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新しくネットサービスを始めるハードル

ミクシィやグリーが流行っていたころは、新しいSNSが流行るととりあえず登録していたものだけど、最近はめっきりついていけなくなった。
年をとったというのは一つの要因かもしれないが、サインアップするときの色々な設定で悩むというのも大きい。

サインアップ方法の多様化

20年前頃だとサインアップもメールアドレスだけだったし、プロバイダメール1つとフリーメールを2つ3つ、携帯のキャリアアドレスくらいしか持っておらず、リアルはプロバイダメール、ブログなどはフリーメール、SNSはキャリアメールと使い分けるくらいで済んだ。
ところが今やプロバイダメールはほとんど使うこともなくなり、キャリアメールは廃れ、Gmailが招待制だったことはみんな忘れてしまってメインのメールサービスとして不自由なく使っている。使い分けるメールアドレスはフリーメールだけで10を超える。

ネットショッピングに加え、公共サービスや金融機関のネットサービスも増えた。二要素認証があるとはいえセキュリティは気になるのでどのメールアドレスを使うか、パスワードの管理をどうするか、考えることも増えた。

さらにソーシャルログインや電話番号認証など、メール以外に使う要素も増えた。大元となるメールアドレスと電話番号の組み合わせ、それらを使ったソーシャルアカウントでのサインアップが入交じり、新しくサービスを使い始めるのにどれを使うべきかを考える負担は大きい。

アカウント名やハンドルネームをどうするか、それが問題だ

とはいえ、サインアップ方法やメールアドレスの問題はある程度時間をかけて整理するなり、開き直って重要度別にいくつかのメールアドレスや電話番号を用意すればどうにかなる。問題はメールアドレスの設定やサインアップ後の設定だ。

これは完全に自分の性格の問題なのだけれど、アカウント名などを気軽に考えるのがとても苦手だ。
識別子として何らかの意味のある、それなりに愛着の持てる名前をつけたくなるが、なかなか思いつかない。常時接続が少数派だった頃、初めて掲示板に書き込もうとしたときにも、書きたい内容はあるのにハンドルネームが思いつかず、小一時間悩んで付けた名前は「みかん」だった。こたつの上に載っていたというだけの理由だが、その後いくつかのサイトで使った。

自由に付けられるハンドルネームですらそんな具合なので、重複しないように付ける必要があるアカウント名はさらに難しい。いくつか思いついたアカウント名を入れたらことごとく使用済みの名前で、後ろに数字を付けた別のアカウント名が候補として提示されるがそれは気に入らないので付けたくない。そうこうしているうちに夜が更けてしまって諦めて寝るというのは1度や2度の話ではない。

映えという強迫観念の誘惑

サインアップの壁を乗り越え、ようやくプロフィールを設定する段になると今度はアイコン画像だのヘッダ画像だので悩むことになる。さすがにデフォルトアイコンは趣味ではないのでなんとか画像をひねり出して登録する。

さあこれで本題を書くぞとなると今度はアイキャッチ画像である。
なんなんだお前は。日記を書きたいのにタイトルより先に画像を設定させようとするんじゃない。クソみたいな量産型のストックフォト、本文と関係ありそうでなんの関係もないキラキラした写真、ただでさえ無駄な改行で読みにくいのに差し込まれた画像で文章の流れが遮られる。ギガの無駄だ。スクロールのためのマウスホイールの減りすら無駄だ。

書く側に戻るとこれまた自分の性格ゆえ、読まれたいという意識が先行した瞬間にそれらは重荷でしかなくなる。写真日記ならいざ知らず、わざわざストックフォトみたいなところから雑記に合う画像を探してくることにアクセス数を稼ぐ以外の意味を感じない。テーマを絞ったとしてもオリジナリティにこだわるなら自分で用意したくなるだろう。結局メインじゃないところに気を取られて書くという行為のリソースを食われてしまうのでは本末転倒だ。

これまでのところ、このnoteもとりあえず画像を設定していはいるが、なんの関係もない古い写真を適当に選んでいるだけである。ちょっとでも負担を感じたら画像は即やめようとは思う。続けることが最優先なのだ。


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