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バレエ小説「パトロンヌ」(72)

甲斐が踊り、跳び、回るとき、ミチルは彼が特別であると感じる。
自分が思った以上に跳ぶし、思った以上に回るし、そして音楽と一体になってピタッピタッと静止する、そのパフォーマンスに、これまで何度驚かされてきただろう。

バレエKの全幕「ドン・キホーテ」は素晴らしかった。創立5年、カンパニー全体の実力もアップして、主役の2人以外の踊りも、そして演技も、充実していた。どの役の振付にも細かなステップがちりばめられ、それが普通よりずっと速いテンポで披露される。それについていかれるものだけが、このカンパニーで通用した。そして、誰がどう完璧に踊ろうと、甲斐はそれ以上に跳び、それ以上に回り、それ以上に輝いた。彼は、特別なダンサーなのである。

彼の代名詞ともいえる、グラン・パ・ド・ドゥのバジルのソロも、もちろん期待に違わず素晴らしかったし、他の人より抜きんでていた。けれど、ミチルが期待した「以上」ではなかった。

「こんなバジルを見せつけられるとは!」
「こんなことが人間にできるとは!」
……そうした、打ちのめされるような、のけぞるような感覚がない。待ちに待った、甲斐オリジナルの「ドン・キホーテ」なのに。ミチルは、そのことに少なからずショックを受けた。

(きっと、今日は調子が悪かったんだろう。エネルギーを100%放出できなかったに違いない)

ミチルは、言い聞かせるようにして劇場を後にした。まだあと2回、甲斐の「ドン・キホーテ」に会える日がある。(つづく)

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