妻の死から性格が変わってしまったと捉えると、この映画はより理解することができると思います。ただ、細かい死因が分からず終いだったので、そこら辺の情報があればもっと感情移入しやすかったかもしれませんが、妻の死から巧の性格、巧と花の関係が変わったのはほぼ確実だと思います。巧は妻の死から、ある教訓を学びました。それが…↓

3,バランスについて。巧はコンサルの人との話し合いで、バランスが大事、的なことを強調していました。そのときのバランスの意味合いとしては、自然と人間の共存的な意味でのバランスだと思っていましたが、そういうわけではなさそうです。自分が考えるところでは、「片方が損をするなら、もう片方は得をする」的な意味合いだと思いました。

ラストシーン、花が手負いの鹿と対峙している場面でコンサルの男を締めた理由がそのバランスを取るためだったのかなと思います。ここで男が苦しめば、花は助かると思ってしまった巧の行動。バランスという巧の解釈は自然の脅威の前では無力だったのか。悪いのは誰か、という問題ではない。悪は存在しない。悪「は」存在しない。あるのは自然の理不尽さと無力な人なのかもしれない…。

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