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バレエ小説「パトロンヌ」(3)

 クラシックバレエは、あらゆる西洋のダンスに不可欠な素養だ。ミチルはミュージカルが好きなので、それは知っていた。かの有名な「コーラスライン」でも、オーディションでクラシックバレエを踊らされる場面が出てくる。だがクラシックバレエはどこか画一的で無表情という印象がぬぐえず、技術としては素晴らしいかもしれないけれど、人を熱狂的にさせる芸術としては活力に乏しい、とミチルは感じていた。前にも世界的なプリマが出ると聞いて、テレビで「ジゼル」を見たことがあったが、これといって大きな感動も覚えぬまま、途中でチャンネルを替えてしまったことがある。

 第一に、バレエは話がわかりにくいのだ。「白鳥の湖」にしても、延々と王子の取り巻きの踊りが続き、白鳥が出てこないまま第一幕は終わってしまう。二幕でやっと白鳥が出てきて、オデットが王子と結ばれ、これからという第三幕、王子のお妃選びのための舞踏会に黒鳥オディールが闖入し、さあどうなる?……と前のめりになったとたんに始まる「諸国の踊り」。セリフはないし、物語の筋を追おうとすればはぐらかされるし、素晴らしい芸術なんだろうけれど、何時間も集中して見ていられないというのが正直な気持ちだった。

 ミルクをたらふく飲んだ娘のマユが、すうすうと寝息をたて始める。ミチルはマユを、そうっとベビーベッドに寝かせた。寝かせた途端ぐずり、また抱っこ。それを数回繰り返す儀式を終え、今日もようやくミチルに自由な時間が訪れる。夫のタカシが帰宅する前の、自分だけの時間。その貴重な時間、本当なら何か自分のために使いたい。本を読むとか勉強するとか。でも、気力が湧かないのだ。ミチルはソファに寝そべり、つけっぱなしにしていたテレビに目をやった。

 番組は長いこと予選風景をダイジェストで映していたが、マユを寝かしつけている間に本選へと突入。ちょうど決勝が始まるところだった。残ったコンペティターの中に、日本人の少年を見つけた。ほかの外国人ダンサーに比べると上背もなく、同じく十六歳と紹介されてもかたや高校生か大学生に、こなた幼く中学生にしか見えない。フィギュアスケートと同じで、バレエの世界でもやはり西洋人と日本人では体格のハンディは大きいとつくづく感じるミチルであった。

 ところが番組の進行役を務める二人は、なぜかこの背の低いアジアの少年の話ばかりしている。どうやら、予選や準決勝で相当目を引いたらしい。いよいよ順番がまわり、舞台の袖に立つ彼がアップに映し出された。(つづく)




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