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#01_死について考えた

数日前に、父が他界した。
お通夜、葬儀、葬式後のことを進めるうちに、あれこれ考えたことが心の中に積もっていき、その行き場に困った。
心の中に留めておくのがよいか悩んだが、自分の中でのもやもやが晴れず、noteに書いてみることにした。

父と僕と

父との関係は決して良いものではなかった。
厳格で、世間体を過剰に気にし、暴力も暴言もあるし、いい成績をとっても褒められることはない。
そんな父だった。
どんな理屈があろうと、「子供のくせに生意気だ」と一蹴し、話そうとしても怒鳴るような大声で捻じ伏せる。
そんなところが大嫌いだった。
自分の人生における反面教師としようと思って生きてきた。

そんな父だったが、他界してからの数日を通して色々と考えることがあった。
これまで幾度か、祖父母や友人の葬式に参列して思うことがいろいろあったが、父の葬式では感じたことが違った。

死を感じた時

半年前にステージ4の膵臓癌が発見され、元々の体調が悪かったせいか、コロナのワクチン接種と抗癌剤とで免疫が弱って一気に癌細胞に食われたか、あっという間に亡くなってしまった。

通夜は家族が葬式で使う写真や精進料理の選定、弔問客への対応についての準備に実家へ帰ったため、何も話かけてこない父と2人、葬儀場で一晩を過ごした。

父を見ていると、眠っているようにしか見えなかった。
寝息が聞こえるわけではないのだが、ふと胸のあたりが上下したように見えたり、瞼が動いたような気がしたりと死を実感できなかった。

翌朝、湯灌が終わり、棺に納めるために父を持ち上げる際、お腹の辺りに乗せていた父の両手がだらんと崩れてしまい、元に戻そうと手を持った。
その手はとても冷たかった。
この時、父がもうこの世にはいないことをはっきりと感じた。

正直、父以外で他界した人々の死をここまではっきりと感じとった瞬間がなかったので、この感覚は初めてのものだった。

葬式とは何のためにあるのか

お通夜、告別式、火葬、換骨法要、精進上げと進む間、父との思い出や、残された母のことなどが頭の中を埋め尽くした。
通夜と告別式では、弔問に訪れた父の友人や後輩、仕事仲間から、どんな人だったのかをたくさん聞いた。
話で聞く父の印象は、自分の知っている父とは全く違うものだった。

自分の知っている父は、本当の父の姿ではなかったのではないか。
自分は父のことを本当に分かろうとしていたのだろうか。

そんな考えが頭を巡り、父の歩んだ人生と、家族で過ごした街のことを調べては考える時間を過ごした。避けていた父と真正面から向き合わざるを得ない日々が続いている。

母はというと、葬儀ではたくさんの弔問客から途切れる間もないくらいお悔やみの言葉を掛けられ、それが終わってからは葬儀後の手続きや、家の整理とに追われ、忙しく過ごしている。

僕も母も妹も、悲しみに打ちひしがれている時間などないままに、父は骨となり、その姿はもう見ることができなくなった。
実体が見えない分、視覚的に悲しみを感じさせるものもなくなる。
時間が過ぎる分だけ、後悔や悲しみの記憶は薄れていく。

葬式で、もうこの世にいない人のために関わった人達がたくさん集まったり、遺族は忙殺されるほどやることがあったりするのは何故か。
これまで考えることが無かったが、今回を経て考えた。

葬式は、残された人の為にあるのかもしれない。

亡くなっても関係は切れない

生前、あまり話をしたいとも思えなかった父が亡くなってから、父と関わりのあることばかりを考えている。

仕事をしている時の父こと、僕が子供の時の父のこと、実家を出てからの父と母の生活はどんなものだったのか。

弔問してくださった方々の言葉、葬儀で流れた映像にあった僕が子供のころからの家族写真、通夜で一晩顔を突き合わせた穏やかな父の表情など、様々な手がかりを元に、本当の父を探ろうとしている。

換骨法要の終わりにお坊さんから言葉をいただいた。

「亡くなったことで死者との関係が切れたわけではありません。残された言葉、その人の行動を振り返ることで繋がり続けるのです。」

今、あれこれを振り返ろうとしている自分の姿が、その言葉と重なった。

居なくなってから気付くことがある

当たり前のことなのだけど、失って初めて気付くこと、考えることがあるのだと改めて感じた。

きっとそれは、他の誰から言われて理解するものではないのだろう。

今の自分の心の中のもやもやは、父がどう考えて生きていたのか、良く分かってないことに気付いたから。

これからゆっくり、自分の知らない父の人生の歩みを振り返りながら、心の中のもやもやを晴らしていきたい。

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