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漫画読んで昔の意見を思い出した

ジャンププラスの新連載
「アフタースクールメイト」を読み
少し自分の考えに近い描写がありました。

多様性とは受容することで始まる

『アフタースクールメイト』の話の前に
自分の考えてることをまとめときます。
正直な感想を言うと最近は何かとうるさすぎる気がします。
しょうがないのかもしれないけれど…。
個人的には表現に関しては特にややこしくなってるなぁ…と。

様々な主張が出てきてることやそれを伝えること自体は
良い傾向なのに伝える手段や伝え方が高圧的で自分勝手なものが
多いのが非常に残念だなと感じてしまいます。

あれはダメ、これは嫌い。言いたいことはわかるけど、
押し付けるだけでは何も変わらないのではないでしょうか。
意見を強要するのではなく理解をするための歩み寄りこそが
認識を変え受容を生み多様性へと繋がると個人的には思います。
多様性とは相手を認めて自分も認めてもらうという
互いの受容の関係になるべきではないのでしょうか。

あらゆる関係性、考えを「それもいいよね」と認められるのが
一番いい関係だなと感じます。


自分のことは自分にもわからない

『アフタースクールメイト』1話で好きだったセリフが2つあります。

「本当ただそれだけの話じゃねぇの」
「ただオレがオレとして話ができる人がいればそれでよかったんだ」

ざっくりとしてセリフ前後の流れはそれぞれ
主人公が女性の体だが男性の心を持っているという
カミングアウトした後のセリフと
その会話後に別れた後に主人公が嬉しいと感じた理由を言語化した独白
の2つになります。

「それだけの話」という表現が非常にしっくりきました。
自分は、トランスセクシュアルではないので
他人がそうであっても「そっかぁ~」くらいにしか認識してません。
マイノリティではあるだろうけどそれだけな気がします。
個人がどう思うのはそれぞれの自由であるべきだし
カミングアウトしようがカミングインしようが好きにすれば良い派です。
否定するのは論外ですけど必要以上に理解を示す姿勢も違う気がします。
マジョリティと同じように扱うのが姿勢的にはいいんじゃねと
Twitterとか見てると常々思います。
必要以上の擁護や支援の姿勢は方向性は違えど特別扱いに変わらないし。

そういう意味でも「本当にそれだけの話」はその通りだなと。
本人のことなんて本人にも100%理解できないのだから
他人が無駄に干渉するのはお互いの不利益になるだけでしょう?

みんながみんなご自由に

個人的には多様性=受容=不干渉な気がします。
そもそも人の意見に口出したり
作品や表現に文句を言うのもその対象を認めないことだし
それって多様性ではなくね?と思ってます。
極端な話「みんながみんな全て認められて
一人も他人に文句を言わず干渉せず自由にいることが
多様性の終着点」
なんじゃないかなとぼやっと思ったり。

誰かに文句言ったら相手を否定する
=多様性の欠如
もちろん秩序は必要なので手放しになんでもOKではないですが。

マイノリティなら何言ってもいいとか
マジョリティを攻撃していいとかは決してないでしょう。
好きな作品とかクリエイターがよくわからない理論で
創作の範囲が狭まっていく姿を見ると悲しくなります。
そもそも文化の規制はそれ自体が不健全だと思います。
表現にケチをつけて否定するのではなく
それぞれの考えに触れ自ら考えることが重要でしょう。

文句だけでは変わらない

フィクションと現実を区別できていない人とか
自衛をせずに排除を強要する人とか
平等を謳う割には優遇を求める人とか
何かにつけては自分勝手な気がします。

「やめてくれ」だけでは変わるものも変わらないでしょう。
女性のVtuberを叩いて排除し女性キャラを使った広告を排除し
平等の立場からは離れる一方な気もします。
特別扱いされたくないのか何なのかよくわからない意見が
嫌に目立つ気がします。

文句を言うだけではなく「こうしたい」「こうあるべき」と
意見を交わしそれぞれの考えをくみ取り
歩み寄り秩序を形成することで平等と多様性へと
繋がる一歩を踏み出せるのではないかなと思います。


全然言いたいことをうまくまとめられませんでした。
『アフタースクールメイト』読んで、結構昔に
ボケっと考えてたことを思い出したのでまとめたかったです。
ノリとテンションで意見を書くのは良くないのでしょうが
一応ね…。

本当は身の回りの話とかも結構してまとめたいとも考えてます。
まぁいつの日かにもう一回似た内容でまとめたいなぁ。

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