バレエ小説「パトロンヌ」(12)

(あれが本物の寺田甲斐……)
 ようやく会えた、という思いに、ミチルは胸を熱くした。そして知らず知らずのうちに、瞼の裏に焼きついている、あのテレビの中の16歳の甲斐の姿を、目の前の20歳(はたち)の若者に求め、だぶらせようとしていた。

(次に跳ぶのは、いつなんだろう?)

 それはミチルの期待だけにはとどまらない。甲斐の登場により、観衆の関心は、ただその一点に絞られていった。
 だがこの日の演目は(多くのバレエがそうであるように)、どちらかというと男性の役割は女性の美しさを引き立てることであり、甲斐は相手役の高科美智子の手を取ってゆっくりと歩くか、奥の方へまわって手を前にさしのべ、立っているだけの場面が多かった。
 甲斐はソリストの頃から役どころに関係なく、ひとたび舞台に上がれば衆目を集めずにはおかなかったというが、そうした鮮烈な印象は、影をひそめたようにも見えた。その分、高科美智子の可憐さは輝きを増して映えるのである。高科美智子は本当に可愛らしく、その表情は若さと優しさに輝いていた。つま先の運びは軽やかで、しなやかな手足を風になびかせるようにして舞う。舞台には、同じような背格好のバレリーナがさほど変わらぬコスチュームを着て立っているというのに、彼女だけがまことに印象深く映るのはなぜなのか。誰よりも軽く、誰よりもたやすく、誰よりも早く、そして誰よりも正確な踊りは、永遠に絶えることがないその柔らかな微笑みとともに、観客を魅了した。

 気がつけば、ミチルは脳裡の甲斐ではなく、目の前の甲斐を楽しんでいた。(つづく) 


1冊の本を書くためには長い時間が必要です。他の単発の仕事を入れずに頑張ることも考えなければなりません。よろしければ、サポートをお願いいたします。