統合失調症体験談〜発病から入院まで編〜

みなさんこんにちは。がむです。

今回から僕の持病、【統合失調症】について書いていこうかと思います。

何回かに分けて書く都合上更新頻度が遅めですが、よろしければ最後までお付き合いください。

今回は病気が発病してから入院までの経緯について書いていきます。

まず最初にnoteを本格的に投稿するのが最初なので、軽く僕の自己紹介と経歴を紹介したいと思います。

僕は1999年2月5日生まれで、東京で生まれ育ちました。

どちらかというと貧しい家庭に生まれ、僕が中学に上がる頃くらいに両親が離婚しており、母親が女手一つで僕を育ててくれました。

高校卒業後は自分でお金を稼がなきゃ!という考えから、某大手ホテルに就職、客室係として働いていました。

しかし上司からの度重なる叱責や夜勤に耐え兼ね、入社して1年8か月後にメンタルを崩し、会社を退職しました。

ホテル時代の話や会社を辞めるまでのいざこざについては、また機会があれば書いていこうと思います。

今回のお話は僕が会社を辞めたところから始まります。

ホテルを辞めて僕が最初にしたことは、精神科に行ったことです。

えっ、働いてるときに病院行かなかったの?

という突っ込みが飛んできそうですが。はい、行きませんでした。なぜかというと自分は精神科に行くほど壊れていない。正常だという思考であったからです。

しかし、なぜ退職後病院に行こうと決意したのかというと、その頃発達障害というものが認知され始めており。僕が好きなアマチュアラジオのパーソナリティも精神科に行って、ADHD診断を受けてきたと言っていたため、ホテル時代仕事が全くできなかった僕は、自分はADHDなんじゃないかと疑い、受診にいたりました。

そう、精神科に行った理由は、自分は精神疾患なんじゃないかと思っていったのではなく、発達障害なんじゃないかと思っていったわけです。

そのため診察も淡白なもので、ADHDのチェックシートを書いて、それをもとに「あなたは結構チェックがついているので、もしかしたらADHDの傾向があるかもしれませんね」と言われるだけでした。

病院の診察が終わり数日がたったころ、僕はアルバイトを始めました。なぜかというと、クレジットカードのリボ払いで計20万の借金があったためです。

イベントスタッフやライブハウス、喫茶店やSESなど1月から4月まで計4つバイトを転々としていました。メンタルが回復していない中、働いていたため、すぐに疲れてしまい仕事になりませんでした。1か月に1回のスパンでバイトを辞めるのは、後にも先にもこの時だけです。

4月から僕は性懲りもなくガソリンスタンドでアルバイトを始めます。理由は、時給がよく家から近いからです。ただ勤務が夜勤だったため、さらに心身に不調をきたしました。不眠、食欲不振、倦怠感、ついには希死念慮も出て、自殺未遂まで起こします。

どうせ死ぬならきれいな場所で死にたいと思い立ち、わざわざ小豆島まで行き、島の雑木林の中に入って行ってそこそこ大きな池をを見つけたので入水自殺を試みました。しかし徐々に息苦しくなってきて母親や親せきの顔が思い出され、なんとか体を浮き上がらせ、森の中から脱出し生還しました。

しかしもう、生きる気力がわかなかった僕は東京の自宅に帰らず、青森まで行って5か月間ホームレス生活をするのですが、長くなるのでこの話は割愛します。

自宅に帰ってきてすぐに僕は、おびただしい量の振込催促のはがきに驚愕します。

5ヶ月間のホームレス期間中、僕は預金だけでは生活ができなかったため、消費者金融から20万円ほど借り入れをしました。

前述のリボ払いの金額と合わせて50万円の借金を背負って高跳びしていたため、催促されるのは仕方ないですね。

これはまずいと思い、消費者金融とクレジットカード会社、また弁護士事務所にも電話をしました。

僕自身電話するのが大の苦手なため、消費者金融に電話することがとてもストレスでした。

そのストレスのせいか、僕の病気は加速度的に悪化していきました。

まず、一番最初に現れた症状は抑うつ症状でした。最初はうつ病か双極性障害を疑いましたが、のちに周りの人の気持ちが分かるという典型的な統合失調症の症状が出ました。

これはまずいと、さすがに病院に行こうと思った僕は、ADHD診断を受けた病院に電話して予約しました。

18時頃病院に行くために自宅の最寄りの駅に向かいました。その時間の駅周辺は仕事から帰る人でごった返しており、僕はその人混みの中に入ると、自分のことをみんな悪く言ってるんじゃないかという妄想に支配されて、頭がおかしくなりそうになった記憶があります。

なんとか電車に離れたものの、その体調の悪さが継続しており、病院の最寄駅までの20分間は、神聖かまってちゃんというバンドのロボットノ夜という曲をずっと聴いて気を紛らわしていました。ちなみにその曲は、人が怖いとか青さが怖いとか、ずっと怖い怖いって言っている曲です。

まさにその時の精神状態を表している曲ですね。

音楽で気を紛らわせながら、やっとの思いでメンタルクリニックの玄関の前まで来ました。

しかし、扉を開けた瞬間、緊張の糸が千切れたのか、僕は受付の前で助けてーー!!と言いながらへたり込んで発狂してしまいました。

病院のスタッフのほとんどが来て「どうしましたか?」とか聞かれた気がします。
あの日のことはあまり詳しく覚えていませんが、とりあえず個室で落ち着くまでゆっくりさせてもらったことは覚えています。病院側は、大きい病院に搬送する救急車の手配と、母親に連絡してくれたらしく、迅速な対応に救われましたね。

救急車で運ばれる頃には、病状も落ち着いていました。
違う病院に運ばれて、聴診器を当てられたり検査を受けましたが、異常がないということで家に帰されます。

僕は「えっ入院するんじゃないの!?」と思いましたが、それを言う気力もなかったため、おとなしく帰りました。

薬も出されず何もされなかったため、案の定、翌日に頭が痛くなったりと体調不良になったため、再度メンタルクリニックに行きました。昨日は夜に体調が悪くなったので今回は昼に行ったのですが、病院の最寄りの駅に着くと、人についている悪霊がこっちに取り憑こうとしているっ!!という妄想が発現します。

しかしさすがに病院に入ってすぐに発狂することはなかったのですが、待合室で待ってる間、自分は若年性アルツハイマーなんじゃないかと思い、悲しくなって号泣していました。

やっとの思いで診察の番が回ってきましたが、先生は、「なんで昨日家に返されたの!?」と驚いており、とりあえずカウンセリングも受けてとも言われました。

しかし、カウンセリングを受けるだけのお金を持ってきてなかった僕は、母親に連絡してきてもらうようお願いしました。
しかし、今仕事だからいけないといわれ代わりにお母さんの友達を行かせるから待っててと言われます。

数分待つとおばちゃんが到着し、それと同時にカウンセリングの時間となりました。

正直カウンセリングの内容ははっきりとは覚えておらず、僕が一方的に脈略のないことを言って、最後にいのちの電話の番号が書かれた用紙と、入院するか否かを質問された気がします。
僕は別に死にたいわけではないけど、このまま自宅にいたら何するかわからなくて怖いから入院したいと言ったことを覚えています。

診察が終わり、僕はおばちゃんと一緒に帰りました。

家に帰ってしばらくしたのち、母親が仕事から帰ってきて、僕とおばちゃんと母親の三人で自宅で話していました。

最初は普通に話せていたのですが、時間が経つににつれ、なんか動いていないと落ち着かないという状態になり、部屋を掃除し始めたり多弁になったりしていました。

挙句の果てには、「この部屋にはいっぱい霊がいる!今から僕が除霊するから二人は外にでも出ていて!」という始末。

母親とおばちゃんはしぶしぶ外に出てもらい、しばらくしたら家に帰ってきました。

もちろん僕の病状はこの数分で改善することはなく、未だに霊がいるから除霊する!とか何とか言っていました。

おばちゃんもなんか寒気がする…とか言い出し、僕の妄想いよいよ訂正できないものへと変貌を遂げます。
おばちゃんに霊がとりついた!と思った僕は、嫌がるおばちゃんをヘッドロックして無理やり塩を飲み込ませようとしました。

恐怖を感じたおばちゃんは逃げるように帰っていきました。
病気の症状といえど、おばちゃんにはとても悪いことをしたと思っています。

ちなみにその日以来おばちゃんには一度も会っていません。

おばちゃんが帰った後も継続して僕は調子が悪く、家のWi-Fiが繋がらなくなったり、家鳴りがしたりしたことに対して、僕は霊障だと信じて疑いませんでした。

また、眠ったら霊に取りつかれると思い、その日は一睡もでせずに「立ち去れ~!立ち去れ~!」といって何かと戦っていたことを今でも覚えています。

翌朝、僕は昨日に引き続いて奇行に走ります。

この家には霊がとりついている!除霊しなきゃ!という思いから、僕は母親を家から追い出し、家にあった制汗スプレーなどを両手に持ち、それを空間に吹きかけながら暴れ回りました。

そのあと「除霊しても霊が出ていかない!逆に自分にまで取り憑こうとしてる!」と思い、ベランダに行ったのち、手すりに捕まり太陽を見ながら「たいよう!たいよう!」と大きな声でずっと連呼していました。

おそらく太陽には悪しきものを焼き払う力があるとその時は信じていたため、そのような言動をしたのだと思われます。

30分くらいしたら症状が落ち着いて少し冷静になったので、玄関を開けました。

そうすると母親だけでなく、警察官2名も玄関に立っていました。

男性警官と女性警官の2名がいたのですが、男性警官とは近くの広場のベンチに座って事情を聴取されました。

その際にも、「この警察の人に霊がついている!」という妄想があり、霊が出ていくようにと警官の背中をさすり、その結果男性警官は、顔の表情が明るくなったため、「やっぱり自分には除霊の能力がある!」とさらに妄想が加速してしまいました。

警察が帰った後、「さすがに一緒に病院行こう?」と母親に促され、僕はこの地域では一番大きな精神科病棟に行くことになります。

母親と病院へ向かう道中は体調が良かったため、「僕はやっぱり病気じゃなくて、家に霊が取り憑いているだけなんだ…」と思っていたことを今でも覚えています。

ほどなくして病院に到着し、すぐに診察を受けました。
先生から今日はどうされましたか?という質問に対して、僕はずっと支離滅裂なことを言い続けていました。

すると先生は話を遮って、「支離滅裂なこと言い続ける状態は普通ではないから今すぐ入院して!」と言われ。僕は素直に従い、ここから3か月の入院生活が幕を開けるのでした。

ここで、今回のお話は以上となります。

長文で自分の体験談を書くことが初めてなため、少々至らない点があったかと思いますが、ここまで読んでくださった皆様、本当にありがとうございました。

次回は精神科病棟入院から急性期までの話です。

すでに公開中ですのでぜひそちらもご覧ください!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?