時間があると色々考えますよね
※Facebookへ2020年4月5日に投稿した内容の転載です。
私は哲学するのが好きで、しばしば平常時でも躁鬱になったりするのですが(周りの方からは『テンション高いですね!』としか言われないので、どの状況でも躁にしか見えないらしい)、こう時間があると全てを通り越して凪になりますね。
明日から息子が小学校にあがる。
会話も格段に成り立つようになり、教育についてよく考えるようになった。
やはり我が息子には『礼儀正しく』『誠実で』『健康体』であってほしいと想うのが親心である。
そのため、ついつい厳しめに接してしまうのだが、言ってて自分は聖人か何かかと笑ってしまうくらいの無茶ぶりをしている事に気づく。
試しに己へ同じセリフを言い聞かせてみると、ほぼ全て特大ブーメランである。
「喧嘩すんな!」
↓
私はもともと喧嘩好き
「しっかり目を見て挨拶しなさい!」
↓
目も見ず小声で『シャス…』とか言ってる
「バカって人に言うな!」
↓
言ってる
「他人の評価なんて気にしなくていい!」
↓
気にする
「小遣いを無駄づかいするな!」
↓
ムダしかない
「人に嘘つくんじゃない!」
↓
つく
「ちゃんとメシくえ!」
↓
デブ
「気軽にチューしちゃダメ!」
↓
エロ
と、反省することしきりである。
小学1年生からやり直したほうがいいらしい。
かっこつけなくていいのに、無意識的にいい事を言おうとするのは病気であろうか。
実際、定番の「パパはなんで○○なの?」攻撃にもうタジタジである。最後のほうは「大人だからいいんだよ!」とおそらく最悪の返答をしてしまう始末。
世の頭のいい人、偉い人はどのように対応するのか興味が尽きない。日々精進である。
新型コロナウイルスに関するニュースが氾濫する中、私は情報に関しては基本的にグイグイ攻めていく性質なので、納得のいかないところはかなり突っ込んでいく。たぶんSNSに向いてないメンドイ奴である。
していい喧嘩の時はブン殴りに行くタイプである。
だからあまり『もうウンザリする』という言葉を聞くたびに自分との見解の相違に違和感を感じる。
より精度の高い情報・新情報が入ってくるたびに、現実世界はどんどん正解に近づいているのだ。
虚像を見て一々声を挙げていてもキリがない。実像をとらえて初めて正しい判断と行動がとれる。
グイグイ攻めていけば、社会通念的にも精神的にも適した解が出ると信じている。
まだ神に祈るタイミングではない。祈るのは最後の最後、もうできる事全てをやりつくした後でいい。
『祈るな!!祈れば手が塞がる!てめえが握ってるそれは何だ!?』
by「ベルセルク」黒い剣士・ガッツ (共鳴の巻より)
あと全然関係ないけど、最近は
『自分を大蛇丸と信じて止まない一般男性』シリーズで爆笑している。
https://twitter.com/Kuntotu/status/1193877955249950721
似過ぎ。本人からフォロバもらってて更に笑った。
https://twitter.com/Kuntotu/status/1198486802358665216
サポートしていただいたお金は全て息子の養育費と宇宙神に捧げます