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ゲームの思い出:ポケットモンスター赤緑 その4

 ポケットモンスターはひとりで遊んでも面白いゲームだ。しかし、友達と遊ぶともっと楽しい。

 ポケットモンスターが人気が出たのは通信交換、通信対戦の実装が大きい。この頃はまだ、対戦はたまに友達と遊ぶ位でもっぱら通信交換が友達と遊ぶ手段だった。

 ディグダのあなで自分の主力と遜色ないレベル出てきて驚いたタグトリオを仲間にして、ディグダのあなを抜ける。

 ディグダのあなの先でひでんマシン05を手に入れ、初めてポケモンを交換した。バリヤードと言うパントマイマーのようなポケモンだ。
 これまでにもいくつか交換の申し出はあったのだが、対象のポケモンが進化していたりでなかなか交換出来なかったのだ。

 そこで僕は、クチバシティでオニスズメとポケモンを交換してくれる人がいた事を思い出してオニスズメを捕まえて急いで戻る。

 クチバシティでオニスズメとカモネギ交換する。カモネギはいあいぎりとそらをとぶを覚える事ができる便利なポケモンだ。
ストーリー攻略のためのパーティーに入れていた人も多いんじゃないだろうか。

 ポケモンを交換をして、赤と緑で出てくるポケモンが違う事を思い出した僕は、友人連中にポケモンを勧めまくった。

 皆買ってはくれたのだが、友人達が買うのは赤ばかり。緑はあまり人気がなかった。

 そんなとき、ネコが好きな友人がニャースと言うネコのポケモンが手に入るから、と緑を買ったのは僥倖だった。

 早速、次の土曜日に児童公園のベンチでお互いに持っていないポケモンを交換していった。ゴローンを緑にしか出てこないサンドと交換した時のことである。

 「えっ?なにこれ」

 友人が驚きの声をあげた。ゴローンが突然進化を始めたのだ。お世辞にもかっこいいとは思わなかったゴローンが怪獣っぽくかっこいいゴローニャに進化したのだ。僕たちは初めて通信進化と言うものを知った。

 そうなると、まだ手持ちのポケモンに通信進化できるものがいるかもしれないと、チラシの裏にチェックしながら片っ端からポケモンを交換しまくった。

結果、他にもユンゲラーがフーディンに進化することがわかった。

 イワヤマトンネルを抜けてシオンタウン、タマムシシティまで辿り着いていた僕は、次の日ゴーリキーも通信進化でカイリキーになることを知る。

 まだ周りの皆は誰も進化の方法を知らない。自分達だけが通信進化を知っている!
そんな優越感がすごかったのを覚えている。

 月曜日。登校途中に友達と合流する。
もちろん話すのは通信進化の話だ。皆驚いていた。学校終わったらやろうぜ!なんて話をしながら学校に行く。

 「なんで勝手に話すんよ!」

 緑を買った友人と学校で会うと、彼は開口一番そう言った。
この友人、確かにとっつきにくい方ではあるのだが、別に悪い奴ではなかった。
それに、通信進化の事は別に秘密にしていようとかとり決めていたわけでもない。
現に彼は既にクラスメイトに通信進化の事を話していた。

 要は僕が登校途中に友人に通信進化の事を話したせいでその友人に自分が通信進化の事を教えられなかったのが嫌だったのだ。
勝手な話だとは思ったがそんな事別に対した事でもない。

 「あ〜、悪い。ゴメンな」

 そう一言謝って、もうこの話は終わりにしようとした。
その時である。

 「それおかしいんとちゃうか!」

 僕と一緒に登校してきた友人が緑を買った友人に噛み付いた。僕の為に怒ってくれたのはありがたかった。しかし、本心では止めてほしかった。こんなくだらない事で喧嘩したくはなかったからだ。

 程なく始まってしまった喧嘩をなんとかなだめたが、この事が深い溝を作ってしまい、緑を買った友人と僕達は疎遠になってしまった。

 そして、この事が遠因になってしまったのかは知らないが、その後僕達のグループとは別の意味で彼が校内で孤立していったのを悲しく思った。


 人生はゲームの様にリセットできない。僕達がまだ中学生ではなく、もう少し幼い頃であれば次の日何事もなかったかのように、それこそゲームをリセットする様に友達関係を続けられていたのかも知れない。
もう少し大人だったら、くだらない事で喧嘩やめようぜと水に流して、友達関係を続けられていたのかも知れない。


あの頃僕達は中途半端に幼かった。



ポケットモンスター赤 

ハード: ゲームボーイ

1996年2月27日発売。

発売:任天堂

※見出し画像は公式の物をお借りしています。問題があれば連絡をくださればすぐに消去します。






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