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【読書レビュー】アンネの日記増補新訂版

「アンネの日記」のことを
わたしが最初に知ったのはいつのことだったのか、
ハッキリと思い出せないけど、学校の授業とかではなく、
テレビで知ったように思う。
そのテレビを見ていた自分の目から見た家の中の景色を覚えていて、
それは8歳まで住んでいた家だったから、多分8歳ぐらいだったはず。

ナチス・ドイツのユダヤ人迫害から逃れて、
本棚の後ろの隠し部屋に隠れ住んだユダヤ人の聡明な少女アンネを通して、
わたしはその時に初めてナチス・ドイツとアイシュビッツ収容所や
ガス室などの残酷なユダヤ人大量虐殺について知った。

「どうして人間が、同じ人間に対してこんなことができるのだろう?」
「どうすればこのようなことが二度と起こらなくなるのか?」

この時以来今に至るまで、わたしはずっとこのことを追求しています。
本当にずっとずっと考え続けていることです。
できれば、世界中のすべての人たちにもいっしょに考えてほしい。
本を読むことは、その一つの手段でもあると思っていて、
だから多くの人に本を読んでほしいと、
わたしはこうして読んだ本のレビューを発信しています。

さて、
「どうして人間が、同じ人間に対してこんなことができるのか?」
という答えは、
大人になってわりとすぐにわかりました。

簡単なことです。

「同じ人間だとは思っていないから」
「異質のものへの不寛容さ」

これはナチス・ドイツだけが行なっていたことではなくて、
日本も同じ頃に中国で、
中国人を「丸太」と呼び生体実験を行い、
非常に残忍な手口で多くの人たちの命を奪っています。

毒性のある細菌に侵された臓器の変化を観察するために
生きたまま、麻酔も使わずお腹を切り開く。
「丸太」と呼んでいたことからもわかるように
同じ人間だと思っていないからできることです。

戦争は、人を狂わすのでしょう。
しかも集団で。
それでも、狂わない人も少数ながらいます。
アンネ達も、最後は密告されて捕まりましたが、
潜伏生活を支えてくれた非ユダヤ人もいました。

狂ってしまう人と、そうじゃない人は何が違うのか?
わたしが同じ状況に立たされた時に、狂わずにいられるだろうか?

さて、「アンネの日記」は、
わたしが子どもの頃に読んだ版とは別に、
オリジナル版や終戦後の出版を意識して、
アンネ自身が清書しかけたものなどがあります。
それらを合わせて読みやすくした版が20年前に出版されていたのに
怠惰なわたしはこの度ようやく読みました。
でも、20年前に読んだのでは
潜伏生活を送った3家族のうち唯一生き残ったアンネのお父さんが
なぜオリジナルのままこれを出版しなかったのか
よく理解できなかったかもしれません。

アンネは反抗期真っ只中で、
お母さんに対してかなり辛辣に批判しているところや
性的なことへの関心、男の子とのことなど
男親として世に出すのが憚られた心情が
わたし自身が子どもを育てたことがなくても今ならわかります。

アンネの日記は、
戦争や迫害の不条理さを伝えるだけでなく、
こうして読んでみると
思春期の女の子の思考や心情を
これだけ克明に記したものは他に類を見ないというものでした。

思春期特有の辛辣さ、不安定さを
大人になって振り返って書かれたものを目にする機会はあっても、
リアルタイムにここまで赤裸々に詳細に客観的に
描かれたものを読むことはそうないのではないでしょうか。
「アンネの日記」はそういう価値もあるものだということを、
わたし自身が中年になるまではわからなかったかもしれません。
そういう意味でも、わたしにとっては
20年前ではなく今読む価値のあるものでした。

たった13〜15歳で、これだけの筆力のあったアンネが
もし戦争が終わるまで生き延びて大人になっていたら
どんな仕事をしただろうかと思うと惜しまれますし、
それはアンネだけではなく、
たとえ特別な才能などなくても
人は生きている限り無限の可能性があり、
そんな若者がたくさん殺された戦争というものを
二度としてはならないと改めて強く思います。

#アンネの日記増補新訂版
#キースへリング
#ぼくのアートは止まらない
#アートの力は人の心を動かし世界を平和にできるものだ

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