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出来るようになる日

 2歳3ヶ月になる次男が、今日初めてひとりでブランコに乗った。

 あんなに怖がっていたのに。
 あれほど嫌がっていたのに。

 ついに、ひとりで「出来るように」なったのだ。

 ◆

 “石橋を叩いて叩いて叩き割る”タイプの臆病な長男と一緒で、次男もたいそう慎重な性格で、これまでブランコには縁がなかった。
 日本全国のブランコ職人の皆々様には申し訳ないくらい、うちの兄弟にはブランコはウケが悪いのだ。乳児が乗れるようにガッチリホールドされてるタイプじゃない方は特に。いわゆる“ふつう”の、ひとりで乗らなきゃならないシステムのブランコはそれはそれはもうウケが悪かった。近寄りもしなかったし、わたしも無理に勧めてはこなかった。あいにく身内にブランコ職人はいないので、わたしにはノルマなどが課せられていなかった。
 何より、人生何だって無理に「出来るように」ならなくても良いだろうと思っていたからだ。
 嫌なもんは大人も嫌だし。
 ブランコひとりで乗れなくても死なないし。
「出来るように」なかなかなれない自分を逃すための言い訳だったような気もするけれど。

 これまで次男はブランコよりはお砂場派だった。
 お砂をわたしに「ドージョ」と渡して、「ありがとう」と言われるのが特に好きだ。
 遊具に対してはかなり慎重なスタイルを貫いていて、いつもいつも滑り台の階段を登ったり降りたり登ったり降りたり……ブランコの鎖を握ったり揺すったり舐めたり……兎に角入念に支度をしていた。

 なかなか「出来るように」ならない。
 子どもってのはいつもそうだ。それはもう、母であるわたしが焦れるくらいには。

「ほら、滑ってみ、大丈夫だいじょうぶ行けるって、ああもう、お友達後ろから来てるから下がったらアカン。な。いけるって、いっぺん滑ってみ……ってああ〜、ああ、すみません、もう〜」とか、「あ、行くの?ええよ。ぶーらんするか?うん、そう、ええよええよ、ここにな、おっちんして……ああ〜〜嫌か〜〜!!!」と、何度後退したか分からない。
 無理に勧めてはいないつもりだが、「出来るように」なるまでが長い。とても長い。
 まぁ〜〜忍耐が要る。
(しかし何故、世の中の乳幼児業界では知らないお子さんは皆んな「友達」なのだろうか……誰に対してもフラットでなかなか良い表現とは思うけど、母親4年目の今もまだ口にするのに抵抗がある言葉だ。おともだち。)

 それが今日、前触れなく突然やる気になった。
 「出来るように」なった。

 ちいさな背中はちょこんと座って、握って、躊躇いながらも揺れ続ける。

 ゆらゆらと、ブランコは揺れている。

 まだわたしが背後からしっかりと支えているような気がしている次男が、「ぶうーっ」と通りがかる自動車を見て暢気に口にする。そうだね。ブーブだね。あれは配達のブーブやなあ。お荷物持ってってんねやなあ。お疲れさまやなあ。わたしは、次男も世界も誰も彼も聞いていなさそうな言葉をべらべらと喋りながら、ただただ揺れる次男の背中を見つめていた。

 ぶーらん、ぶーらん。
 何んだか悩んでいたのはとても簡単なことだったような気がする。やり始めるまでの準備期間なんて人それぞれで、それが2年3ヶ月だった次男もいれば、30年のわたしも居て良いだろうし、60年の誰かが居るかもしれない。とやかく言われるべきじゃないし、出来るようにならなくたって良いのかもしれない。出来ないからって自分を責める必要もなかった。
 それでも良いんだな。知らなかった。どう在ったって許されて良いのだろう。

 公園で、初めてひとりでブランコに乗った次男が陽だまりにゆらゆら揺れているのを見ながら、わたしはやっと息をつけたような気がしたのだ。

 前進までは時間がかかる。
 ほんとうに。
 結婚して、ふたり子どもを産んだ。毎日必死のパッチで東奔西走だ。母親になって四年になる。新人と言う期間は卒業したのだろうか。よく分からないけれど。
 三十路を過ぎたし、わたしも時間がかかってしまったが、やっと「出来るように」なろうかなと思った。

 と、言うことで。
 母であり女である前に、ただひとりの人間のわたくし、がながな帝国はnoteを始めることにしたのです。つらつらと。ゆらゆらと。ぶらぶらと。

 のんびり揺れるように言葉を書こうと思います。良かったら、まぁ出来るようになるのを見守っていてやってください。長い目で。

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