見出し画像

昭和も遠くなりにけり

うちの三男ふーみんは外で暮らしているのだが、今でも彼のCD、ゲームソフト、本、音楽関連機材は我が家に置かれたままになっている。思い立ってそれらの片付けを始めたところ、J-POPのCD群の中に毛色の異なる1枚を見つけた。ザ・フォーク・クルセダーズ (以降 "フォークル" と表記) だ。

いや~懐かしい。絵のタッチからして、ジャケットは横尾忠則さんの手によるものと思われる。ふーみんは何処かで耳にして興味を持ったのかな。アルバム "紀元弐阡年" の復刻CDのようだ。本稿のタイトル画像は多分 "裏表紙" 的なもので、本当のジャケットは ↓ の画像と思われる(多分)。

左から 加藤さん、はしださん、北山さん

フォークルは京都の大学生だった加藤和彦北山修はしだのりひこの3人からなるバンド。フォークルがプロとして活動したのはたった一年だけ。1967年12月25日にデビューして1968年12月5日に解散した。その間にアルバム1枚とシングル7枚をリリース。日本中に強い印象を残して去った。

デビュー曲でミリオンヒットとなった高速回転の「帰って来たヨッパライ」、朝鮮半島の南北分断を嘆く「イムジン河」、イムジン河の発売自粛の後、同曲の逆回転イメージのメロディーに詩人サトウハチローがオリジナルの歌詞をつけた「悲しくてやりきれない」、五木寛之が自身の小説と同じタイトルで詞を提供した「青年は荒野を目指す」など、たくさんの曲が話題になった。小学6年生の私は、表現の自由さと斬新さにワクワクしたものだ。

昔からとても好きなフォークルの曲がある。タイトルが分からなかったので、歌い出し部分「野に咲く花の名前は知らない~」を入力して検索してみた。曲名は『戦争は知らない』で、作詞は何と寺山修司だった。
※寺山修司は、劇団「天井桟敷」の主宰者で劇作家、映画監督、歌人、俳人。津軽弁の朴訥とした語り口で知られ、テレビに出始めた頃のタモリがよく真似していた。

我が家のCDに『戦争は知らない』は入っていなかった。YouTube には、フォークル1968年のLIVE音源があった。もうひとつ、2002年 はしださんの替わりにアルフィーの坂崎幸之助さんを迎えた "期間限定新結成 フォークル" の動画もある。
※ 下に貼り付けました。

どういうメカニズムなんだろう。私はこの曲を聞くと涙が湧いてくる。齢を取って最近やたら涙もろいこともあるが、この曲には以前から弱い。歌詞とメロディーが私の涙腺のバルブを開くようだ。YouTube 視聴はもちろん、歌詞を書き写しているだけで、もういけない(涙)。

『戦争は知らない』が発売されたのは1968年。それは戦争が終わって20余年が経ち、戦没軍人の遺された子供さんが成人する頃だった。「戦争で亡くなったお父さんを想い、娘さんが空に向かって結婚の報告をする」という歌。

「みんな苦労したんだろうね。」「お父さん、花嫁姿見たかったろうね。」「平和な日本を見せてあげたいね。」ってウルウルウル‥‥

「戦争は知らない」 作詞:寺山修司 作曲:加藤ヒロシ

 野に咲く花の名前は知らない だけども野に咲く花が好き
 帽子にいっぱい摘みゆけば なぜか涙が涙が出るの

 戦争の日を何も知らない だけど私に父はいない
 父を想えばあゝ荒野に 赤い夕陽が夕陽が沈む

 戦さで死んだ悲しい父さん 私はあなたの娘です。
 20年後のこの故郷で 明日お嫁にお嫁に行くの

 見ていて下さい遥かな父さん いわし雲とぶ空の下
 戦さしらずに二十歳になって 嫁いで母に母になるの

 野に咲く花の名前は知らない だけども野に咲く花が好き
 帽子にいっぱい摘みゆけば なぜか涙が涙が出るの


私が小学生だった頃の日本は、まだ街のそこここに戦争の痕跡(あと)が見られた。戦争を語る大人はまわりや学校にはたくさんいたし、駅前では戦争で怪我を負った元軍人さんの姿を目にした。昭和は戦争の時代だった。

******

2月24日 ロシアがウクライナに侵攻した。ウクライナの主要都市への攻撃は日に日に激しさを増している。ロシアの唱える "大義" は誰も理解できない。仮にロシアがウクライナを制圧したとしても、勝者はどこにいるのか。今後長きにわたり、ロシアは世界の枠組みから外され孤立するだろう。

この世界の仕組みや約束事は、先人が過去の経験とその反省から作り上げてきたものだ。それに沿った行儀作法を皆が身に付けることで、いろいろな社会や階層の均衡は保たれた。トランプ大統領が登場したあたりから何かが崩れ始めた。焚きつけられた人々が "悪いもの" を出し始めた。そしてたくさんの種類の "分断" が顕在化している。

今回 ロシアの頑迷固陋で狂ったリーダーは、ルール無視の暴挙に出た。たくさんの一般人も亡くなっている。ロシアの横暴は絶対に許してはいけない。誰の幸せも生まない戦争。これ以上悲劇が増えないようにと願う。
私はウクライナに小さな支援をする。

< 了 >

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?