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天よ我に百難を与えよ、奸雄たらずとも必ず。

 少し前に誕生日を迎えました。この歳まで生きられると思っていなかった年齢が多かったので、毎年感慨深く感じる誕生日です。

 この1年は公私共に激動の変化があった1年で、それもポジティブなものというよりは、「私に必要な経験をください」と祈ってきたように、本当に様々な経験を通して自己否定と自己矛盾(ヘーゲルが言うところの自己矛盾からの止揚、という意味で)を繰り返し、どこまでいってもドメスティックなゲットーを脱せないようなしがらみを感じながら、何一つ人の為にできたこともなく、けれど絶対的に自分自身しか会得できないような価値観、体験、兆しのようなものを得られた1年でした。

Rollei35との出会いが人生の分岐点だったと振り返る瞬間が来る筈

 過去のことは過去のこと。明日と明後日で考える基準を変え続ける身としては、こうして言語で律儀に振り返っていることも不思議ではあるのですが、誕生日くらいは過去のことにも思いを馳せながら、日々限られた人生について考えていきます。

30歳の自分も人様にご迷惑をおかけし続けると思いますが、それ以上の価値を残せるよう日々生き延びます。

昨年の誕生日の記録より

 こんなことを書いておきながら、それ以上の価値は残せず、誰にも恩返しをできない1年を過ごしました。今年はもっと肝に命じておきます。

 大きく人生の岐路に立った頃から4年近い月日が流れていることに驚きを覚えつつ、常に誰かの居場所をつくりたいと思いながらも、同時に自分の居場所も必要になってくるのが、群れることには偏頭痛を覚えながら、孤独と孤高と孤立をはき違えない30代の必要悪なのかなと思います。

どうせ死ぬから,に救われる20代から,社会から切り離せない30代がもうすぐで.それでも後少しだけ足掻いてみようか,とヨルシカを聴きながら来年のことを考える,26歳最後の夜.
“My weakness calls out my name,
It takes me to the place where I used to live home”
K君のHomeはここにあるとだけ,どうしても伝えたかった.

26歳最後の夜。4年前。

 どうせ死ぬからとは思わなくなりましたが、相変わらずいつ死んでもいいように日々生きようと踠くのは変わらず、ただそれが、仕事でのアウトプットのような物差し的価値ではなく、誰かの落とし物を見つけられたとか、自然の呼吸を感じられたとか、自分にしか撮れないであろう写真が撮れたとか(これは他者評価、つまりいいねのような俗物に依存しない)、そうした価値を感じ、残し、いつ死んでもいいように日々生きようと思えるようになったことに大きな変化を感じます。

撮影という行為はアートや表現を超越して人生に寄り添う


 キャリア、みたいなものは恐らく今後全く気にしなくなるのでしょう。他者評価に依存した方が思考停止できて楽ですが、それ以上に人から理解される評価ではないものを突き詰める葛藤をしている方が私に合っているようです。(誰にも伝わらなくていい、という偏愛や難しいものを難しいまま理解できるタフさのようなもの)

 誕生日は心強いパートナーに連れられて、とある保養とアートの宿に泊まりました。家にiPhoneを置いて、イヤホンもつけずにしばらく電車に乗りました。

 たった1時間程度の電車の中で、普段は視覚でしか気付けないことに沢山気づきました。車椅子から倒れてしまった方にも、車椅子が電車に乗り付ける瞬間の異音に気づき、視界に入る前に体が動きました。親子に席を譲った時に、「優しいお兄さんだね、ああいうお兄さんになろうね」と優しく語るお母さんの声、小さい子が1人走って転びそうになる瞬間に気づいて手を貸せたり、偶々にしても普段スマホを見たり、耳を音楽で閉じていると気付かないことばかりでした。その行為一つ一つは些細すぎることですが、何か、断続的に人に自分の時間を使うのではなく、少しだけ余韻を残すような感覚、もしくはちょっとしたサインに気付いて自分の時間を少し先の時間に投じられる感覚、そうしたものに1時間の中で気付けたことは大きな収穫です。

 車椅子の人を抱き起こした時にピキッと入った肩の痛みすら(身体的には情けない)、その痛みを思い出す度に、あの人が大怪我をしなくて良かったからこれは必要な痛みだと思い出せる。それは人間関係や心のつながりにおいても同じことだと思います。

空海を感じた庭園を通る風と意識的な余白


 同時に、どこまでいっても余白や遊び心がないと自分以外のものには目を向けることができない。

 吉田松陰先生が獄中で捉えた死生観(英語的には生死観)を綴った言葉の中に「正しく生きてさえいれば、いずれ心が安らかな気持ちになる時が来る。その時が死ぬべき時である。」とあります。どう死ぬかに美徳を見出していた時代の中でこの境地に至っているからこそ、尊敬する人です。

死ぬべき時まで生きようと思うには自然との時間も必要

 今心が安らかかというと、日々大荒れです。つまり死ぬべき時ではない。それはそうで、やりたいことも叶えたいことも、こういう世界が観たいんだと日々唇を噛むこと、顔が思い浮かぶあの人、あの家族を笑顔にしたいんだということ、自分自身が表現したいこと、自分が見たいアートをつくること、全てまだできていないので安らかではありません。

 人は悲しいことに、自分のレベルで想像できることしか理解することができません。とすればやることはシンプルで、レベル上げです。

 30歳のValueは下記でした。
ノブレスオブリージュ
狂愚まことに愛すべし、才良まことにおそるべし
諸君、狂いたまえ (吉田松蔭先生)
想像力の無いやつはしね
 (自分にはよく言うけど他人には絶対使わない)

昨年の自己否定からの昇華

 そもそも自分はノブレスオブリージュではなく、どこまでいってもドメスティックなゲットーに縛られています。それが自分が自分である理由でもあります。それは人に語るような(理解されるための面接語りのような)原体験と呼ばれるものではなく、流れている血や魂の色のようなもっと根源的なものです。理解されてはいけないくらいのものです。グルーヴが合って初めて通じる、イメージがイメージでしか伝わらないような抽象的なものです。

イメージはイメージで。
分かりにくいことは分かりにくいままで。

31歳のValueは下記に据えていきます。
狂愚まことに愛すべし、才良まことにおそるべし 諸君、狂いたまえ 
想像力のない奴はレベルを上げろ、心安らかになるまで死ぬな
自ら余白をつくり、余白によって自らを変え、余白を誰かの居場所にしろ
矛盾から発展する止揚の中に自らのみが理解できる価値を見出せ

1年で土台をつくる

 アートと保養の宿で、素晴らしい佇まいの庭に気づき、それが空海やもの派と結びついて、成る程、禅の心がここにあると思えたことも、渓流の流れから留魂録の言葉を紡ぎ出せるようになったことも、写真を通して自分が本当に捉えたいものと作りたい世界を少しずつ脳裏に焼き付けられていることも、少しずつ、自分の言葉で自分の人生を生きられるようになってきた証かと思います。

 一橋大学院は勿論、STEAM教育プログラムに350万を注ぎ込めるくらい働くこともがんばります。それはキャリアとかいう他人の物差しの理由ではなく、そこに自分なりに見出したいものがあるからです。あくまで遊び心があるもの。研究をし尽くすことが自分に流れる魂だと思えるからこその貪欲さを。

血が反応する景色を愛でていく余白と遊び心を思い出す


 そんな訳で、下記だけは20代から継続して心の奥底まで染み込ませて生きていきます。

ポジションを取れ.批評家になるな.フェアに向き合え.手を動かせ.金を稼げ.画一的な基準を持つな.複雑なものや時間をかけないと成し得ないことに自分なりの価値を見出して愛でろ.あらゆることにトキメキながら,あらゆるものに絶望して期待せずに生きろ.明日と明後日で考える基準を変え続けろ.

曹操の「天よ我に百難を与えよ」以来、心底腑に落ちるの言葉

 そんな恩師の先日の呟きが、最高に好きでした。

facebook に多いな.人類がすでに考えてそうなことを偉そうな顔でいうやつだ.一瞬一瞬を新規に生きろ.伝わることを言うな.お前はそれでも研究者か? 作家か? アーティストか? 新しいことをしろ.大衆の合意を得て気持ちよくなるなバーカ.

愛したいスタンスと反骨心

 フィルターバブルといいねフィルターにやられないように、それでいてキャリアや仕事や、マジョリティが良いというものに迎合しすぎないように、唯々、正しく生きることに愚直であれるように。批評家にならず行動し続ける為の想像力を。

 「私に必要な経験をください。まだまだあるので。」

追記:自分で表現したものを撮り続けたい

 沢山の恩返しを最優先におきながら、今年も過ごします。

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