見出し画像

2011.3.11 皆が、同じ方向に向かっていく気味の悪さを、ふと感じることがある。この瞬間だけは、これまで都心に流れ続けたエネルギーが逆流してくるようだった。

2022-2023、ビデオ・インスタレーション、エンドレス

私たちは今、海と陸の境に建てられた、長い道の上を歩いています
そしてこの体には、強い風が吹いています

これは、偏東風という、オホーツク海の高気圧から生まれ春から夏にかけて、寒流の上から吹いてくる昔からここに住む人々が「ヤマセ」と呼ぶ、あの、海からの冷たく湿った風です

この風は、分厚い雲を生み、太陽の光をさえぎってしまう

稲が育たず、この地に頻繁な飢饉を起こし、その昔、たくさんの人が餓死しました

でもそれは、風だけの理由ではない
中央政権による支配と搾取の機造にも起因します

つまり、稲単作の推進や、過酷な年賀の徴収など
いつの頃からか「東北」と呼ばれた、この地へ課された政策ゆえの話です

近代日本の歴史の中で、もうずっとここは大都市へ、あらゆるエネルギーを供給し続けてきた
食料で、労働力で、鉱産物で、そして火力、水力、原子力による電力で、です

2011年3月11日、マグニチュード9.0の大地震が宮城県牡鹿半島沖にて発生、大津波が東北沿単部を襲いました


死者1万5900人、行方不明者2523人、震災関連死については計り知れぬ数に上ります

この震災は、地震と津波の他に東京電力福島第一原子力発電所の電源喪失による爆発事故を含む複合的なものだったため
その後の道のりはとても困難に満ちたものになった

「復興」という言葉は翌日から叫ばれて、大量の物資や食料、義援金が世界中から届けられました

沢山の人があらゆる分野での救助に駆けつけ、働いて、怒涛の日々が続きました

この瞬間だけは、これまで都心に流れ続けたエネルギーが逆流してくるようだった

しかしひと月ふた月と時間が経つ内に、そして、10年11年と時が過ぎゆく中で

膨大な資金によって遂行された数々の「復興」は、本来のそれとはねじれた方向にも突き進んでいきました

津波によって何も無くなった土地に「今だ」とばかりに集まった、「惨事便乗型」の大資本の誘致活動は、私たちを圧倒しました

12年経って「俺ら、結局はバカにされたっちゃね」そんなふうにつぶやくのを聞いたりもする

「復興」の歩みは、早まきの近代日本のデジャブのようだった

そして「復興」は「さらなる発展」を合言葉に、私たちには見えにくい姿で新たなステージを迎えています
...皆、何を考えているんだろう

津波を生き延びたにもかかわらず、数々の復興計画や情報に翻弄され、疲弊し、自殺してしまったある人は

遺書のようなメモに「どこを見渡しても八方塞がり」と書きのこしていました

農家だった彼は津波に浸ってしまった自分の農地を、政府に「危険」という理由で、立て直すことを許されなかった

その代わりに、簡単な草取り作業で1日2万円を支給される農業支援に携わりその時のみの現金収入によって、本来の生業に対する尊厳を失っていきました

酒を飲んでも全く酔わず、彼の頭は冴えわたっていました

彼は心療内科へ行くことを最後まで拒否しました
だから、やることはひとつでした

「死」という、震災後は特に、身近なものになった真実を自分の中に実現すること

彼は実際に、その目で見ていました
瓦礫の中で息絶えた、親しい人たちの姿を
「見ていない人にはわからない」と、よく言っていた

また、ある人はこう言いました
なぜみんな、こんなに従順なんだろう
皆が、同じ方向に向かっていく気味の悪さを、ふと感じることがある

私は、忘れたいことが山のようにある
夢を見ます

自分の内面、ドロドロ系の夢を見ることが多いです
人を怒鳴ったり、殴ったり、反社会的なことを全部やります

それを、怖いと思いながらやっていて、そのあとは重たい気持ちになる
目の前にいる人を本当に殴ったらすごい、現実が変わる

大量の選択肢の中に自分がいて、もしもあの時っていつも考えてる
このあたりでは、津波にさらわれたうちの、1人の遺体がまだ見つかっていません

彼女はたった1人、東北全部でいえば現在2523人、現代の私たちとは全く違う死を遂げました

彼女は、今どこにいるのか
遺体は食物連鎖に繋がり、体の意味を変え、今もどこかで生きている

今日の人間社会では、あまり成し得ない次元の死です
この過程こそ、カタルシスそのもの

けれど、その光景は秘密を暴いてしまいかねません
近代社会には都合が悪い内実です

本来ならば、私たちはイメージになるべきだから
それでもここは、とても見晴らしが良くて

海も、睦も、違くの山も、地平線までも、よく見渡せます
波もよく見える

波を見ていると、今が、過去と未来にどう繋がっているのかよくわかる
それを繰り返し、ずっと見ていれば、私がどのように命を燃やしているのかよくわかる

さっき見えなかったものが、今、見えるような気がする

風の吹くとき 志賀理江子

 インタビューの圧倒的凄さを感じた。集合知とそれを落とし込む力。マタギの視点による「生」や「自然」の捉え方が形而上学的に循環しながらも、悲劇とされる事象に対してのあらゆる角度で的確かつセンシティブに、一つ一つ針を刺すように表現する言葉。

 「イメージ、それでもなお」から「ビルケナウ」に至るまで、文章とイメージの結びつきに可能性を感じるようにはなっていたけれど、イメージと文章と、そしてそれを表現する「箱」となる「人」のレポート。

 単調に、それでいて力強く、眼は徐々に赤みを帯びて、それでいて涙が溢れることはなく。イメージの先にいる存在にはじめて、この人生を知りたいと、これからの人生を見てみたいと、強く思った。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?