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新米老人の蹉跌(さてつ)

最近は何かにつけて昔を思い返すことが多い。懐かしむというよりも、あの時自分は何を見ていたのか、何を考えていたのかを思い出している。

中島みゆきの ”時代”   ♫ 今はこんなに悲しくて涙も枯れ果てて~ ~あんな時代もあったねといつか笑って話せるわ~ ♪♪   19才で東京に出た頃、テレビの無い下宿、文化放送のみのもんたの番組で毎夜流れていた。

東京に憧れて来てみたものの、東京に気圧されてすっかり引っ込み思案になり、友達もできず、国鉄のストで動くこともままならず、空腹をシケモクで紛らせながら、下宿の天井を見上げながら ”時代” を聞いていた日々。

仕送りに余裕はなかったため、上京後すぐにバイトを始めた。渋谷公園通りのNHKに上って行く途中、”ジャン・ジャン” の向かいにある ”丘” というレストランのウェイターだった。賄い付きで時給は400円。機嫌の悪い時のシェフから、理由も無く菜ばしを投げつけられたりした。暗い目をして黙々と料理を運び、最終の中野行きの京王バスで下宿に帰った。帰るともう銭湯は閉まっている時間で、そのまま布団にくるまって寝た日々。

19才の私は、自分の能力や可能性に一かけらの自信も持てず、未来などまるで描けていなかった。45才で迎える新世紀は遠い未来で、自分はそこにはいないんだと漠然と思っていた。

そんな私も社会人となり、好きな人と出会い結婚し、子をもうけて今は孫もいる。その間に、自分ができることを理解して、自分がすべきことを実行して、どうにか ”一隅を照らす" ことはできたかもしれない。

昨年コロナの影響で、急に社会人生活に終止符が打たれた。以降は基本隠遁生活で、細君の仕事を手伝ったり、孫と遊んだり、ゴルフの練習に行ったりという毎日。それなりに楽しくやっているが、充実感や達成感には程遠い。

1才5ヶ月の孫は、最近 ”アンパンマンのマーチ” がお気に入りで、この歌が聞こえてくると、テレビに見入り、そして体を動かし踊り始める。孫を膝に置いて私もいっしょに聞いていると、その歌詞が私に刺さる。

♫  何のために生まれて、何をして生きるのか。答えられないなんて、そんなのはイヤだ ♪♪

19才の私は答えられなかっただろうが、今の私も答えられない。そんなのはイヤだ! 19才の私には時間の経過とともにミッションは生まれてくるだろうが、65才の私はもう何のミッションも出ては来ない。

このままでは余生を無為に過ごすことになる。晩節を全うしたい。私は何をすべきで、何ができるのだろうか。考えて生き方を決めなきゃならない。

定年延長は65才までという企業が多く、我々世代の多数が、今年現役引退となり、新たに老人社会の一員となる。きっと私同様の戸惑いや悩みを抱く方もいることだろう。

ちょっとした ”新米老人の蹉跌” なのだが、齢も齢なのでゆっくり悩んでいる暇はない。

< 了 >


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