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完璧主義の功罪

私はいわゆる完璧主義。
何でもできるわけでは無い。
ただ、自分の出来る範囲ではミスを許容できないのです。
他人に対しては決して向くことのない
自分の喉だけを常に狙ってる矛のようなもの。

前々から自覚はしてたけど今日また深く感じた。
ホールド替え後初のクライミング
「いつも通り5級あたりから初めて3級くらいまで
サクッと終わらせて週末に2~1級くらいにトライ」
というなんとなくのプランがたった一つの4級課題に
ぶち壊された。
4級にしてはかなり難しく苦手が詰まってる課題だった。
後回しにして3級をやろうと踏ん切りがついたのは
40回以上トライして2時間経過したころだった。
2時間もの間、他のモノには目もくれずに淡々と…。
思い返すと普段は問題なく熟せる「4級」が残ってること
それ自体がどうしても許せなかったのです。
本当にただそれだけ。あきらかにグレードが間違ってるとか
苦手な動きが詰まってるとかの要因を度外視して
4級すべてを終わらせずに次のステップに進むという
単純な工程を容認することには非常に時間を要しました。

自分の失態は頭から離れない

物心ついてからのミスのほとんどを忘れられてない気がする。
忘れていたら認知できないのだから当然だけど。
小学3年生の時に担任に怒られたことや
中学でちょっとした口論になったきっかけの発言。
本当に多くのミスは常に自分の頭の片隅で自分を責め続けてる。
非合理的だし、無駄な思考であるとは重々承知の上で
理解したうえでもなお自分のミスを許容できない自分がいる。

「失敗は誰にでもある」

よく言われてきました。私も多くの人に言ってきました。
本気でそう思ってるし人のミスに不快になることも滅多にない。
自分を除いて。
なぜこうも自分の失敗に敏感で完璧を追い求めてるのかは
いまいちわかってない。
自分に迷惑が掛かる分には全く気にしないけど
人に迷惑がかかってるかもしれない事実に耐えられない。
というのも1つの要因かもしれないが決定的でもない。

樽一杯のワインに一滴の泥水

どこかで聞いた言葉。
詳細は忘れたけど泥水の中にワイン入れても泥水のまま
だけどワインに泥水入れたらその瞬間からそれは泥水。
そんな話だったと記憶している。
100%の真っ白になれず1%でも黒が混ざるくらいなら
100%の黒になってしまいたい。
そんな心理も少なからずあると思う。

なんせ、今これを書いてるのもつい先日宣言した
目標である毎日の日記のついでなのですけれど。
既に日付が回っていて毎日達成と言っていいのか
グレーの現状に宣言の記事から
今日までの日記ものを全て削除して無かったことにしたい
そんな欲望に抗いながら書いている最中なくらいです。

周りからすればどうでもいいものでも
一事が万事の私にはとっても大きな出来事だったり。
完璧主義というより潔癖なのかも知れません。

転ばぬ先の杖

とはいえ困ってばかりの完璧主義でもないのです。
私がこの考えを捨てきれない一個の理由でもあります。

「常に完璧たれ」とまでは思ってませんが。
あれもこれも徹頭徹尾、失敗しないようにと
最悪のパターンを想定してしまう。
ネガティブな悪い癖ではあるのだが、
最悪のパターンを想定できるからこそ対策ができるのです。
何パターンも自分が嫌であろう可能性を潰すために
用意できるものは最大限準備するし
使えるものはなんでも使う覚悟が毎日できてる。
コンビニ行くだけでもそれなりに大きい鞄に
なってしまうのは…ご愛敬。
あり得ない可能性を心配しすぎて周りに相談したら
笑い話にされたなんてのは星の数ほど経験しました。

完璧主義であれもこれもミスなく
潔白であれという考え方は正直
嫌気がさしてるしなんだかとってもめんどくさい。
それでも、その考え方のおかげで
ある程度のトラブルにも用意が出来てる自分に
助けられているのも事実。
ネガティブだから見える世界もあるんだなと思ってます。

それにしたって2時間も同じ課題ばかりやるのは
体にも悪いし良くなかったよね……。

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