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乳癌と海(1)

35歳を過ぎた頃から、人生の終わりを意識するようになった。出産後から急に体力の低下や老化が気になりだして、もう若くないと思い始めたからだと思う。

どこで死にたいか。
それを考えるとき、いつも思い浮かべる風景があった。祖父母の家から見える穏やかな海。北海道の小樽市だ。自分が生まれた場所でもある。

色々考えて、会社を辞めた後、偶然にも小樽市が地域おこし協力隊なるものを募集していることを知った。しかも祖父母の家があった北運河沿いにある100年の歴史ある第3倉庫の保全プロジェクトだ。会社を辞めたタイミングで運命的だと思った。

無事採用が決まり、引越しの準備をしていたときだった。夜中に胸に刺すような痛みがあり、しこりがあることに気がついた。今まで感じたことのない、体を走るような痛みだった。何か嫌な予感がした。

移住前に診てもらわなければと思った。いつもは先送りにしがちな病院に珍しく進んで行った。近所の病院でエコーをしてもらい、市民病院への紹介状をもらった。市民病院は予約が3週間後しか取れないという。引越しの期日も迫っていて、違う病院に電話すると、明日にでも来てくれとのことだった。

初めてのマンモグラフィを受け、診察を待った。

「乳がんです。」医師から呆気なく告げられた。
「移住はよく考えた方が良い。」
採用の通知から1ヶ月も経っていなかった。

人生の終わりは、思いも寄らず、すぐそこに近づいていた。
どうして根拠もなく、当たり前のように70歳くらいまでは生きるだろうと今まで思っていたんだろう。

近くのよこはま運河を歩きながら泣いた。

横浜の海は、潮の香りがしない。

故郷への切符は、破られた。

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