わたしが暮らしていた東南アジアの街に読売新聞の女性特派員がいて、何度か会った。政治が安定し、大きな事件も起こらないこの国で書いた記事をいくら本国に送っても本紙に掲載されることがないから、(当時激しい独立紛争のさなかにあった)東ティモールに行きたいとよく口にしていた。
新聞がいくら理想を語ったって、記者レベルでは所詮平和よりも自己顕示欲が勝るのである。
政治家や派閥に付く番記者も親分が小物であれば、掲載される記事も少なくなる。自分が記者なら、その政治家を実態より「盛る」ことで、自分の記事の扱いを少しでも大きくしようと試みるかもしれない。
新聞や大手出版社系の雑誌の類は編集会議でふるいにかけられるが、昔は実話系雑誌、今で言うとYouTubeなんかで記者が持ち込む世の中の「ウラ」話は虚実皮膜の物語として楽しむ程度がちょうどいい。


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