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順調な滑り出しから引退まで

たまにはちゃんと本編から始めます(笑)
こちらも前回からの続きになります。

素人から始めた高校野球。
1年目は無事どころか出来すぎなくらい、試合でも登板させてもらい、僕はギアをあげて練習に取り組むようになります。

小中学時代はろくに先輩後輩なんてものを経験してこなかったので、人生で初めて後輩が出来た訳ですが、野球部に入ってからというものの、今までこんな縦社会を感じたことないくらいの縦社会を実感していたので、そんな自分にも後輩が出来てしまうという変な感覚でした。

だからといって偉そうにすることはないし、自分はどこまで行っても、野球をやり始めてたかだか2年しか経っていない。
どちらかというと、もう上は比較的近くに見えてきていたので、そこに追いつけ追い越せの意識しかなかったところに、下から追い上げられる怖さにビビっていました。

その頃の僕は好不調が激しかったので、チームの2番手~4番手あたりの投手として登板する日々でした。

プレッシャーに弱かったのか、大きな春夏秋の公式大会前になるといつも不調になり、練習試合ではいわゆる一軍メンバーのベンチ入りはするも、投げることはなく、後輩投手の台頭もあり、結局公式大会にはベンチ入りも出来ないようになり始めました。

この時、やはり甘くないなということの実感と、もっと練習しなければならないというプレッシャーを感じていたのですが、先輩方の夏が終わってしまい新チームの体制に変わることになりました。

初めての新チームでの練習試合のこと。

僕の学校では、練習試合前に背番号発表の時間があり、それが守備位置発表とベンチ入りの告知の仕方でした。

そしてここまでの流れで、後輩がエースなんだろうなぁと薄々思っていました。
とりあえず2番手には入って、残りの期間でエースを狙うために頑張るかーとさえ考えている所でした。

「だーすけ、背番号1」

ん?
聞き間違えたかな?

しかし反射とは凄いもので、理解もしないまま
「はいっ!」
と返事をしていました。

その後、背番号1を渡された時に初めて実感が沸いたと同時に、謎のプレッシャーを感じました。

その後すぐに試合が始まったのですが…

2回途中で6失点での降板。

その後、後輩投手が最後まで投げきり無失点。
 
僕は2試合目も先発をさせてもらえることに…

が、しかし…

またも3回途中で5失点での降板。

謎の重圧に勝つことが出来ず、人生の中で1番と言えるほどの屈辱を味わいました。

その後、すぐさま後輩投手にエースナンバーを奪われ、僕は2番手に成り下がることに…

少し気持ちが腐り始めていた2年生の冬季練習。

野球部での恒例であった、野球の練習最後に行われるサッカー中のこと。

僕はGKをしていたのですが、その時に右手薬指の骨折と靭帯断裂をしました。

僕は、これも何かのタイミングなんだろうなと思い、自分にノルマを課し、毎日各部位の筋トレと、長距離5km+短距離で200m5本、100m5本、50m10本、30m100本の合計10km走ることを骨折が治るまで続けました。

すると、冬に入る前はMax114km/hだった真っ直ぐが、春先には127km/hまで成長していました。

今思えば、当時終速で球速を測っていたので、初速では130km/hちょっとは出てたのかなぁなんて思ってみたり…

話が脱線しました(笑)

真っ直ぐのキレと球速が、走り込みと筋トレによってあがり、さぁここからだ!

と息巻いていた所、突然腰に違和感を感じました。

日に日に酷くなり、ついには立ったり座ったりすることすら困難になり、まともに練習が出来なくなりました。

きっとオーバーワークがたたったのでしょう…
毎日始発に乗り、部活終わりで家に帰ると、夜の21時過ぎ。
それに加えて、帰ってからも夜練と銘打って、いつも24時前まで、シャドーピッチングや走り込みをしていたのにも関わらず、クールダウンや身体のメンテナンスを、ろくにしていなかったことを悔やみました。

そこから様々な病院に通うも、全くよくなることはなく、3年生として迎えた春。

僕は残り数ヶ月を残して、野球をもうここでやめよう。と心に決めていました。

どんなに治療をしてもよくなることもなく、最後の夏の大会まで3ヶ月ほどしかない…

最後に投げることは出来なくても、ベンチに入れればいい 。

僕にはそう思うことが出来ませんでした。

やれることはやってきたし、自分の実力なんてこんなもんだったんだと。

あとは監督さんに言うだけだな。
なんて思っていたのですが、そんな時一通のメールが届きました。
送ってくれたのは、正捕手ではなく、僕が登板するときにバッテリーを組んでいた捕手でした。

「だーすけ、お前野球やめようと思っとるやろ。お前が毎日、馬みたいに走ってるとこいつも見とったぞ。素人から始めて、ここまでやってきたお前の根性はそんなもんか?最後の夏、皆で甲子園いくぞ。はよ治せ、ほんでマウンドに戻ってこい。」

僕はそこまで生きてきた中で1番の涙を流しました。

そして決心をしました。

「どこまで治るかはわからん。けど、最後まで諦めないし、絶対にまたマウンドに立つ!最後まであがいてやる!」

と。

それからは整体の先生を紹介してもらい、地獄のような施術とトレーニングを行い、6月には再びマウンドにあがることができました。

不思議なもので、球速をなどはまったく落ちることなく、むしろ身体が絶好調になったおかげで、前よりもキレと球威が増していました。

迎えた最後の夏の予選。

僕たちのチームは初戦で負けてしまい、僕はマウンドにあがることはなかったのですが、何故か晴れ晴れとした気分で、最後の夏を終えることが出来ました。

周りの仲間は皆、号泣していたのですが、僕は涙ひとつも出ることはなく

本当にやれることをやってきて良かった。
終わっちゃったなぁー、高校野球…楽しかった!

という感情でいっぱいでした。

高校編
~完~

と、そんな高校野球生活を送っていた僕ですが、ここから様々なことに襲われ、人生はドン底に落ちていきます。

次から大学、社会人編のスタート



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