ゲームの思い出:スーパーマリオワールド
毎日のようにテレビでマリオが歌うCMが流れていた。
あのスーパーファミコンがついに発売する。
僕たちの期待は否が応でも盛り上がった。
スーパーマリオワールドはスーパーマリオブラザーズの4作目。一応小さくスーパーマリオブラザーズ4と書いてあるが、案外知っている人は少ない。
1990年11月21日、スーパーマリオワールドは、スーパーファミコンのローンチタイトルとしてFZEROと共に発売した。
初めてスーパーファミコンのコントローラーを、ワクワクしながら握り、マリオを動かす。
ファミコンのマリオのようにBボタンダッシュをしようとしてもなかなか速度が上がらず、Aでジャンプするとクルクルと回りながらジャンプしてしまう。
最初のプレイで似たようなことをしてしまった人は多いのではないだろうか?
さて、スーパーファミコン。
最初期は周りに持っている人が全くと言っていいほどいなかった。
兄などがいるクラスメイトが2、3人家にあった程度である。
クリスマスプレゼントに買ってもらおうとしていたクラスメイトもいたが、さすがに25000円+ソフト+接続ケーブルとACアダプタ代(スーパーファミコンはTVに接続するケーブル、電源ケーブルが付属していない)は家計への負担がかなり大きかったようで、クリスマスとお年玉の合わせ技で何とか買う、と言った状況がしばらく続いた。
そんな中僕たちはゲーム屋やおもちゃ屋の店先の試遊台でスーパーマリオワールドを遊んでいた。
しかし店先の試遊台で見ず知らずの他人と1機交代でプレイするのはそうずっと出来るものではないうえ、上級生が来てしまえばもうそこまでしかプレイできない。
僕はその年のクリスマスにファミコンを買って貰ったのもあり、最初期の頃はそんなにプレイしていなかった。したくても出来なかった。
正月に母の実家に帰省すると、いとこがスーパーファミコンを手に入れてスーパーマリオワールドをプレイしていた。
どうやら最終ボスと戦っているようで、いとこは程なくして最終ボスを無事倒してエンディングが流れる。
僕はいとこには遠慮が無い。それは年齢が数日しか違わないので、小さい頃は殆ど双子の兄弟のように扱われていたからだ。
お互いに兄弟みたいなもの、という認識だった。
僕は早速スーパーマリオワールドをプレイさせてもらうことにした。
新しくデータを作ってプレイする。
スーパーマリオワールドは前作に比べるとマリオの変身できる形態が少なくなったりしているが、それを補うように新しいアクションや、ヨッシーが追加されている。
このヨッシー、めちゃくちゃスペックが高い。乗っているあいだは特定の攻撃以外当たっても死なない上、当たってもヨッシーが逃げ出すだけで乗り直せばまた元の状態に戻ることができる。
甲羅を口にほうばって吐き出したり、特殊な甲羅を口に含むと、色々な効果が起こしたりも出来た。
お化け屋敷などに連れていくことは出来ないが、通常ステージならかなりの戦力となった。
そして、マリオの最強形態じゃないかと今でも思っているマントマリオの存在だ。
前作のしっぽマリオの完全上位互換のマリオの新しい姿で、1度上昇すればあとはゆっくりと降りてくるだけだったしっぽマリオと違ってホバリングしてかなりの長い距離を飛ぶことが可能、更に急降下して地面に当たって地震を起こせば画面上全ての地上の敵に攻撃できる。
マントマリオになるアイテムも道中かなりの数設置されている為、かなりお世話になった。
道中、色々な謎を解きつつ先に進んでいく。ラストステージまでの道のりはひとつじゃない。慣れてくるとステージ間をワープ出来るスターロードを使ってラストステージまであっという間に行くことも出来る。
僕は帰省中、いとことこのゲームを遊び倒した。
何度かクリアする事もできた。
難易度や遊び心地が非常良くて、クリアしても何度もプレイしたくなるゲームだった。
僕がスーパーファミコンを買うのは、プレイステーションやセガサターンが出てからしばらくたってからの事になる。
しかしその頃でも、このゲームをプレイしてる人はまだ多かったし、実際僕も後にニンテンドーパワーと言うサービスでこのソフトを真っ先に購入して遊び倒した。この辺りでようやくこのゲームを自由に遊べるようになったわけだ。
今でもたまに遊びたくなってSwitchでプレイする。
僕はマリオのゲームと言えばこのゲームが真っ先に頭に浮かぶくらいにこのゲームが好きだ。
スーパーファミコンは最高のソフトとともに始動した。その活躍は語るまでもなく、皆さんご周知の通りだろう。
あの頃のゲームの王様は、間違いなく、マリオだった。
スーパーマリオワールド
ハード:スーパーファミコン
1990年11月21日発売。
発売:任天堂
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