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【挫折学】最終講義

振り返ると、私は学生時代から、友だちや周囲との間に、無意識に勝ち負け感情を持っていました。

  • 「この点は俺のほうが優れている」

  • 「この部分は勝てないけど、でも俺はそこで勝負してないから気にしなくていい」

要は、自分のプライドを守るため、さまざまな解釈をして、「負け」を認めようとしなかったわけですね。そして、負けそうになると、その相手そのものからも距離を置いてしまう。そんな程度の人間だったわけです。

でも、事実として、昔から続けていたサッカーでも、一時はそこそこの偏差値を取っていた勉強でも、もちろん社会人になってからも、私は事あるごとに対人では負け続けてきました。さらには病気になったことで、健康面でも、キャリアの面でも、遅れを取ってしまいました。でも、私の中で、最も気になっていたことは、負けたこと以上に、勝負の土俵そのものから何度も降りてしまっていたことです。その環境から逃げたり、言い訳できるように手を抜いたり……。

全力を尽くして負けたときのことより、やはり自ら土俵を降りてしまったことのほうがよく思い出します。後悔しているんでしょうね。結果として負けてもいいから最後までやっておけば良かったと。

夏の高校野球で優勝できるのはわずか1校。残りの数千校に所属する部員たちは必ずどこかで負けてしまう。そう考えると、本当に勝ち続けている方なんて、日本中にひと握り。要は負けやそれまでのプロセスから何を学ぶか。次に活かすか。そういうことが理解できるようになってきて、ようやく私も挫折の意味みたいなものが分かってきたように思います。

当然、プロスポーツの世界などは、厳然と勝ち負けが存在し、負けが続けばクビになるかもしれないし、ファンを悲しませることになる。だから、やっぱり勝利が求められるのは理解できます。

でも、私たち一般の社会、特に個々人にとっては何かに負けたからといって身ぐるみ剥がされるわけじゃない。

それでも残るのは、悔しさと虚しさと、そして諦め……。

でも、「やり続ければ失敗も失敗ではない」という言葉があるとおり、「やり続ければ負けも本当の意味で負けではない」と今、病気を経験した私は思えるようになってきています。

たとえ何度負けても、また立ち直っていつかまたチャレンジすればいい。どうしても勝てない勝負だったら、別のことにチャレンジすればいい。何かにチャレンジを続けている限り、本当に負けたことにはならないんじゃないか。

そして、勝負の本当の相手は、「他者」じゃなくて、「過去の自分」と「今の自分」。過去の自分にできなかったことができるようになっているか。今の自分の弱さに打ち克てているか。

私も今、つい人と比べ優越感を持とうとする弱い自分と闘っています。でも、そんな自分に負けたくないし、自分の人生、諦めたくない。過去の自分に胸張れる自分でいたいですよね。

綺麗事と思われるかもしれませんが、一人ひとりが「自分自身の人生の勝者」を目指せる世の中になるといいなと思っています。

そして、そんなあなたのこれからの人生を、私も陰ながら応援しています。

それでは【挫折学】の講義はここまでにしたいと思います。お疲れさまでした!

(了)

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