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ここらへんの史跡をゆく⑩ ~那古野

「ここらへんの史跡をゆく」第10回は、"ここらへん" も極まる名古屋市内からお送りします。「なごや」の表記は徳川の時代に入り「名古屋」が定着しましたが、戦国のころは本稿タイトルの「那古野」が通り名でした。

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市内の取材となれば、名古屋市在住高齢者の伝家の宝刀 "敬老パス" が大活躍する。年間5,000円の負担金で、市営のバスと地下鉄だけでなく市内を走る名鉄、JR、近鉄にも乗り放題。
※名古屋の敬老パスは対象年齢、適用範囲、価格において、他の都市を凌駕していると思う。河村市長の功績とも思えないが‥   とても有難い。

今回私は敬老パスをフル活用して「若き家康のいた那古野」を巡った。当時「竹千代」と称した家康は、およそ二年間人質としてこの地に暮らした。
 ※天文16年(1547年) ~ 天文18年(1549年)の間

物の本には「6歳から2年間の人質生活」との記述が多く見られる。 天文11年(1542年) の年末に生まれた竹千代が那古野に着いたのは、確かに "数え年では6歳" だった。だが満年齢にすると "4歳8ヶ月~6歳11ヶ月" となる。今で言うと「幼稚園の年中さん~小1」に当たる。

大河ドラマ「どうする家康」の中で、信長が竹千代を執拗にいたぶるシーンがあった。9歳年上の信長がいくら "大うつけ" だったとしても、いたいけな幼児を投げ飛ばしたり、組み伏せたりするだろうか。人質時代に両者が会っていただろうということには同意するが、信長の幼児虐待は誇張が過ぎる。私はむしろ関係は良好だったと思っているのだが‥ 

まずは竹千代が那古野に来た経緯から。これにはふたつの説がある。今川家の人質になるために船で駿府に向かったが、途中家臣の裏切りで尾張の織田家に送られた説。大河ドラマはこの説を採った。もうひとつは、父松平広忠が織田家への恭順を示すために竹千代を差し出したという単純な説。

尾張に着いた竹千代が最初に預けられたのは、織田家が贔屓とする熱田の豪商加藤図書助順盛(ずしょのすけのぶもり)の邸宅。その後織田家の菩提寺である万松寺(萬松寺)に移されている。現在の万松寺は中区大須に移転しているが、当時は信長の住む那古野城の南に広大な敷地を持って隣接していた。
※当時の万松寺の場所は正確には判っていないが、那古野城から1km程度のはず。信長が父信秀の葬儀の際に位牌に向かって抹香を投げつけたのは、この旧万松寺でのエピソード。
※加藤邸から万松寺に移った時期は分かりませんでした。誰か教えて。

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加藤図書助屋敷跡 今は小さな公園になっている
公園の傍らにある立て札 近くに石碑があるようだが私は見逃した

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織田信長の居城 那古野城は 今の二の丸に建てられていた
この地図の南(下)に隣接して竹千代が幽閉された万松寺があった
那古野城跡
那古野城跡から臨む名古屋城
当時の万松寺の境内にあった "桜天神社" がオフィス街の真ん中に残っている
旧万松寺の唯一の痕跡 名古屋中心部の主要道路 "桜通り" の名前の由来

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家康の幼少時代はいつも不安定で寂しい日々だった。母の愛情を知らずに育ち、もの心つく頃には人質暮らしが始まっている。

だが那古野で暮らした加藤家では、そこの娘が幼い竹千代に紙雛(ひな)を作って遊んであげたという。後年家康が江戸に幕府を開いた時、加藤家に所領を与えたり、数々の贈り物をしている。さぞかし温かく接してくれていたのだろう。少し心が救われる。

那古野で二年を過ごした後、竹千代は駿府の今川家に送られた。当時今川方に捕らえられていた信長の(異母)長兄信広を取り戻すために、織田家が竹千代を交渉の手札にしたことによる。

織田信広と竹千代の人質交換が行われたのは、名古屋市南区にある笠寺観音(笠覆寺)。下の画像は山門をくぐってすぐ右の「人質交換之地」なる碑。小さい像はもうすぐ満7歳になる竹千代。一触即発の緊迫した雰囲気だったに違いない。竹千代は「やっと慣れたのにまた知らない所に行かされるのか~」と不安いっぱいだったろう。そんな経緯を知ってから見ると切ない。

※因みに細君は、笠寺観音がある学区の小中学校を卒業しているが、人質交換のことも石碑のことも知らなかった。調べると、石碑は2010年建立の新しいものだったので仕方ない。人質交換を知らなかったのは彼女の浅学が故。実は準地元の私も知らなかったのだが‥

笠寺観音の山門 右にくねって通っているのは旧東海道

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今回は "幼少の家康ゆかりの那古野" を巡った。大河ドラマではほぼ端折られた部分だ。竹千代はこの土地で何を考えて暮らしたのか。子供ながらに自分の不安定な立場は理解していただろう。尾張の人々はそんな孤独な少年に、温かく接してあげたのだろうか。
後年の家康の頭の片隅に「懐かしい那古野」があったら嬉しいのだが。

< 了 >

P.S. 今回ご紹介したのは極めてマイナーな史跡で、多分大河ドラマを大好きな方も「行きたい!」とはならないでしょうし、私も「是非行って下さい」とは申しません。でも一応住所等を書いておきます。

加藤図書助屋敷跡
名古屋市熱田区伝馬2-13-3  地下鉄 熱田神宮伝馬町から10分

那古野城跡
名古屋市中区二の丸1  地下鉄 名古屋城7番出口から5分

桜天神社
名古屋市中区錦2-4-6  地下鉄 丸の内5番出口から1分

笠寺観音(笠覆寺)
名古屋市南区笠寺町上新町83番地  名鉄本線 本笠寺から8分

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