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アマヤドリを観てきた。2

こんばんは。
日曜の朝、好きすぎて激重な長文感想を公開したばかりなのですが『純愛、不倫、あるいは単一性の中にあるダイバーシティについて』2回目を観て、また新たに思った事とかやっぱりここいいなとか多少重複するとこもありつつ感想とか描かれ方踏まえてこう思ったみたいなのを再び書いてこうかなと。


各キャラクターの推しポイントとか印象に残った部分などは初回観劇の時に覚えてた範囲で沢山書いたので前記事を見ていただけたらと思います。
こちらもネタバレ多々含むので観劇後に観ていただくことをおすすめします。

ちなみに、前回の感想文を恋人が読んだんですが「文章がオタクじゃん…」ていうくらいには書き方の癖がすごいです。カヌぴけってなんだよ、ジェラピケみたいにすな…と思いつつCP名は略すよな(オタクの発想)!!
人によっては心の中の千鳥が「ちょっと待て!!」って叫ぶかもしれません。

さて本文に行きたいのですが、まだ上演中の作品なので今回もネタバレ防止の為、前回に続きめちゃくちゃ改行したのちに書いていきたいと思います。



























さて2回目観ての感想。

これ書く前に劇団公式の方で広田淳一さんによる今作の意図だったり試みみたいなことについてのインタビューも読み。その上で確かにそれ見た時に感じた!みたいなところがあったりしたのでそちらの元の記事も貼っておきます。

http://amayadori.co.jp/archives/23419


今回の作品は、前回の記事でも触れたように自分がポリアモリー当事者だったりセクシャルマイノリティであったり重なるところがあるからこそ、特に過去のアマヤドリ作品よりも刺さるところがいっぱいありましてストレートど真ん中場外ホームランレベルなんですけど。


今回の作品で自分が良いなと思った作品の構成というか描き方の一つに
「それが当たり前にあること・別に普通じゃない?・それで良くない?」ってところがあったのがめちゃくちゃ良かったポイントで。

登場人物達が自分と違う価値観を否定して排除するんじゃなくて、違う価値観でも自分が許容できる、歩み寄れる落とし所を一緒に探るみたいなことが可能なんじゃないかってことを描いてくれてるなと。

例えば冒頭でやまぶきとハイカットが付き合うってなって、それ聞いて絶滅が結婚したかったのにそれで良かったの?みたいなことを聞くんだけどそれに対して別に2人がいいならそれでいいじゃんって肯定を身内である弓道が言うことがすごく意味があると思って。

まず、絶滅くんも別に同性愛に否定的な発言としてこれを言ってるんじゃなくて、相談所に行く目的が結婚するためだったのに結果そこじゃないとこに落ち着いちゃったけどそれでいいの?って意味だと思ってて。

でも弓道が別に良くない?みたいなことを言うのはどんな形でもその人達が納得して幸せなら外野がなんかいうことないでしょみたいなこともあるだろうし(これは台詞で似たようなことを発言してるし)、結婚はあくまでパートナーを手に入れる手段の一つであって本当にハイカットがしたいことって自分にとって素敵だと思えるパートナーを見つけたいが主目的だと弓道は認識してるから結婚じゃなくていいだろうし、そもそも性別だってどっちでも良くね?ってことなのかなーって。

結婚があくまで手段の一つって捉えられてるのは弓道がポリアモリーだからそこにスッと思考がいけるとかもあるのかなとか。実際、重婚出来ないから弓道にとっても婚姻制度そのものは適してないと感じてるんじゃないかなと思ってて、だからその本人たちが納得してるならってとこさえブレなきゃいいみたいに考えられるのかもななんて思ったり。


で、逆にというか現実世界において弓道の言ってるような感じ、スタンス?、それこそが正直当事者がまわりに求めてる感覚なのかもなとか。

世間の普通とかマジョリティになろうとして幸せじゃないより、世間と違う形でも幸せなら別にそれでいいんじゃない?みたいなスタンスを自分たちも持ってるしそれを周りが示したり、そういう価値観に世間の感覚全体が近づくことというか。

同性同士で付き合ってることもそうなんだ〜、へーおめでとう、とかだけで終わるような、ある意味「普通」だからわざわざ同性だから何ってことでもなくない?隠す必要もなければ騒ぐ必要もないこと、ただ当たり前にある光景って段階になることが今後の世間の価値観がアップデートしていった先なのかなと自分は思ってて。

そういう意味で、今回の舞台は価値観が今よりももっと柔軟になっていってる世界線なんだなと思ってめちゃくちゃいいなと。優しい世界。
まあ、登場人物がみんな若いからたとえ今に即していたとしても比較的親世代よりは柔軟な価値観へのアプデ率が高いのかもしれないけども。

それが、まずめっちゃいいやーんってなったところ。


で、それと似たところでポリアモリーの描かれ方も「一般的じゃないかもしれないけど確かに普通にそこにあること」として描かれてるなと私は感じたのです。

絶滅くんとかぴけちゃんはポリアモリーな恋人である弓道ちゃんとカヌレくんにある意味1番振り回されてる人ではあるけれど、どちらも頭では分かってても心が追いつかないだけで、彼女たちがポリアモリーで自分以外の恋人が存在する、そしてそれを知った上でそのこと自体は許容出来ているのかなという風に私は見えて。

自分にはポリアモリーがついていけない価値観だと思っていても、弓道ちゃんやカヌレくんそのものを否定するわけではなく彼らがポリアモリーになれる理屈が自分のそれまでの価値観や倫理観に当てはめた時に腑に落ちてないから心が納得できるに至っていないだけで、理解したいとか歩み寄りたいという姿勢自体は絶滅くんもぴけちゃんも持っているというか、好きだから分かってあげたいって思ってるのかもしれないんだけど、そういう気持ちがあるように見えた。

今作に関しては【恋人の他の恋人とそのまた恋人みたいな関係性の接点が多い人、少ない人が存在してる中での4人で住むこと】のが彼らの中で大きな問題で実はポリアモリーそのものはそこまで問題視されてるわけじゃないのかなって捉えてて。

絶滅くんは流されてる人というか、4人で住むのはハードル高いけど弓道ちゃんのもう1人の恋人(いわゆるメタモア)であるカヌレくんに会うこと自体はなんかしんどいなってとこはあるけどまだ飛べるハードルで、しかもカヌレくんがいるからといって弓道ちゃんが絶滅くんを好きな気持ちは変わらないし、絶滅くんも弓道ちゃんのことが嫌いじゃないというか好きだし別れたいわけでもない、じゃあまあ別に前と同じく付き合ってていいかみたいな別れる必要が無いからそのままでいいかみたいな消極的っぽいところなのかもしれないけど、彼の中ではポリアモリーとして弓道ちゃんのメタモアがいることは多分消化できてるんだと思った。

逆にぴけちゃんは、ある意味モノガミー(一夫一妻)の価値観をガチッと持った人としてのリアルな反応をしてるなと感じて、違う価値観だからこそ自分の好きなカヌレくんの価値観も理解したいけどどうしても心が追いつかないんだと思う。
劇中、カヌレくんが「新しい友達ができたからって昔の友達と絶交とかになるわけじゃない」みたいなことを言ってるように、ポリアモリーの人からしたら好きな人が何人いても大切さとか好きな気持ちはみんな等しいから差がないんだけどモノガミーの人からしたら大事さは変わらないかもしれないけど、やっぱり友達だって付き合う人が変わったら環境っていうか頻度とか関係性だって変わるじゃん?てかそもそも、恋人が増えるのと友達が増えるのは全然違うでしょとかがあって似てないって思うのかなというのは理解できて。

モノガミーだと、私もあなただけを見る代わりにあなたも私だけを見てみたいな独占欲というか、カップルなりパートナーという形での独占契約みたいな感覚とかが多少なりともあると思うんですよ。私だけがあなたに正式に、公に愛を伝えられるし独占できる、そしてあなたもそれができる。そしてあなたから愛される代わりに私もあなた以外からの愛を受け取らないわみたいな感じというかカップルだからできる出来ない、許せる許せないみたいな線引きがあるじゃないですか。

だからこそ、今までなんとか許容出来てたメタモアの弓道ちゃんの存在が、4人暮らし、しかも1人は弓道ちゃんのまた違う恋人(絶滅くん)もはや自分からしたら全然知らない誰それみたいな他人も、といういきなりバカデカハードルな提案されて一気に拒絶反応が出ちゃったという感じなのかもしれないって。

子どもとかどうするの作るの?って話もグイグイぴけちゃんは切り込んでいるけれど、それもモノガミーからしたら多分ポピュラーな感覚というか、メジャーな流れとして恋人を経てどっかのタイミングで結婚して夫婦になるところまでが一つ恋愛のゴールで、そこから先が家族になるスタートって考えると思うんですよ。
だから、そもそも私とあなたの関係は発展する可能性があるの?ないの?って不安もあるだろうし、最終的に結婚することが一つのゴール前提ならその可能性が無いならこの関係を続ける意味とは?みたいなところにまでいってしまう可能性を多分に含んでいると思うんですよ。

だけど、カヌレくんからしてもぴけちゃんのことは好きだし付き合いたい気持ちが変わらないからこそ、そこから先どういう形で家族を形成していくのがいいかは定まって無いんだと思うんですよ。既存の婚姻制度を用いるのか、用いらないのか、どちらにせよどんな形でこの関係性をそれぞれとステップアップさせていくのかがまだ定まってないからとりあえず弓道ちゃんの4人暮らしに乗っかったのかなって。
どうなるか分からないけど、そういう「新しく、あたしらしいお家」の理想を求めて一緒に行動した結果がどうなるのか、ハッピーエンドでもバッドエンドでも見てみたいっていう。

まあちょっと色々脱線したんですけど、だからぴけちゃんは自分とカヌレくんの未来がどうなるのか不安なのに4人暮らしなんてもっと意味分かんないことはキャパオーバーしたんだなと思う。
だから、一緒に暮らすところまでは(今は)歩み寄れないけどカヌレくんが弓道ちゃんのことも好きっていうこと自体は、自分とカヌレくんの今後進みたい関係を今すぐ脅かす脅威にならないことでなんとか消化した、ことにする!って感じで許容出来てるのだと思った。

っていう感じで、今作の登場人物たちの中での当事者たちはポリアモリーそのものは完全に腑に落ちなくても、自分と相手の関係が脅かされるわけじゃなければ許容出来るのかなって思った。

弓道ちゃんやカヌレくん側も、どうしたらもっとストンと理解してもらえるか、どうしたら新しい恋人ができてもあなたへの愛は変わらないよってことが伝わるか考えて行動してるような節(体の密着度だったりスキンシップの程度だったり言葉の掛け方だったり)が沢山あるので、彼女たちがどちらとも仲良く関係を続けるためにどういう風に立ち回っているかみたいなことまで描かれていたのが丁寧だなと思ったし、ポリアモリーをぴけちゃんや絶滅くんたちが許容した上での4人暮らしという新しい生活の提案はまだ早かった。でも失敗したとしても夢見たいな。というところになったのが、どっちの考えも大切にした結果の折り合いだったんだなって思って、納得の結果だなって思った。

だから、その前提としてポリアモリーです、メタモアがいますに相手からの反応が拒絶じゃなく、受け入れて会ってみてそこから先の同居はやっぱり無理だなってこう段階を経て折り合いをつけていったことがやっぱり自分的には救いだなと思った。
だって、自分と考え方が全く違う人ってやっぱり怖いじゃないですか。自分の理屈が通じない相手、そもそも信じてるものというか良しとしてるものが違う人とはきっと分かり合えない、分かり合いたくないってこう、拒絶されちゃう可能性もあるから。だからその考え自体を恋人である絶滅くんやぴけちゃん側に真っ向から否定されてないだけでもう上々というか。

現実、実際今のところリアルで自分以外のポリアモリーの人と私は直接会ったことがないし(友だちがそうとか元恋人がそうだったって人は会ったことがあるけど)まだまだポリアモリーという言葉や概念自体にピンときてない人も沢山いる中で、自分の好きな人が頭だけでも理解してくれたりましてや歩み寄って、許容した上で一緒にいてくれたら大きい一歩だし最高だなって思う。
だから、ポリアモリーが一つのスタイルとしてあるよってことに対してそこについて議論するんじゃなく最後まで話が進んでいって
「新しく、あたしらしいお家」を目指すのもありなのかもね
ってところで終わったのが一つ新しい形を分かりやすく提示してくれて、当事者の自分にとってもポリアモリーとして生きる上での理想みたいなものがより明確になって良かった。自分にとっても明るい希望を見せてもらった感じがしたし、そういう風に描いてくれたことに感謝って気持ちが大きい。



で、ここで話は新しい話題に変わります。前述の広田さんのインタビューでも言われてたけど、台詞にもあるように「揉めたくない」という価値観をみんなが持ってるってのはリアルだなって。

これは別にセクシャリティとか関係なく、時代的に特に体罰、パワハラ、セクハラ、いじめとか否定だったり他者への圧力が良くないことという価値観が定着してきた現代人にはあるあるだろうなと。

無闇とか理不尽に怒ること=悪ってのはもう結構図式としてあると思ってて、そこに例え理由があっても怒る・怒られるとか揉めるってなると、それはどっちにしても正直良くないことってみんな思ってて結果恥を感じたりストレスになるのかなとか。

ある意味、現代人は全部を対話せずとも空気が読めるし(読めるつもりかもだけど)読んできた、というか読むことを小さい頃から色んな場面で求められてきたからこそ揉めることへのストレスがデカいのかなって。空気を読むことによる柔軟性というか。揉めるとかそうなっちゃうってことは自分が上手く立ち回れなかった、空気が読めなかった結果みたいなものだと感じるから怒りたくないし怒られたくないし、揉めたくないってなるのかもなんてことを思ったり。

ちょっとここはあんまり上手く言葉にできないしなんでみんな人と揉めたくないんだろうとか実際のところは、分かんないんだけど。
でも、可能な限り穏便に人と揉めずに過ごしたいってのは自分もとてもよく分かる、共感できるなって思う。


さて、今回最後に共感ポイントというかそういうのもあるかーと思ったのは、弓道ちゃんとカヌレくんが「新しい、あたしらしいお家」の構想というかきっかけみたいなことを話してる時、弓道は家庭が壊れてたから普通が分かんないけど新しいお家を作ってみんなそれなりに笑えてればいいんじゃないとか、カヌレくんは親とか兄弟とかそういう本当に欲しかったんだけど手に入らなかったから自分にはいらないものだったんだってことにするしかない、だからそういう「新しいお家」きっと作れたらいいよねみたいな話があって、あーなんか自分にとって身近な家庭が自分が望んでたものじゃなかったから2人にとっては「新しい、あたしらしいお家」で理想を叶えたいみたいなことなのかなーーって。全然違う形で2人のマイナスとマイナスをかけ合わせて理想のプラスにしようみたいなのが面白いなって。

自分に当てはめて考えてみると弓道ちゃんたちとは違って、むしろザ・円満な家庭みたいなので育ったので自分の家族をとても理想的な家庭だとは思っていて、だから「新しい、あたしらしいお家」を作りたい動機?みたいなのは最終的に求めてることは一緒でも違っているなと。

家族仲もいい、親との関係も良好、妹弟ともかなり仲がいい方だと思う、じゃあなんで近くで成功例を見てるのにある意味そことは違うことをしようとしてるかって言ったら、良い家庭だったからこそ自分の理想が上がった結果だと私は思ってて、親はマジで差別せず兄弟全員に平等に愛情を持って育ててくれたのが分かるからこそ、私はそれだけじゃ満足できなかったのかもなとか。いや、分からんけど。

特に、物心つく頃には既に妹2人いたし小1で弟も産まれてそもそもずっと自分以外に妹弟いるのがデフォルトだったからこそ、他の小さい兄弟見るのに手一杯な親だけに駄々こねて愛情をねだるのは違うし、自分はやっぱりお姉ちゃんだし現実的じゃないなって幼心に早々に判断した結果、幼稚園児で好きな人をずっと追っかけ回すようなませた子になったんだと思う。笑

私も高校生くらいまで元々はモノガミーの価値観でいたから自分から好きな人を見つけて、かつその人に好きって言ってもらいたいってことをモチベに持っていって、もっと親に自分を見てほしいとか構われたいって欲求を自分の好きな人に好きを伝えたい好きになってほしいっていうベクトルのエネルギーに変換して循環させることによって、今までの自分だけが受け取り続けて満足を得ようとするのをやめて、自分が欲しいもの、つまり好きとか愛を逆に好きな人に伝えることで満足するようにしてって、少しずつ歳を重ねて色々経験していく中でモノガミーでいることで苦しんだ時にやっぱり好きな人を1人だけって絶対絞って選べっていうのがあんまり幸せじゃないなってとこにぶち当たって、じゃあ何が自分にとっての幸福か考えた結果、私からの好きを受け取ってくれて同じくらい自分に好きを渡してくれる人が複数人いたとして、それを好きな人みんなが納得してくれるなら別に何人いたって良いんじゃないか??っていうのが今の自分の中のポリアモリーのロジックかもしれないと、今文章を考えるにあたりまとめた結果、そう思った。

だから、実際ポリアモリーだったり新しいお家の形に至るまでの発想の持っていき方は知ってた家庭がネガティブな方向からでもポジティブな方向からでもきっかけさえあれば案外辿り着きうるのかもしれないなーなんて思いました。勿論、当事者だって十人十色なので私とも弓道ちゃんたちとも全然違う人もいると思うけどね。




はい、ということでなんか他にもまだ考察というか、自分はここをこう受け取ってこう思ったんだよな〜みたいなの書こうと思ったんだけど、書いてみたら既に思ったよりめちゃくちゃ文字数多って感じなので、また書くとしたら別ページに分けて書こうかなって思います。
今回は単純な感想ってより、自分の経験則からのこう思ったとか自分は同じ考えに至るまでにどういう道筋で考えていったかとか、作中でこういう描かれ方をしてるなって受け取ってどう思ったかみたいな感じでまとめてみたつもりだけど、多分よく読んだら矛盾してない?とかなんかちょっと上手くまとめられてないなって自分でも思うところはありそう。

まあ、自己満足のやつとしてはそれなりに納得する言葉でまとめられたと思うのでここできりにしておきます。

あと、2回目はこの作品が普通に現実として自分に起こりうる可能性があるなと思って(だから自分的にはフィクションってよりちょっと先に普通に多分ありそう、てかあるだろう話という距離感で見てて)実際この作品でいうぴけちゃんとか絶滅くんと同じ立場である自分の恋人はこれ見てどういう感想を抱くのかめちゃくちゃ気になったので一緒に見てもらいまして。
なんかめっちゃ気になるじゃん、実際そういう状況に置かれる可能性のある人からの見え方って。
自分がどうしたってそういう意味ではきっと弓道ちゃんと同じように振り回してしまう側だからある意味、無責任な言い方だけどこっちもどれくらいな感じで構えててくれるのか知りたかったとこもあるし。
当日2人で感想色々と喋ったんだけど、自分でも改めて文字にまとめてくれるそうなのでどんな文章がくるか私も楽しみにしてます。また来たらnoteに載せようと思います。


ということでアマヤドリ『純愛、不倫、あるいは単一性の中にあるダイバーシティについて』は2/27(日)まで東京のシアター風姿花伝でやってるのでぜひお見逃しなく!

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