言葉の二面性

 言葉って面白い。スマートフォンのメモ帳に「日常会話ではあまり使われないし意味もいまひとつ完全には捉えきれていないけれど、なんとなく見たこと聞いたことがある日本語」をメモしている。
最近メモったものだと「自家撞着」「没交渉」「おためごかし」「鎌首をもたげる」etc…
こういった言葉はすぐに調べて(あぁなるほどそういう意味か)と一度は納得するのだけれど、いかんせん記憶力が弱いので絶対にもう一度調べるハメになる。年々長期記憶領域に知識が入っていかなくなっていることを肌で感じて悲しい。

 学生時代は言語学を専攻していたので、文の構成や語形成、語彙論なんかも少しかじった経験がある。その時も感じたことではあるけれど、響きの面白い言葉や言葉の歴史・成り立ち、その言葉が生まれた文化的背景に出会うとワクワクする自分がいる(「日常にワクワクを見つけ出す」とも通ずるところがある)。

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 でも言葉って難しい。心の中で思っている感情と口から出てくる言葉はいつも少しズレている感覚がある。そして言葉は人を傷つける場合も多々ある。ここnoteにおいても、この表現で大丈夫か、変な日本語になっていないか、誰かを傷つける内容になっていないか、と何度も推敲しビクビクしながら投稿している。そして投稿後には必ずと言っていいほど加筆・修正をしている。

 留学時代にもちょっとした誤解やディスコミュニケーションで苦労した経験があるけれど、正直国や言語に限らず会話に齟齬が生じるのは仕方ないことだと思っている。そこのギャップを埋めるために如何に誠意を持って接するか、時には非言語によるコミュニケーションを交えながら、いかに伝えようという意思を持って伝えるかが大事だとよく思う。即時のレスポンスが求められる状況においては毎度石橋を叩いて渡っているわけにはいかない。

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 思ったことを口に出さずになんとなくで察することを是とする空気感が、なんとなく日本人は強いような気がする(留学して案外そうでもないなと思ったことでもあるけれど)。いわゆる「空気を読む」というやつで、空気の読めないやつはモテないし先生や上司に怒られるし仲間から"はみご"にされる。

 私はこの空気を読むというのが昔から苦手で、真面目な返事が求められる場面でちょけてしまったり、他人に言ってはいけないよう噂や秘密がつい口をついて出てしまったりすることが小さい頃から経験として多くあった。時にそれは「率直に意見を言う」とかポジティブな形で変換されることもあったけれど、たいていは「和を乱す」とか「なんでそんなことを言うのか」といったネガティブな形で受け取られることの方が多かった。とはいえ、自分の想像力や思いやりの欠如が招いた結果であるということは理解していて、(…あぁ、あの時は申し訳ないことをしてしまったなぁ…)と度々自責の念に駆られる。ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。

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 ペンは剣より強しなんて言葉もあるけれど、本当に言葉は怖い。誹謗や中傷は人を殺す力だって持っている。学校や職場でのいじめ・ハラスメントは言葉の暴力・暴走によって引き起こされる。子どもであろうと誰しもが持てるものなんだけれど、だからこそ取扱いに注意が必要だし教育課程の中でしっかりと訓練されることが望まれる。

 とはいえ言葉は怖いとは言いつつも、本好きの自分にとってはやはり言葉の"正"の力を信じたい。言葉は勇気や希望をくれるし、言葉によって紡がれる物語は人生を豊かにしてくれる。友人との会話・対話は楽しくて気持ちのいいものだし、Twitterで流れてくる言葉は面白いし為になる(こともある)。しんどい気持ちを呟いたり愚痴ったりすると少しだけ心が軽くなる気もする。

 時に自分の思い通りにならないことは厄介だし、まだ全然うまく扱えていないけれど、人に勇気や希望を与える言葉を、自分が納得して使える語彙を、暖かく優しい気持ちにできる一言を、少しずつ覚えて使っていきたい。

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