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視覚を超えた対話

ぼくたち盲人もロダンを見る権利がある

ギャラリーTOM/村山錬さん

 静寂に包まれたギャラリーの中で、私と対話相手とで、目でなく、手で感じる彫刻を発見することができました。デジタルな自然が、触れること、形、そしてデジタルなサインの間の曖昧な境界を行き来させてくれます。

美的実在論は、真実の本質を描き出します。芸術の魂は、色彩だけでなく、その中に宿るメッセージを通して語りかけてきます。環世界的な視点でものごとと向き合う時間は、新しい世界を形作ります。一方、構造主義の視点は、言語的に異なる視点を提供してくれます。

私たちは手と心を使って、無言の石と対話する機会を得ました。これまで知らなかった深みを理解し、この対話の中で、真の芸術が輝きを放つような体験です。


ひとつひとつの作品は撮影NGでした

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 先日、ギャラリーTOMにお誘いいただき、視覚に障害のあるアーティストによるアナログの彫刻を展示する展覧会を訪れました。ギャラリーTOMはいつも散歩する松濤にありながら、今までそこがギャラリーTOMだと認識することはなく、すれ違う時間と、行くべき時に縁がある不思議な巡り合わせと(こういう表現と世界線は好きではないけど、どうやらあるらしい)に感謝しました。

 芸術の形、質感、そして背後にあるメッセージを探求する中で、デジタルな自然、美的実在論、環世界、そして構造主義からの視点で自分の思考と視界と感覚を行ったり来たりすることができる時間です。

デジタルな自然の視点から、彫刻に直面することで、その物理的実体とデジタル情報との間の融合や境界のぼやけを照らし出します。この感覚はメディアアートと関わる時の内発的発見と共鳴し、物質と情報の関係の再解釈を促します。

 美的実在論に基づいて、彫刻自体が持つ「存在」や「本質」が重要になります。視覚に頼らず、触れることで、新しい芸術との関係を築きます。

 環世界の概念を適用すると、私たちが経験する世界は主観的であり、彫刻との対話を通じて形作られることを示唆しています。一方、構造主義の視点からは、彫刻の意味、構造、そしてそれが私たちの認識や解釈にどのように影響するかを考察することができます。

 私と大切な対話相手との理解は、作品との相互作用を通じて強化されました。普段は1人で思考を行き来させて完結させることばかりですが、多様な視点と印象を共有することで、私たちの間で新しい感覚や知識の交換が少しだけ促進されたように思います。そうした経験の積み重ねは、観た直後でなくても、ふとした瞬間に思い出せる、ふとした瞬間に思いつく、それこそ"connecting the dots"のようにこれからも結びつくと考えると、アートの深い本質をさらに味わうことがこれからもできそうな気がしています。


 ー ロダンを見る権利

ギャラリーTOMさん

 これは、コミュニティの話でもあり、社会モデルの話でもあり、人権モデルの話でもある。見ることと体験することは境界がもっと曖昧であっても良い。曖昧な境界線はあらゆるものを融和させる魅力がある。そこには身体性や対話、主体的な関わりが必要でありながら、新しいようで懐かしい身体的感覚と人間性の獲得を得た感情、記憶だけは忘れないように残しておきたい。これもエクリチュールとしてきっと鮮度は落ちてしまうけれど。

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