それぞれの現実

こんばんは。今回は…「現実」に付いての話です。
とは言ってもこの言葉はいろんなニュアンスがあるので、これだけだとちゃんと伝わらない気がします。

「現実」の認識方法として私が数年前に考案して今なお使っている思考ロジックについて、お話しましょう。ジャンルとしては、認知や哲学の分野になるのかな。

観測と証明

さて、この話について、私が強く影響を受けたのが「シュレディンガーの猫」という有名な思考実験です。ご存じの方も多いと思いますが、もし知らなければ下のリンク先を読んでみてください。(wikipediaの記事は学術的で読みづらいので、大雑把な概要の把握ならニコニコの方がわかりやすいと思います)

「観測」によって事実が「収束」するというのが量子力学の考え方という事ですが、
では、「観測」がそもそも食い違ったらどうなるのでしょうか。
学術的分野、とりわけ理系分野の多くで行われる観測については、おそらくそういう事はあまりたくさん起こることではないでしょう。

しかし、定量的な観測が難しく、観測の結果が一意にならないような事象はたくさんありますね。
「〇〇君はどう思ったか」「砂山と撒き散らされた砂の境目はどこか」「虹は全部で何色か」

要するに「どう感じたか」という部分で、より化学的に言えば「感覚器からの信号を受けた脳がどの様にその状態を変化させたか」にまつわる問題です。
観測の結果が一意に定まらないとなると、事実は何なのか、というシンプルな問いに答えられなくなってしまいますね。(シュレディンガーの猫で例えるなら、箱を開けて複数人で見たが「猫は元気に生きている」という人と「猫の死体がある」という人が混在している状況)

認識可能な現実はローカルである

これについて、おそらく根本的な解決はできません、というのも人間の観測能力が有限だからです。

「他者はどの様に観測結果を感じているか」は厳密に正しく理解する方法がありません。

そこで、この問題を解決するための手法、ひとつの「割り切り」を考案しました。
それが現実はローカルであり、パブリックでない。という考え方です。

より細かく言うなら「自身が感じたもの」「自身が感じたものから事実であると推測した内容」この2つが、その自身にとっての「観測可能な現実」であるという事です。

青線より右側の領域は、認識可能な現実の外である
推測することで、認識可能な範囲が広がるが、これはデメリットもある
素材元:いらすとや、windowsペイント

認識可能な現実、というのはつまり、「あなた自身が感じることが出来る全て」であり、言い換えると「あなたに影響を及ぼしうる全て」ということになります。
例え現実であったとしても、それが認識不可能な領域であれば、それはあなたに対して全く何の影響も及ぼさないので、いわばどうでもいい領域です。
宇宙の果てで星同士がぶつかったって気にすることは無いでしょう。

この考えがどう役に立つのかというと、「自身に影響を及ぼし快苦利害のある範囲で物事を考える」事ができます。(快苦利害は今筆者が考えた実在しない四字熟語です。意味は伝わると思いますが)
「誰にとっても同じことか」よりも「自身が判断するうえでどう解釈するべきか」を重視した考え方と言えます。
故に自身にとってのローカルな現実を信用することは、自身の幸福の最大化の上で非常に便利です。

複数の現実

当然ながら、これは主観的かつ感覚ベースであるため、人物が複数いればそれぞれにとって異なる複数の現実があるということになります。
自分の現実と相手の現実は必ずしも同じでは無いということは念頭に置きましょう。

これに対して「他者の現実を軽く見ていいのか」という議論は、もちろんあると思います。しかし、その「他者の現実」は本当に考慮を割くべき領域でしょうか。

先の説明にある通り、「他者の現実」は観測不可能な領域であり、それは考慮を割くに値しない領域です。
もちろん、他者を思いやるな、ということを言っているのではありません。
それで「自身の現実」がより良いものになると考えているならそれを否定する理由はないですし、実際に私もそう考えるなら他者に対して思慮深い態度をとることはあります。

あくまでも、あなたが判断をする上で基準にするべきは、「自身の現実がどうなるか」であるということだけ、覚えておくと良いと思います。

余談になりますが、これは逆に攻撃的、敵対的な相手に対してもこの考え方を使うことが出来ます。理由なく攻撃的な相手というのを時々見ると思いますが、それは「相手側の現実」の中では攻撃的たる理由あってのことです。
しかし相手側の現実には干渉しえないのですから、あなたがすべきことは攻撃的な理由を消すことではなく、自衛することです。
このことを理解せずに攻撃的な理由を消そうとして無駄な殴り合いに発展するケースはとてもよく見られますが、典型的な「間抜け同士の争い」にしか見えないですね。

あとがき

あくまでもこの記事は「考え方」についての記事であり、学術的なものではないことをご容赦ください。

願わくば、これを読んだ人が、この考え方を活かせますように。それではまた。

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