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ハナギレ先生とタチキリ君


本を届けにいくと、ハナギレは眠っていた。
店主のくせに居眠りとは不用心な……とは思うが、週に数回客が来るかこないか、というこの店ではたしかに眠くもなるだろう、と思った。

ふがいない店主に代わって田中さんが挨拶をしてくれる。懐に忍ばせてあったにぼしをやると、嬉しそうに眼を細めた。

「おい、起きろ」

声をかけても起きないのは承知だ。
手にしていた本で頭をやや強めにはたく。

「いっっった!!!」

田中さんが俊敏に逃げて行った。
大声の主はズレた眼鏡を直しながらこちらを睨んでくる。

「おい!タチキリ君!本は人を殴るものじゃあないだろう!!」

軒先にまで響く声だ。これが寝起きとは恐れ入る。黙っていれば繊細そうに見えるのに、相変わらず声がデカい。古書店の店主や作家先生というのはもっと奥ゆかしく喋るものではないだろうか。

「お前がいつまでも寝てるからだろ。献本だ」

「今のは寝ていたのではなくインスピレーションをだね! というか献本で人の頭を叩くとは!!!」

田中さんではないが俺も逃げたい。ため息が出る。これで幸福が減ったら労災を請求しよう。

「はあ……ハナギレ先生の前世はメガホンで決まりですね」

「なーっ! 君というヤツは! 誰がメガホンの生まれ変わりで現世の天才作家だ!!! まったく失礼なヤツだな!!! ……いや、メガホンの一生か……、考える余地はありそうだ……」

声がどんどん真剣味を帯びていく。たぶんもう、半分くらいはここにいないだろう。右手がメモ紙を探している。下手すると献本に書き込みを始めそうだったのでカバンからメモ帳を取り出して渡す。
コイツのせいで必需品になったものの一つだ。

「つまり無機質の多角世界ということか……そうするとエーテルの配置はどこにするべきか……」

こうなると数時間は話しかけても返答がない。田中さんの水を新しいのにしてやり、エサを入れておく。その間にも走り書きがどんどん量産されていく。

どうやら次回作も期待できそうだ。

看板を"閉店"にして後にした。


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