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鉛筆でこすれて手が真っ黒になってたあの日々を懐かしく思う。




26日と27日で書いた文字数が1万字を越えた。
普段上げている記事が大体3000字前後なので、この2日間でいつもより1日分多く書いたことになる。
3000字を越えると記事1本あたりの制作が1時間ほど伸びるので少々くたびれる。


こういうとき、なんてことのない日常のワンシーンを瑞々しい文体でコンパクトに書ける人に憧れる。


10代の頃は文章を長く書くことが難しいことだと思っていた。
だが、文系の学科を出て書く経験を積むにつれて、一番難しいのは端的に書くことだなと思うようになった。文章芸術において必ずしもそれだけが“美”ではないが、難しいという点では間違っていないだろう。


極論を言ってしまえば読み手が引き込まれてグングン読めるような文章であれば長かろうが短かろうがどちらでも良い。けれども我々が機械でなく生き物で、“読む”という行為が身体活動の一部である限り、やはり長さへの配慮は必要不可欠だ。
文章が長くなればなるほど脳内で必要な情報整理は複雑化していくし、その分体力も必要になってくる。ダラダラと長い文章は読み手の時間と体力を奪うだけだ。


と、分かっていてもどうしても長くなってしまう。


文章力が乏しいことも一因ではあるが、これには私自身の気質が大きく影響しているように思う。


昔から私は、思ったことや考えたことを全部言いたいタイプの人間なのだ。
もちろん内容によってはTPOを弁えるしネガティブなものに関しては“言わない“という選択肢をとることだってできる。だが、心に浮かんだモノゴトは基本的に生まれ次第すべて外へ出していきたい。


勤め人だったころ、「よくそんなに考えたことをすぐまとめて喋れるね」と言われることがしばしばあった。ミーティングなどの場で毎回意見を言うのが早かったからだ。けれども、個人の体感としては考えたことを単にそのまま喋っているだけなのである。そのため、喋りながらも自分が筋の通った内容を伝えられているか不安になることが多々あったし、実際「いま日本語喋れてましたか?」と聞くこともあった。聞かれた方は何を突然と驚きながら「喋れてるよ」と返してくれるのだが、それでもしばしば不安になるのだった。
それくらいあまりにも”脳直“で喋っていたからだ。


どうやら考えたことをそのまま喋ってもはたから見ると”理路整然“としているらしい。
他人からのフィードバックを借りるならば”頭の回転が速い“。


これは脳内が常に忙しない上に思ったことを全部言うタイプの人間にとってはかなりラッキーな特技であった。


とはいえそれは生のコミュニケーションに関しての場合であって、こと文章となると話は別だ。何も考えずに書いていると、私の一文は大体二行くらいになる。それがいいかどうかは判断基準がないので分からないが、インターネットの記事は大体一行くらいのコンパクトな一文が連なっているものが多いように思う。
noteを書き始めの頃は私もそんな記事をなんとなく手本にして喋りたい気持ちを自制し、短い一文を書くようにしていた。いわゆる"インターネット記事"っぽい文章を心がけていたのだ。

ある時からそれをやめた。

読み易さを変に意識して書くよりも、まずは自分が書きたいように思い切り書いていく方向へシフトしたのだ。読んでいて疲れたりテンポの悪い文章は適宜トリミングしているが、結果として記事を書くのがグンと楽しくなった。書くのが楽しくなっただけなので読みやすさに関してはあまり自信がない。何度読み直しを重ねても100%客観的に読むことは不可能だからだ。
考えてみればTwitterでも毎日のように140字いっぱいのツイートをしているので、どうやら私は心底”考えること“とそれを”表現すること“を好いているらしい。140字の制限がある場ですらそうなのだから、”note”をうたう此処で自制することなど到底できそうもない。


”思い切り書く“といえば、記事の更新時間も”12時半目安”から”書きあがり次第”に変更した。毎日更新が習慣としてきちんと根付いたので時間にしばられなくても書かない懸念がなくなったし、”読まれるため”の打算的な(あるいは戦略的な)ことはもうやらないことにしたからだ。私が励むのは己が良いと思える記事を書くことだけで良い。日々の更新を続けていくうちにそう思えたのである。


これは文章に限ったことではないが、創作活動をしているといつも思う。


真っ白な原稿用紙に自分の頭と鉛筆一本だけで”読みもの“を紡いでいくのは、なんて凄いことなのだろう、と。絵でも漫画でも映画でも、芸術とされるすべてのものを見て感動するとき、”原初これはただの空白だったのだ“と立ち返ると人間という生き物の創造性に圧倒されてしまう。


そうして、その”空白“を自分の力だけでどんどん埋めていくことを心底楽しいと思う。
文章を書いたり絵を描いたりするたびに、自分にこの能力がある幸福を感謝するのだ。


パソコンが普及し"書く"ことが身体的にも容易になってから久しいが、キーボードをタップするだけで思考と同じスピードで並んでいく言葉達を見るのは今でも不思議で、面白い。



とはいってもそれが毎日ともなれば時には適度な休息も必要である。
昨日2徹して長時間ゲームをした疲れもまだ抜けきっていないし、腰の痛みもちょっと深刻だ。




今日のインプットはこの辺にして、残りの時間は他人の創造性に感心することにしよう。



これも元は空白だったのだなあ、と思いを馳せながら。





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