拝啓 石黒千尋様 〇私が庭師になった理由 きっかけ


  • 私と「声優」

  • ニコニコ動画と初音ミク

  • ボイスロイドとの出会い


私と「声優」

私は90年代後半から00年代の、いわゆる第三次声優ブーム直撃世代です。
ゲーム・サクラ大戦から声優という職業に興味を持ち、当時からイベントに赴いたり色々なラジオを聴いたりしていました。

田村ゆかりのいたずら黒うさぎ、子安・氷上のゲムドラナイト、野川さくらのマシュマロ♪タイム、川上とも子のうさぎのみみたぶ、ラジオ大阪1314 V-STATION、など……。

他にも色々と聴いていましたが、特に記憶に残っているのが上記ですね。

中高あたりをそういったコンテンツで過ごした私は順調にオタク街道を進み、大学生の時にゲーム・アイドルマスターと出会いました。
声優のマルチタレント化、アイドル化が進む中「アイドルマスター」は声優がアイドルを演じながら自身もステージに立つ等、キャラクターだけでなく声優そのものも表舞台に立つ戦略だったと思います。
そのアイドルマスターが一躍有名になった動画サイトがあります。
それがニコニコ動画です。


ニコニコ動画と初音ミク

これまで動画サイトといえばyoutubeだったのが、日本発の動画サイトとして登場したのがニコニコ動画でした。
個人的にこの頃のYouTubeは外国のサイトといった印象があり、あまり利用はしていませんでした。
ニコニコ動画は、ゲーム実況動画やゲーム画面やアニメと音楽を合わせたMAD動画、またミュージカルテニスの王子様などといった動画が投稿され、いわゆる我々のようなオタクをターゲットとした動画サイトとして注目を浴びていました。

その中でアイドルマスターはゲーム実機動画の背景を切り抜いてのMAD動画や、キャラクターの立ち絵を切り抜いてその他のゲームに出演させたりといった動画が流行っていたように思えます。
ゲームにちなんでそういった動画を作成される方をP(プロデューサー)と呼んだりしていました。

同じように、Pという肩書きを持つ投稿者が現れ始めたのは「初音ミク」が登場した時だったと思います。
初音ミクは、言わずと知れた今も続くDTMソフトのキャラクターです。合成音声が歌を歌うという、技術の革新に当時驚愕したものです。

私には音楽は作れませんでしたが、当時どんどん誕生する初音ミク、鏡音リン・レンといったキャラクター達の歌の世界にどっぷりとはまってしまいました。
私が描いた鏡音リンのイラストを自作曲のサムネイルに使用してくださったことなどもありました。

そうか、今はこんなに自分が作ったものを世に打ち出しやすいのか。
インターネット上に溢れんばかりの初音ミク達の音楽を感じてそう思いました。
私の知らない世界だったから余計にそう思ったのかもしれません。

その後、私はもっと驚愕することになります。

ボイスロイドとの出会い

いわゆる「ゆっくり」と呼ばれる音声があります。
それまではゆっくりがキャラクターのアフレコをしていたり、文章の読み上げを行なっていました。

ニコニコ動画でのゲーム実況も「ゆっくり実況プレイ」がとても流行っていたと思います。

いつ頃からでしょうか。
月読アイ、という名前のキャラクターによるゲーム実況動画をチラホラ目にすることが増えました。
どういうものだろう?そういう名前の投稿者さんかな?と思って見てみたら、ものすごく自然な声で喋る音声合成ソフトだったのです。

幼女の声で、とても自然に喋る合成ソフト。
これまで初音ミクを喋らせている動画は見たことをありますが、それはあくまでお話しさせているように歌わせているといったものでした。

ですが、月読アイは完全に「話して」いたのです。
私はまたすぐにその世界観にのめり込みました。

幼女の声で毒を吐く、ゆっくり音声と自然な会話劇を繰り広げる、創作者によって無限に広がる世界を目の当たりにしました。
ボイスロイドは声で世界を紡ぐ、声優だと感じました。
これは初音ミクと出会った時と同じくらいの衝撃でした。

そして、ボイスロイドの世界にのめり込んだ私は1人のボイスロイドを知ることになるのです。



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